嵐のようなアナウンサー
私は自分の妄想たるアナウンサーとパソコンの画面を眺めた。
すると自分の部屋の景色が様変わりした。
「私は技術者だった父親と、鹿児島市出身の母親のもと、当時の父の赴任先だった秋田県で生まれたようだ。小学生の時に東京へ移り、小4から再び秋田へ。中学進学後再び東京へ戻った。」
「『友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること』という父親の方針のもとで育ち、子供の頃からスポーツ好きだったようだ。陸上競技の記録を伸ばすことばかり夢中になり、成績は体育だけが跳び抜けて良く、それ以外は平平凡凡のスタイルだったみたいだね。陸上では世田谷区大会で優勝したことがあるぞ!。すごいじゃないか!」
自分の過去が進むにつれて喜びはしゃぐアナウンサー。
そして過去を知るごとに自分の部屋の景色も変わっていった。
「高等学校では陸上部に所属した。高校生時代は100m走で10秒9の記録を出したこともあるぞ。・・・しかしある日父が先生に「陸上部辞めたら学校も辞めなければいけないのか」と相談していた事を聞き、これをきっかけに勉強と陸上の両方を頑張るようになったのか。」
子供のように一喜一憂するアナウンサー、そして景色も変わる。
「大学進学時、『スペイン語を学ぶ』と言い、また中央大学には『陸上部で嫌いだった先輩が行ったから』という理由で進学せず、上智大学を受験するも不合格、かぁ~たまらんなあ」
苦笑いしながらも悔いのなさそうな顔でアナウンサーは呟いた。
後悔はないのかい?自分は彼に尋ねた。
「後悔も何も私は君の妄想だぜ?今更何も変わらんさ。それにもしこの時に戻っても私は同じことをするだろうよ。それが人間ってもんさ。」
そういうもんだろうか。
「そういうもんさ最終的に獨協大学フランス語学科へ進学した。獨協大学でも陸上部に所属し陸上競技会に出場した後、東京都陸上競技連盟から国体出場の通知を受けたこともあるぞ。しかし大学陸上部は2年で退部。足を怪我したことや、当時バンド活動で十分稼げるようになっていたからだというがそんなにバンドで食えたもんかね?。バンドではボーカルとベースを担当、デパートの屋上のビアガーデンでビートルズの曲を演奏するアルバイトをやっていたみたいだ。」
「しかしバンドなんか関係なく自分の将来への道が決まることになる。幼い頃から吃音症に悩まされ、また秋田出身であることから訛りもひどかったこともあり吃音を克服するため、あえて喋ることを仕事とする道を志したためアナウンサー職に就いたのさ。」
やけにあっさりしていますね。幼い頃から悩まされていたのに。
「ネットの情報なんてそんなもんさ。そして私は夢をかなえてオリンピックの生実況したんだめでたしめでたし。」
終わり?吃音症をそんなあっけなく道端の雑草のように言ってこれで終わり?
もっとないんですか吃音に対するエピソードは?
「そんなもの現実の私しかわからんよ。ようするにだ。私は吃音症というスキャットマンジョンが言っていた大きな象にあえて向き合う選択をしたのだよ。」
・・・苦手だからこそ自分のモノにしようと?
「そうさ、私が最後に言いたいのは人一人ひとりの向き合い方が吃音症にはあるってこと!」
・・・スキャットマンジョンも晩年にはそう言っていました。
「答えが出ているじゃないか。私のこの後のエピソードは吃音症に関係ないからもういいね!
明日は君の心に晴れマークが出るのかなアマタツゥ!」
そう相変わらず大きな声で言ってアナウンサーの妄想は消え去った。部屋の景色もいつも通りの自分の部屋だ。好きかって言って言いたいことだけ言って消えていった嵐のような人だった。
・・・・明日は復職支援センターにでも行ってみよう。少しだけ前向きになれた気がした。