スキャットマン・ジョン
この老人は何を言っているのだろうか。
結局自分を馬鹿にしているのかと口を開けかけた私を老人は制した。
「私がベルリンに移住した時だ。巨大モールの内部からディキシー・ミュージックが聞こえてきた」
ディキシー・ミュージック?音楽には過分ながら詳しくないのだが。
「ジャズの一分野と思えばいい。私は耳を疑った。当時アメリカでは一般的に受け入れられていなかったからだ。近付いてみると、モールの小さなスペースでジャズバンドが伝統的なウェスタン・サウンドを演奏し、多くのドイツの人々はその演奏を見守っていた。」 ふむう?
「私はその光景に感動を覚えた、そしてすぐにステージで演奏したいとその場で申し出てた。すると快く許可をしてくれた。ピアノと歌を披露、ここで初めてスキャットを盛り込んだ曲を披露した。」
スキャット?
「主にジャズで使われる歌唱法で、意味のない音をメロディーにあわせて歌い方だよ。歌というよりも声を一つの楽器として表現することが目的である。日本人の君なら芸人殺しの部屋といわれている番組のテーマ曲とかに使われているだろう」 ルールルてやつだな。
「その時は感動と感激でいっぱいで気この曲を披露することでいっぱいで演奏した後のことなんか考えていなかった観客の反応とかね、ただ心のままに演奏することだけを考えていた。」
観客の反応はどうだったんです?
「演奏し終わる頃には長く本当に長く大きな拍手で盛大な称賛を受けていた。この日を境に私は私の音楽に自信を持てるようになった、スキャットすることで吃音症から自由になれたんだよ。大きな象を倒すのではない、受け入れることにしたのだよ。」 ・・・すると音楽家として成功したと?
「それはまだまだ先のことだよ。折しも不況のあおりを受けてね。私は、妻と一緒に仕事を求めてベルリンへ移住した。そこのホテルでエージェント(・・って言ってもわからないか求職者の支援サービスをする人みたいなもんさ)に仕事をもらって日々を過ごしていた。」
音楽家って仕事があるもんなんですね。
「ドイツのホテルのバーとかでは定番さ!ともかくそのエージェントに妻がスキャットソングが数曲入ったカセットテープを渡したのが運命の転換期だった。」
ほほう。
「そのエージェントは何気なしに車の中でそのカセットテープを聞いてすぐに車の中から電話をしてきたんだ。私のスキャットとテクノヒップホップと融合して歌ってみないかいとね。」
テクノヒップホップとは最近な感じのニュアンスですね。
「私自身はその案にまったく自信が持てなかったし懐疑的だったけど、同じ案を当時の音楽配給会社に持ちかけるとOKをもらっちゃってね。まったく参ったよ」
何故です?いきなりスターへのチケットをもらったんですよ?
「それこそ君が分かることだろう。同じ悩みを持つ君が。歌だけならいいよ。でもインタビューとかを受けたらはどうする?、必ずどもるだろう。きっと笑われるよ。みじめな姿をさらしたくない。」
あっ・・・
「わかるだろう?もし万が一売れたとしたらテレビショーやらラジオやらに出演しないといけないんだよ?もし万が一観客の前で私のどもりがばれてしまったら。次から次へと沸き上がる悲嘆的な私の心は すっかりパニック寸前だった。もしかしてこのシングルがヒットしたとしたらと思うといよいよあの大きな象に向き合わなければならない時が来たのかと。ずっと、自分の心の奥の方に隠し持っていた現実と向き合わなければならないと私の心は悲鳴を上げていたよ」
・・・失言でした。いつも自分の頭の隅にあることだったのに。
「かまわないとも!そもそも君を励ますために私は現れたのだから。」
・・・でも出演したのでしょう結果的に。どのようにして踏ん切りをつけたのですか?
「最愛の妻だよ。私は私のすべてを妻にぶちまけた。じっと私の話を聞いてくれた妻は、『あなた自身のその大きな象を、 曲の中で直接伝えればいいじゃない』と助言してくれたんだ。この時から、妻はは吃音についても、私の良き理解者となったという。私達で考え抜いて、これからレコーディングする歌の詩に、私のの吃音について書いてみることにした。そして私達はは曲のタイトルを「スキャットマン」に決め、ジョンのステージネームを『スキャットマン・ジョン』と命名した。」
スキャットマンジョン?
「そうとも。スキャットと私ジョン・ポール・ラーキンのジョンでスキャットマンジョンだ。」