7.定例の儀
数日後、私は定例の儀というものに参加することになった。他の王族や神官、諸侯の前に馳せ参じるというヨウルさんとの約束を果たすためだ。
馴染みがないのでピンと来なかったが、どうやら定例の儀は政治家達が集まって話し合う場なのだという。時折白熱した舌戦を交えることもあるようで、言うなれば古代の国会だろうか。
古代の政は男の戦場で、高貴な女性は後宮の奥から一歩も出れなかったはずだ。それはここメキシコでも相違なく、王宮の中は使用人を除くとほとんどが男性だった。
政治的にも軍事的にも女性の影が薄いとなると、女の私が国会に足を踏み入れれば大顰蹙を買うに違いない。ましてやこのラカムハという国は血気盛んな人が多く、口を開けば死を想起させる言葉が飛び交うような場所だ。地雷を踏み抜いた暁には、また牢にぶち込まれて拷問……いや、もしかすると石打ちの刑に処されるかもしれない。
でも今回は王様直々に招集がかかったんだし、何かあった時はフラカンさんが守ってくれると言っていた。きっと、もしもの時は助けてくれるはず……だよね?
一抹の不安を抱えながら王宮へ向かうと、豪華絢爛な衣装に身を包んだ貴族らが勢揃いしていた。皆一様に険しい表情を浮かべて居並んでいる。
ここでは床に直座りするのが一般的で、王様であるヨウルさんも茣蓙筵に鎮座していた。草を編んだだけの質素なものに見えるが、あれが玉座なのだろう。
物々しい雰囲気が漂う中、ヨウルさんはおもむろに口を開いた。
「皆、揃ったようですね。儀礼の前にまずは吉報を。トクタン王国のツァクブ姫がご到着されました」
その瞬間、驚愕、好奇、疑念、嫌悪……様々な感情と思惑を孕んだ視線が容赦なく突き刺さった。
いつの間にか出身地の東京都はトクタンに、鷹部ユリという親から貰った名前はツァクブになり、姫という大層な肩書と身分までつけられた。どうしてこうなったのかと半日ほど問いただしたいが、ここで嘘だとバレてしまっては今までの苦労が水の泡になる。ヨウルさんのためにも自分のためにも、どうにかやり過ごさなくてはいけない。
そう決心したのも束の間、事態は思わぬ方向に舵を切った。
「な、なんと……トクタンから姫が来られたという噂は誠だったのか!」
出し抜けに一人の神官が叫ぶと、つられるように皆が「あぁ、姫様!」「我らが救いの星よ!」と口々に賛辞を交わし、わっと感涙に咽び始めた。
彼らは明らかに私を通して〝何か〟を見ていた。一体何が見えているのか、救いの星とは何なのか、その意図と意味は微塵もわからなかったけれど、目の前の異様な光景だけははっきりと理解することができた。国賓を迎えるにしては熱が入りすぎている。というより、まるで何かを崇拝する狂信者のようで、若干の恐怖、不気味さすら感じてしまう。
「ツァクブ姫」
ヨウルさんは、にこりと人好きのする笑みを向けた。
「周知の通り、貴国と我が国は長きにわたり一衣帯水の歴史を歩んできました。喜びに湧く皆の顔を見れば、その思いの深さも一目瞭然。どうぞここを我が家だと思ってお過ごしください」
「……はい。王様のご配慮に感謝いたしますわ」
口元に浮かべた笑みは、震えてはいなかっただろうか。何も知らなければ気持ち良く微笑み返していたのに、私は過去の経験から既に心得ていた。この人の笑顔には含みがあると。これは「大変だったでしょう、ぜひ寛いでくださいね」という字面通りの労りや歓迎の辞ではなく、「逃げ出したらどうなるか、わかっているよな」という脅し文句なのだ。
「おや、顔色が優れませんね。慣れない長旅でお疲れが出たのでしょう。どうぞこちらへお掛けください」
……うん、やっぱりこの人を騙すのは難しい。ヨウルさんは全てお見通しなようで、私を上座に案内しながらも「感情が顔に出すぎているぞ」と鋭い目線で訴えてきた。
諸侯らはそんなことなどは露知らず、ヨウルさんの言葉に呼応するように首を縦に振った。
「姫様のご心労が祟るのも無理はない。昨今は蛇王国が不埒な動きを見せておるではないか」
「あぁ、忘れもせぬ……! 今から十年前、我らを地獄へ追いやった悪魔どもめが!」
「おのれ蛇王国、蛇王、このまま生かしてはおけぬ!」
へ、蛇王国!? 蛇王!? 突然飛び出したファンタジーチックな名前にぎょっとしてしまったが、幸いにも見られてはいなかったようだ。むしろ議場はどんどんヒートアップし、外交、軍事、経済のことにまで話が及んだ。
この時代の人達は寡黙で理性的かと思えば、些細なことで驚くほど涙したり瞬間湯沸かし器のようにすぐに怒り狂ったりして、本当に感情に素直で情緒が不安定よね……。感性に乏しければ国の内情にも疎い私は、彼らの話に着いていくので必死だ。仮に聞き取れたしても内容までは理解ができないので、政治家の凄さを身に染みて感じた。いや、古代でそれを実感するって、全くおかしな話なんだけどね。
「蛇王国はこの地に跨る河川の領有権を欲しています。間違いなく、そう遠くないうちに再び我が国の脅威となるでしょう。そのために――パカル、お前の意見を聞いておきたい」
ヨウルさんは至極当然の如くパカルさんをじっと見つめた。その瞳はどこか試すような、挑戦的な色を映している。
いやいや、ヨウルさん……! それは無理があるでしょう! いくら年齢のわりに頭が切れるといっても、パカルさんはまだ年端もいかない子どもじゃない。政治を理解して王様に提言するなんて所業、到底できるとは思えないんだけど……。
けれど、ハラハラしているのは私だけだった。パカルさんは顔色一つ変えず、むしろその問いかけを予想していたかのように毅然とした態度で答えた。
「乾季は川の水量が減り、軍を進めるには絶好の機会となりましょう。蛇王国は間違いなくそこを狙って来るかと」
「となると……三月か四月に動き始めるでしょうね」
見立てが一致していたのか、ヨウルさんはどこか満足げに頷いた。
「十年前、我々は屈辱的な大敗を喫しました。麗しきラカムハの地が戦火にさらされ、多くの無実の血が流れた……しかし、此度は違う。我が国は小国小民なれど軟弱ではない。今すぐ国境沿いの防衛を強化し、兵と武器を備え、兵糧を蓄えなさい」
淀みなく宣言したヨウルさんに、パカルさんも諸侯らも平伏して御意を示した。私も慌てて頭を下げたけれど、敵と堂々対峙せよというその言葉が頭から離れなかった。
物騒だ、怖い、と安全地帯から傍観していたのに、無情にも一気に現実に引き戻される。この地にいる以上、この時代にいる以上、否が応でも私は血生臭い戦渦に巻き込まれていくのだと、諦念にも似た感情を抱いてしまった。
西暦610年の晩春、ラカムハは戦乱の気配に飲まれていく。