黄昏一彩の事件簿~白い手の死体~
僕は、シャーロック・ホームズに憧れるただの大学生。巷で噂のシャーロキアンだ。これは、そんな、僕、黒瀬幸人が出会った、まるでシャーロック・ホームズのようなある人との物語である。
彼の名は、黄昏一彩。通称、ジャパニーズホームズだ。と言っても、僕が勝手につけたあだ名だが。彼はその名の通りホームズにも匹敵するほどの名探偵である。
彼の事件を解くその華麗で鮮やかな手法はまさにホームズのそれである。これから紹介する事件は、彼が手かげてきた中でも単純なようだが実は複雑で、彼の実力を語るには持ってこいの事件である。それではどうぞ。
「はあ、世の中事件で溢れかえっているというのにどうして私の心を掻き立てるような単純で難解な面白い事件はないんだ。」
と黄昏は新聞を見ながら不満を口にする。
「ああ、新聞に載るものはどれも解決したものばかり。つまりは、私の手がけるに相応しい事件ではなかったということだ。」
とまたしても不満を言う。
「まあまあ、きっと今にも夜鷹警部が面白い事件を持って現れますよ。」
と僕は言った。夜鷹警部は、ここら一体が管轄で、もちろん黄昏とは顔見知りだ。僕はたまにこうして彼の事務所を訪れる。
ピンポン。玄関のチャイムが鳴る。扉を開けると今まさに噂をしていたその人物が立っていた。
「これはこれは黒瀬君。黄昏君はいるかね?」
「ええいますよ。事件ですか?」
「ああ、そうだ。しかし、もう既に解決済みだ。」
僕は解せぬ目で警部を見た。なぜ解決済みの事件を持ってくるのか分からなかったからだ。
「解決済みなんだが、どうもすっきりしなくてな。黄昏君に私の推理を聞いてもらいに来たんだ。」
「そうでしたか。ではどうぞ。」
そう言って僕は彼を家の中に入れた。
「やあ、夜鷹警部。ちょうどあなたの噂をしていたところだったんですよ。では、聞かせてもらいましょうか。」
黄昏の言葉を合図に警部が話し出した。
「今日の深夜0時すぎ頃太腿を怪我した40前半くらいの女性が顔を真っ青にして交番に駆けつけてきたらしいんです。その日、当番だった警察によると、その女性は、人を殺したと言って入ってきたそうなんです。そして、現場に行くと、地下道の階段の上に30代くらいの男性が血のついたナイフを片手に仰向けで倒れていたんです。それはそれは6段目から1番下までドーンと。そして、女性の話を聞くと、仕事帰りにあの地下道を通っていたら、その男性が急にナイフで襲いかかってきて、太腿を刺されたが必死に突き飛ばしたそうなんです。その瞬間、男の短い叫びが起こり、見てみると、階段の角に頭を打って死んでしまったと言うんです。しかし、驚くことに男性の服には女性の血痕など一滴も付いてないと言うではありませんか。そう、実は、逆だったのです。何らかの言い争いで男性を突き飛ばし、殺害した後、女性は正当防衛に見せかけるため、自ら太腿をナイフで刺したのです。こういう手の込んだ事件はたくさんありますからな。その全てを手掛けてきたこのベテラン警察である私の目はごまかせません。どうです?黄昏くん。ぜひあなたの見解も聞かせて頂きたいですな。」
聞き終えた黄昏の顔には微かな笑みが浮かんでいた。
「ほう、これは面白い。しかし、見解をお聞かせするには少々情報が少なすぎる。いくつか質問させて頂きますよ。」
「ええ、どうぞ。」
「遺体の男性の背は高かったですね。では、遺体のがたいはよかったですか?」
「ええ、それはそれは。まるで柔道選手のようなごつい体つきでしたよ。」
「では、女性はレスリングをやっている人のような体型でしたか?」
「いいえ。細身で女性の平均身長より少し低めだったような気がします。」
「では、女性は指輪をしてましたか?」
「ああしてました。でもそれがなんだってんだ?まさか、旦那から横恋慕する気か?」
「まさか。そんなことより、遺体には他に外傷はありませんでしたか?」
「ああ、そういえば何故か遺体は鼻血を出していました。まあ、事件にはあまり関係ないでしょうが。」
「ほう。鼻血ね。他に何か気づいた点はありますか。」
「遺体の足元付近に直径5cm程の丸い円の血の跡がありましたな。それが何かはよく分かりませんが。」
「そうですか。」
「あ、あと、遺体の手がおかしかったな。」
「と言いますと?」
「全身日焼けしているようなのに、手だけは白くて焼けていなかったんです。不思議でしたよ。」
「ほう、それは興味深い。では、警部、現場は事件当時のままですか。」
「まあ、一応。事件の結果は分かりきっていますが、たまにあなたが突飛な考えでひっくり返すことがありますからな。貴方に見せるまではいつもそのままですよ。」
「ああ、そうでしたね。しかし、警部。あなたのその判断は大いに正しかった。今から、私がそれを証明して差し上げますよ。」
僕たちは問題の事件現場に向かった。黄昏は、現場につくとすぐに遺体やその周辺を黙々と観察していた。その時間はわずか数分。
一通り見た黄昏は、口元に笑みを浮かべながらこう言った。
「謎は全て解けました。では、その女性と息子さんを呼んでください。」
僕は目を見開いて驚いた。しかし、それは僕だけではなかった。
「息子?どういうことだ!?」警部が言った。
「ええ、頭が良く、真面目で部活熱心な野球部で高校生の息子さんをね。」
警部は何が何だか分からない様子だったが、とりあえずその女性と存在するかも怪しい「息子」を呼ぶよう指示した。
数分後、小柄な女性と真っ黒に焼けた丸坊主の少年が現れた。
黄昏は一呼吸置いたあと、信じられないことを言った。
「犯人はあなたですね、息子さん。」
「どういうことだ!黄昏君。とち狂ったか!?」
警部のその驚き用は当然だ。僕も含めこの場にいる誰もが唖然としていた。
「いいえ、私の頭は常に正常です。では、凡人のあなた方にこの私が、ここに至るまでの経緯をご説明致しましょう。まず、警部が仰っていた正当防衛に見せかけようとしたことは間違いありません。しかし、お聞きした体格差ではどうしても、突き飛ばしても転倒させられる程とは思えませんでした。むしろ、あなたの方が転倒させられてしまいます。そして、この遺体の鼻血。恐らくこれは、階段の角にぶつけたのでしょう。ほら、頭のある1段上に少し大きめの血の跡がある。ここにぶつけたのでしょう。それに、階段の角に後頭部を打ったのであればもっと派手に血飛沫が飛んでいるはずなのに、それがほとんどない。逆に、階段の下の方にそれらが多く飛び散っている。つまり、被害者は、何者かに後ろから殴られ、前にあった階段に転倒し、その拍子で鼻をぶつけ、鼻血を出したのです。」
「しかし、それでは、尚更この女性がやったことにならないか?」
「では、警部。彼女の服に男性の血痕はついていましたか?」
「───いや、女性の血痕だけだったと鑑識から報告があった───。」
警部は何かに気づいたような顔をした。
「そう、突き飛ばし転倒させたのであれば服に血痕がついていないことにも納得がいきます。しかし、後ろから殴ったのであれば話は別です。それに、それらしき凶器は現場にはなかったのではないですか?」
「ああ、確かになかった。」
「凶器に関しては、交番に駆けつける途中で捨てたとも言えますが、それでも彼女の服から男性の血痕が出なかったことの弁明にはなりません。それに不可解な点はもう一つあります。警察に行く意思があるなら、なぜスマホを使わず、わざわざ怪我をした足で1キロ先の交番に行ったのか。恐らくその足では1時間近くかかったはず。そして、その不可解な行動はある人物の時間を稼ぐためだったのです。ここまでいったら自然とある1つの真実に辿り着きました。それは、この女性が真犯人たる人物の身代わりになろうとしているということです。身代わりになるとしたら、恋人か友人、あるいは家族と言った所でしょうか。聞くところによると、あなたは指輪をしていたようなので、家族に絞りました。友人という線もありますが、家族という線の方が濃厚だと考えました。次に私は凶器について考えました。遺体付近には凶器らしきものはなかったということは、犯人が持ち去ったということになります。この状況から、計画的な犯行ではないと判断し、自分が持っていたものか近くにあったものを使ったと推測しました。しかし、地下道には凶器となるような石や煉瓦のような類いのものは何もない。普段私も通ることがあるので間違いありません。パイプなんかは普段持ち歩くはずもない。それともう一つ注目したいのが、あの直径5cm程───正確には6.4cmだが───の血で塗りつぶされた丸い円です。私はあれが凶器の跡だと仮定しました。すると、もう私には凶器はバットしか浮かんでこなかったんです。あれはバットの先端の面を下にして置いた時に付いた跡でしょうから。まあ、他にも根拠はありますが、後ほど触れるのでここでは触れません。
バットを持っていたということは、あそこの地下道入口の隣にある公園で自主練をしていたのでしょう。その帰りにこの男性に出くわし、言い争いになった末、犯行に及んでしまったっという訳です。後ろを振り返って立ち去ろうとした被害者にバットを振り上げ、殺害した。そして、丁度そこにあなたの母親である彼女がとおりかかった。そして、それを見た母親であるあなたは息子を庇うため、うつ伏せに倒れる被害者を仰向けにさせ、正当防衛に見せかけようとしたのです。殺害時刻は深夜。旦那さんが野球をやっている線は否定出来ませんが、こんな夜中までバッドを振る奴なんてプロ野球選手くらいでしょう。ま、それも既に引退してるでしょうが。だから、あなたには野球をやっている息子さんがいて、真犯人である息子さんを庇っているのだと思ったという訳です。
では、ついでに、この被害者と息子さんの関係を当てましょう。この方は、あなたの学校の先生、かつ、あなたの所属する野球部の顧問ですね?
そう判断した理由は、服に付いた白い粉と日焼けのしてないその手です。恐らく、白い粉はチョークの粉で、その手は部活の際につけていた手袋のせいでしょう。あなたも被害者と全く同じ手だ。
どうです?私の推理に何か間違っている点はありましたか?」
全てを話し終えた黄昏はまっすぐ2人を見つめた。
「違います!この子は何もしてません!全て私がやったことです。私がこの男を殺しました。」
「もういいよ。母さん。全て黄昏さんの言う通りです。僕がこの男を殺しました。」
「動機はあなたの部活仲間の自殺ですね。」
黄昏が言う。
「そこまで分かっていらしたんですね。さすがです。
そうです。彼が自殺したのは一昨日の事でした。彼は、生徒を道具のように扱う、この非道な化け物に殺されたんです。3ヶ月前、急きょ前任の顧問が持病で退職されるのをきっかけにこの男が新たに野球部の顧問に就任しました。それからの日々は地獄のようでした。強豪校である我々は練習中でもミスは許されません。それは当たり前のことです。しかし、どんなプロ野球選手でもミスをすることはあります。尚更、我々には永遠にミスをしないなんてことは不可能です。ミスをしたら叱られる。それも当然のことで、僕らはそんな中、戦ってきました。しかし、この男は度が過ぎた。1度のミスでありとあらゆる暴言を吐き、挙句の果てには練習に参加させてもらえず、グラウンドを走らされ続ける始末。特に亡くなった僕の親友は、プレッシャーを強く感じてしまう体質で、そのプレッシャーから普段しないようなミスさえも連発するようになりました。そして、そんな彼にやつは、こう言ったのです。「お前、才能ないからもう来なくていい。」と。彼は人一倍努力家で、毎日僕とそこの公園で自主練をしていました。もちろん、プレーだって、スタメンではないにしろそれに次ぐ実力です。そんな彼の実力を否定し、潰したのは紛れもなくこの男です。
僕は、その日の帰り、偶然やつに出くわしました。前にも何度か道で会ったことがあるので、恐らくこの辺に住んでいるんだと思います。その時は酔っている様子だったので、恐らく飲んだ帰りだったのでしょう。僕は怒りに任せ、彼とそのご家族に土下座して謝れと言いました。しかし、この男はこう言ったんです。「俺の指導のどこが間違っていたんだ。お前たちが俺の言葉をきちんと理解しないからだ。」と。理解?能無し、役立たず、飯を食う資格もない、、これの何が理解だ。ただ僕たちを貶めるための暴言でしかない。本当に許せなかった。こいつは悔い改めるどころか、自分の行いを正当化し、挙句の果てには僕たちの責任にした。本当に彼がいたたまれなくて仕方なかった。だから、僕が彼の無念を───。
黄昏さん。あなたの推理は素晴らしかった。ただ、1点間違っている部分がありました。確かにそこの公園で自主練するのは僕の、いや、僕たちの日課でした。でも、昨日は違います。あの時の僕にバットを振る気力なんて1ミリもなかった。ただ、いつも通り行けば、あいつがいるような気がして、待っていればいつものように現れるような気がして。だから、公園に行って、ずっと1時間あいつを待っていました。現れるはずないのに───。
殺した後は、黄昏さんの推理通りです。偶然仕事帰りの母が通りかかり、僕は母にそこを任せ、急いで家に帰りました。」
彼が話している間、真剣な顔で聞いていた黄昏は、彼が話終えると、ふと母親の方に目だけを移動させた。
「あのナイフですが、あれはお母さん、あなたの所持品ですね?」
「はい。昨日は残業で夜遅くまで残っていました。普段は旦那に迎えに来て貰うのですが、その日は飲みがあったので。そういう時は、一応護身用にその折りたたみ式ナイフを持ち歩くようにしていました。」
事件は解決した。だが、僕にはまだまだ分からないことだらけだった。
「黄昏さん、あなたは遺体の男性を見てもいないのに背が高いと断定していましたね。なぜですか?」
「ああ、それは簡単さ。あそこの階段の1段の角から角までの距離は約30cm。そこに下から6段まで覆いかぶさっていたと聞けば、背が高いことは容易に想像がつく。あそこは普段通るからね。」
「僕も通りますけど30cmなんて正確な数字出てきませんよ。」
「いつも言ってるだろ?大切なのは、常に観察する目を持つことだって。」
「では、どうして息子だとわかったんですか?それに、あれほどまで正確に特徴まで当てて。娘の可能性だってあったんじゃないですか。」
「凶器から野球をやっていることは分かった。この近くには偏差値が高く野球が強い男子高校もあるし、あんな夜中までバットを振るなんて熱心な証拠だよ。それに、女性がこんな夜中に公園まで来てバットを振るとは考えにくい。」
「じゃあ、動機は?」
「ああ、あれは、今朝の新聞に、彼の通う高校の野球部の生徒が自殺したという記事が載っていたんだよ。強豪校というと話題にもされやすいからね。」
「ナイフが彼女のものだったのは?」
「君は質問が多いね。少しは自分で考えたらどうだい?」
僕は頬を膨らませ沈黙した。
「はあ、全く仕方ないね。消去法だよ。あの中では彼女しか有り得なかった。それだけだ。全ては、あらゆる可能性を否定し消去した上で、残ったものが真実だった、というだけさ。」
僕はまだまだこの人の足下にも及ばない。でも、頑張ってワトソン博士くらいには昇格したい。そして、いつかはこの人と肩を並べられるようになりたい。
僕のジャパニーズホームズへの道はまだまだ続くのであった。