20話 王妃教育のその裏で夫は
シュゼットの教育は、王妃専用の書斎で行われる。
深緑の壁が落ち着きのある部屋で、書き物机を挟むように置かれた本棚は難しそうな専門書でいっぱいだ。
残念ながら、シュゼットが好きな恋愛小説は一冊もない。
講義を行っていたおじいちゃん教授は、時計の針が十二を超えたところで話を止めた。
「今日の授業はここまで。次回はテストを行いますので復習しておいてくだされ」
「はい……」
シュゼットは、分厚い教本を見下ろして肩を落とした。
これはフィルマン王国の歴史書だ。
王妃はこれを全て覚えなければならないのだが、国の歴史が長すぎて全て頭に入れるのは大変なのである。
(暗記は苦手です)
来週のテストを思って憂うつになっていると、こっくりした茶色のライティングテーブルが話し出した。
『王妃様、テストのときこっそり答えを教えてやろうか? そのじいちゃんには聞こえねえんだからバレねえよ』
「ズルはだめですよ、テーブルさん。それではテストの意味がありません」
たとえ紙の上でいい点数を取って一時的に教授に褒められても、覚えていなければいざというときの役に立たない。
教授は耳が遠いのでシュゼットの声が聞こえなかったようだ。
こちらに背を向けて使った資料を本棚に戻している。
(私の力は、まだ誰にも知られていないようです)
宮殿の中には歴史ある物がたくさんある。
みんなおしゃべりでよく話しかけてくるので、シュゼットは小声で応じるようにしていた。
話し声を無視されたら、きっと物だって傷つくだろうから。
ジュディチェルリ家で両親に無視された過去を思い出していると、昼食の準備ができたとメグと世話人が迎えにきた。
シュゼットは教授に挨拶して書斎を出る。
テラスへ向かうために廊下を進んでいくと、宮殿にはそぐわない夜の雰囲気をまとった女性が横切った。
豊満な胸を露出させた服装が一瞬カルロッタに見えて、シュゼットは足を止める。
「今のは……」
先を進んでいた世話人は、鼻持ちならない様子で女性が歩き去った方をにらんだ。
「陛下が呼んだ酒場の女性だそうです。毎晩かわるがわる違う人間が来るんですよ。すぐに帰らず宮殿の中をうろつくことも多いので、いつか悪さをするのではないかと衛兵が気を張っています」
「そう、ですか」
アンドレが夜な夜な女性を呼んでいると聞いて、シュゼットの胸に陰が差した。
客間に寝泊まりしていることは何となく察していたけれど、夫婦の寝室に来ないで何をしているかと思えば、違う女性と遊んでいたのだ。
妻である自分には指一本触れないのに。
(人生は、物語のようにはいかないのですね……)