23話 見知らぬ恋人たちの危機
堅牢そうな城壁を見る。
目の前の脇門はおんぼろだった。亀裂が入った壁は補修されていない。
正門と裏門には、鎧を着こんで槍を手にした門番が何人も並んでいる。
しかしここの門番はたった一人。
槍を壁に立てかけて鉄の鎧を脱ぎ、稽古で太くなった指に細い縫い針を握っている。
(こんなところで針仕事でしょうか……?)
生垣に隠れながらシュゼットは脇門に近付いていった。
門番の独り言が聞こえてくる。
「あー? なんでこの糸がここに出てくるんだ?」
『なんでって、あんたが変なところを刺すからじゃない!』
とげとげしい返事をするのは、握られている縫い針だった。
聞こえていないことをいいことに、刺繍糸をたぐって途方に暮れる門番に罵詈雑言をぶつけている。
『あんた不器用なのよ! それなのに、どうして恋人への誕生日プレゼントにお手製の刺繍を入れた手袋をあげようと思ったわけ!?』
「無謀だったんかな、おれが刺繍なんて。でも、あの子はそういうの好きなんだよな」
『そういうときのために職人がいるんでしょうが! 馬鹿じゃないの!?』
「でも、店に頼むと高いし……。自分でやって浮いたお金で、誕生日にはいいレストランで食事させてやりたいんだよな。なんとか間に合わせないと」
『ほんっと……この不器用男が!』
ふしぎなことに会話が成立していた。
年季の入った裁縫セットを使っているようなので、誰かからの借り物かもしれない。それなら物はよくしゃべってくれる。
縫い針のおかげで、シュゼットには門番がどうして仕事を放棄して刺繍しているのかよく分かった。
(これは恋人たちの危機です。私には見過ごせません……!)
ガサッと茂みを揺らして立ち上がる。
いきなり現れたシュゼットに門番は顔を上げた。
見られて緊張するのは、今日は視線から身を守るベールを被っていないからだ。
「誰だ?」
「き、宮殿で働いているお針子です。あなたが縫い物をしているのを遠目で見かけて、気になって来てしまいました。よければお手伝いします」
「そりゃあ助かるよ。おれだとこんな感じでさ」
門番は人懐っこく笑って、赤い糸がぐちゃぐちゃに絡まった刺繍を見せた。
どんな図案を元にしているのか分からなくて、シュゼットは首を傾げる。
「これは、何ですか?」
「何って、薔薇だけど?」
「薔薇ですか」
ぱっと見、赤いダンゴムシにしか見えなかった。
正直に伝えると門番が傷つきそうなので、シュゼットはぐっと言葉を飲み込んで、赤い刺繍糸を通した針を受け取る。
「情熱的な刺し方ですね。これをいかして立体的な薔薇にしましょう。糸の絡まりを包むように花びらを一枚一枚刺繍していって、花の下に緑の糸で茎を描いて……」
シュゼットが手早く修正していくと、門番が作った赤い塊もなんとか薔薇に見えるようになった。
貴族令嬢は刺繍をたしなむものだ。
技術は母親に習うのが一般的だが、シュゼットは教えてもらえなかった。
カルロッタがやるべき課題を代わりにやらされていたので、少しできるだけである。
(おさがり品のリメイクで針は日常的に持っていましたし、これくらいなら朝飯前です)