第二話 夢の中で温泉宿へ行く
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――――寒い。
まず最初に夢の中で感じたのは寒さだった。体が凍り付くほどではないが、じわじわと体の芯が冷えていくような寒さを感じた。
――夢の中にいる。
次に、ここが夢の中であると気付いた。気付いてしまった。夢の中で『これは夢だ』と気付いた場合、遅かれ早かれ目覚めてしまうのがほとんどであった。ただ、今回はそうはならなかった。
(この夢は知っている……)
何度も見たことのあるタイプの夢だった。
夢の内容は至ってシンプルで、寒さを感じながら『旅に出る』といったものだ。
その時々で細かな違いはあるが、だいたい共通しているところがある。
一つは『寒さ』だった。季節はほとんどの場合が冬であり、雪が降っていたり、すでにかなり積もっていることもある。一度だけ秋の終わり頃だったこともあるが、その時は気温も低く雨が降っていた気がする。
もう一つは、私は『旅に行こうとしている』ところだ。バスや電車、飛行機などの移動手段を用いて旅に行こうとしているのだ。当然舞台も駅や空港になる。ただし、バスの場合は、街中のバス停などではなく、大きな駅に隣接したバスターミナルである。
そして、絶対に目的地に辿り着けないのも同じだった。いつも何らかの乗り物に乗り、景色を楽しんだり、あるいは寒い外から暖かい車内に移動して暖をとっている最中などに目が覚めてしまうのだ。
今回私がこれが夢だと気付いたのは駅に隣接するバスターミナルでバスを待っている最中だった。
――限りなく『明晰夢』に近いと思った。
『明晰夢』は、夢を見ているときにこれは夢であると意識している夢のことだ。
ただし、体の自由はなかった。決して拘束されていたり、怪我をしているわけではない。ここが夢の中であるという認識はあるのだが、そこまで意識ははっきりとしているわけではなく、思った通りに体を動かすことが出来ず、見えているものもぼやけて見えるものが多い。
この夢は現実の私の心象風景を映しているのだと思う。
大きな駅にしては人通りは少なく、それは人混みが苦手な私の願望を表している。
駅や空港は嫌いではない。うまく表現出来ないが、あの雰囲気は嫌いじゃない。ただ、最近は人混みを苦手に感じることが多くなった。
何処かへ旅に出るというのも、今いる場所から離脱したいという私の願望の表れだろう。
ただ、今いる場所から離脱したいと思いつつも、何処へ行けば良いのかわからない、行きたいと思える場所がないという点が、目的地に辿り着けないというところに表れているのだと思う。
バスがやってくる。始発ということもあり車内に人は居なかった。一番後ろの席に座り、バックを膝の上に乗せる。その後しばらくして私と数人の客を乗せたバスは発進し、ターミナルを後にする。
静かな車内から外を見ると雪が降っていることに気づく。私はバスの中から見る雪景色が好きだ。電車では速度の関係であまり楽しめないが、バスだと舞い散る雪景色を見ることが出来る。美しい景色と社内の暖かさに心が落ち着いていく。
ラッシュ時の人で埋め尽くされたり、学生が騒いでいるバスは嫌いだが、人が少なければそうではない。大学時代、研究が長引き終電で帰るときのバスは独特の雰囲気があり好きだったし、バスを降りたあとの静まり返った街並みも好きだった。
そして同時に残念だな……と思った。何故なら、そう遠くないうちに目覚めの時が来ることが分かっていたからだ。
いつも目的地に辿り着けないのだ。実際何処へ向かおうとしているのか、あるいは何処へ行きたいのか、そのイメージがまったくといっていいほど湧いてこない。車内からはバスがどこへ向かっているのかわかるような情報もなかった。たいていのバスは電光掲示板に料金や次の停留所、終点などが表示されているものだが、それらを確認することは出来なかった。というのも、夢の中の私はずっと景色を見ているからだ。
(まあ……それも良いかもな)
今回の夢は異性との出会いや、『異能』や『オカルト』こそなかったが、静かな街並みや美しい景色を堪能できただけ良かったと思う。最近はどこへ行っても人が多いと感じる。実際には年々人口は減少傾向にあるそうなので、私が人混みを煩わしく感じるようになっただけだと思うが。
夢の始まりから変わらず体の自由はないままだが、意識はそれなりにはっきりとしてきた。そのせいで気付かなくても良いことにも気付いてしまう。いや、その後のことを思うと、気付くことが出来て良かったのかもしれない。
――――暑い……。
シンプルに暑い。突然感じた暑さにじわじわと汗が出てくる。決して車内が暑いわけではないと思う。外は雪が降っているし、人の少ない車内は暖房が効いているとはいえ暑いというほどではないはずだ。
夢の中の私もこの暑さはたまらないのか、ダウンジャケットのファスナーを下ろし、着込んだ服のボタンを外す。それでも暑い。そこで私は『異変』に気付く。
(これは……、現実の私が暑さを感じている……!)
現実の季節も夢の中と同じで冬だ。おそらく寝ているときに寒さから布団にくるまったまでは良いが、そのままの姿勢で寝続けているせいで熱がこもってしまい暑くなり汗をかいているのだと思う。
私は雪国で生まれ育ったこともあり寒さには強いほうだと思う。ただ、暑さには弱い。そのせいか夢の舞台も夏は少ない気がする。あったとしてもクーラーの効いた室内だったりする。
今頃現実の私はびっしょりと汗をかいていて、目覚めた後の後始末を考えると憂鬱な気持ちになる。せっかく良い夢を見ているというのに……。
(もういい目覚めてくれ!)
そう思うが目覚める様子はなく、夢の中の私はバックから飲み物を取り出そうとしている。しかし上手く取り出すことが出来ずに苦戦する。夢の中あるあるだ。ずっと何かに手を伸ばすが届かない感覚。おそらく現実の私も手を動かしているのだと思う。そうして悪戦苦闘しているとバスが止まっていることに気づく。
――――終点、終点……。
車内に終点へと到着したことを告げるアナウンスが流れる。
このタイプの夢としては初めてとなる目的地への到着だが、夢の中の私は暑い車内から抜け出したいのか急いで支払いを済ませてバスを降りる。
車外へ降り立つと、外は雪が降っており、辺り一面に雪景色が広がっていた。
地面にはかなり雪が積もっている。夢の中の私は長めのスノーブーツを履いているが、あまり除雪されていない雪道は雪国に慣れた身でも足を取られそうになる。
(ここは……知っている)
見知った景色だった。十年ほど前に来たことがある温泉街だろう。数年前に流行ったアニメの影響でメディアに取り上げられ、アニメと様々なコラボをしたこともある……というか現在も続いていたと思う。当時の私はそのアニメを知らず、温泉宿に泊まった時に従業員の方から聞かされて知ったが……。
(綺麗だな……)
雪と風が少し強くなったことでさらに雪景色が美しく感じられた。
少し進んだ先の道路はそれなりに雪が積もっていたが、人がおらず車も走っていない雪道はそこまで歩き辛くはない。
雪の多い地域で暮らしている人とそうなでない人との間では、雪に対する認識が違うと思う。
前者は雪に対して煩わしさや嫌な感情を抱くことが多いと思う。
雪が積もれば交通機関に支障が出るし、除雪作業は辛い。地方では流通が止まることもあるし、日常生活に支障をきたすことも多く、ある程度備えがなければ辛い思いをすることもある。
後者は雪に対して幻想や憧れを抱いている人が多いと思う。都会で暮らしはじめて一年目の冬に雪が降ったのだが、周りの人と感覚が違い驚いたことを思い出した。数センチ程度では積もったとはいわないと思う……。
(人のいない温泉街か……)
それなりに吹雪いてきたこともあって宿泊客は宿に戻っている、あるいは初めから外出していないのかもしれない。
そうして私が景色に感動していたところでその感覚はまたもや突然やってくる。
「さっむ! (寒いな……!)」
多少の差異はあるが、夢の中の私と現実の私の感情が一致した。夢の中の私は吹雪きはじめた外にいるので当然の感情だと思うが、現実の私も違和感に気付いていた。
(今度は現実の私が寒さを感じている……)
夢の中の私は寒さに体を震わせてるが、私の感覚ではそこまでではない。
おそらく現実の私が汗をかいたことによる不快感から寝返りを打ったか布団を払いのけたのだろう。室内とはいえ、真冬に汗をかいたまま放置していれば一気に冷やされ寒さを感じる。その影響が夢の中の私に出ているのだと思う。
夢の中の私が歩き出し身近な建物へと入っていく。
そこは温泉宿ではなく、温泉街にある自販機コーナーのような場所だった。屋根付きの建物の中には自販機が五~六台ほど設置されていて、自動ではないが扉が付いていたことにより雨風や雪をしのげるようになっていた。バス停の近くにあることからも待合室的な意味合いもあるのかもしれない。
こういう場所は、設置されている自販機の数とスペースにもよるが、熱がこもり冬場でもそこそこ暖かかったりする。逆に夏場は熱がこもるせいで、長時間いると熱中症になりそうになるが……。
おそらく寒さから逃れるためにここへ入ったのだろうが、その原因が現実の私にあるので解決はしない。
もうこの時点になると、現実の私の過去の体験や記憶から夢が作られるのではなく、直近の体験から現在進行形で夢が進んでしまっている。夢体験歴の長い私はこういう展開はあまり好きじゃない。
夢の中の私は財布を取り出し自販機で飲み物を買おうとしていた。今度はスムーズに取り出し、お金を入れて自販機のボタンを押す。
出てきたのは温かいココアのような飲み物だった。現実では見たことがないものだが、缶に描かれたイラストからココアなのだろうと思う。取り出し口から缶を取り出し、すぐには飲まずに両手で缶を持って手を温めはじめた。
寒さに震えながら温かい缶を両手で包み込んでいるところでその感覚はやってきた。
――目覚めの時が近い。
ただ、今回は前日に見た夢の時のような名残惜しさはなかった。もう充分堪能したし、なにより寒い。
体感的に結構寒くなってきていたことと、おそらく汗をかいたことによる『冷たさ』も感じていたので、そろそろ目覚めても良いんじゃないかとも思っていた。
唯一心残りがあるとすればココアを飲んでいないことだった。その時々によるが、夢の中でそれなりに意識がある場合は食べ物の味もわかることがある。今回は寒さを感じていたのでおそらく味がわかるタイプの夢だと思っていたのだが……。
(まぁ……寒さは現実の私が体感していることだろうしな……)
そんなことを思っていると、外の白い雪景色に少しずつ黒いヒビが入りはじめ、次第に夢の中の私と現実の私の意識が混ざり合い視界が暗く染まっていった。