27話 秘密の約束
小説家にはスランプというものがあるという。
いきなり文章が書けなくなってしまうと聞いたことがあったシュゼットは、エリックもそうなのかと不安に襲われた。
しかし彼は、あっさりと首を振る。
「探している資料が見つからないだけだ。王立図書館にも公文書館にもなかったから、私立の図書館を回っているんだが、どこに行っても見つからない。三十年前から六年間の宮廷録だけごっそり抜け落ちているのも奇妙な話だが……」
「昔の宮廷録をお探しなのですね。それでしたら、我が家にあるかもしません」
シュゼットの祖父は高等文官で、宮廷録を書いていた張本人だ。
元本は公文書館に保管されているが、祖父は個人的な写しを作って書庫に並べていた。
「君の家に?」
エリックはさっと顔色を変えて、シュゼットの肩を掴んだ。
「どうして、個人の家に宮廷録があるんだ。まさか盗んだのか?」
「いいえ。家にあるのは写しなんです。高等文官である祖父が私的に持っていたのを保管してあるんですよ。調べてみなければ分かりませんが、ある可能性は高いと思います」
「頼む。探してもらえないか。どうしても必要なんだ」
必死な様子に、シュゼットは心を打たれた。
(素敵な作品を生み出すために、たくさん努力されているんですね)
大好きな作家の力になれるなら本望だ。
「分かりました。事情があってすぐに探すことはできませんが、見つけたらお送りします」
「助かる。君の名前は?」
「ええっと……」
王妃シュゼットとは名乗れない。
嘘つきだと思われるだろうし、王妃本人だと暴かれたらなぜ宮殿の外にいるのか問題になる。
(なにか別の名前を)
とっさにメグや侍女たちを思い浮かべたが、勝手に使うのは気が引ける。
なので、目の前にいるエリックの本から拝借することにした。
「私は〝シシィ〟と言います」
シシィは『拾われ妃の宮廷日記』の主人公エリザベートの愛称だ。
自分の小説の名前を使われていると思わないエリックは、少しも疑うことなくシュゼットが持つ本の裏表紙を開いた。
「ここに出版社の住所がある。俺への手紙や小包はここに送ってもらいたい。すぐに返事を書いて送る」
「お手紙を出してもいいのですか?」
きょとんとするシュゼットに、エリックは小さく笑う。
「君だけだ。ファンレターは担当者が読んで返事を書いているが、君からの手紙だったら俺が自分で読む。先ほどの様子だと、まだまだ感想を言い足りないだろう?」
「はい!」
憧れの作家とのつながりにシュゼットは舞い上がった。
本人から新刊を手渡されて、感想を読む約束をしてもらえて、次回作のお手伝いができるなんて、こんな幸せなことがあるだろうか。
「できるだけ早く探します。私の住所は――この図書館でもいいでしょうか?」
「何か理由が?」
「私は結婚していて、男性からの手紙をもらうと夫が怒るので……」
そういうことならと、エリックはこの図書館を窓口にすると同意してくれた。
ガストン先生にお願いして宮殿に転送してもらえば、正体を明かさずに手紙のやり取りができる。
「では、また」
立ち上がったエリックは、春風に吹かれながら歩いていく。
広い背中を見送りながら、シュゼットは秘密の約束に胸がときめくのを抑えられなかった。