6.古代のサッカー
「王弟様、もしや競技場に行かれるのですか?」
「あぁ、今日は時間ができたからな。王族たる者、やはり神聖な場には出向かねば示しがつかぬだろう」
「……まさか、王弟様ご自身が出られるおつもりで?」
「馬鹿も休み休み言え。俺はまだ死にたくない」
パカルさんを先頭に、フラカンさん、私の順に並んで競技場まで歩いて行く。聞けば、宮殿からはさほど離れていないらしい。
それにしても、さっきから二人の会話を聞いていると「死ぬ」やら「死体」やら恐ろしい言葉がポンポンと出てきて、この国の物騒な一面をまたもや垣間見てしまった。私も最初から処刑されそうになったし、本当ラカムハって掘れば掘るほどおっかない風習がよく出てくる国よね……。
「ツァクブの故郷でも球技はあったのか?」
「はい、たくさんありましたよ。野球、サッカー、バスケ、テニスとか。人気なのは昔から野球とサッカーですね」
「よくわからんが、それなら話は早そうだな。我が国の球技を教えてやろう」
パカルさんはまだこの地に不慣れな私を気遣ってか、ご丁寧に一つ一つルールを話してくれた。たまに野球好きの父と観戦に行っていたこともあり、スポーツを見るのは好きだったので期待を込めて彼の話に耳を傾けた。
だけど、これが聞かなきゃ良かったと後悔することになるとは……。
まず、球技スポーツには試合に用いる球が必須で、この国ではそれは重いゴム製のボールなのだという。フラカンさんは「たまに人の頭も使われていた」と言った気がしたけれど、その話はとりあえずスルーした。
ルールは至って簡単。空気が入っていないそのゴムボールを、手や足を使わず腰だけで高所に設置されたゴールに当てられたら得点が貰えるというもの。コートはアルファベットのH状をしていて、現代のサッカーに通ずるものがある気がする。
しかし、やはりそこは血生臭い古代。他の一般的な球技同様、二チームに分かれて試合が行われ、負けた方には罰として死が与えられる。わかりやすく言うと、負けたら殺される。なんてシンプルなルールなんでしょう! 絶対やりたくない!
そういえば、フラカンさんはパカルさんがこの球技に参加するか否かをしきりに気にしていたけれど、それはこういう背景があったのね……。それでパカルさんは「まだ死にたくない」と。罰ゲームは王族でも貴族でも関係なく受けなきゃいけないなんて、ある意味平等だけど後味の悪い話だわ。
それにしても、何が怖いって、法治国家で生まれた人間からは到底信じられないほど、死というものがこの国では身近にありふれているということ。彼らは王族でもお金持ちでも平民でも、何かにつけて死ぬことを真っ先に考えている。感謝するために死ぬ、詫びるために死ぬ、間違えたら死ぬ、負けたら死ぬ。そんなことが日常的に行われていて、なおかつそれが当たり前で名誉なことだと思い込んでいる。
まぁ、たまにパカルさんみたいに正直な人もいるみたいだけど、それこそ彼だって王様のヨウルさんに命令されたなら、歓喜の声を挙げながら死んでいくのだろう。
だからだろうか。ラカムハの人々は、死後の世界という概念を心から信じているようだった。善行を尽くした王は一度死ぬと、死後の世界に進み、土に還って行く。そうして芽吹いた草木から、この世界をまた見守り続ける。王でない者は、生前の行いによって天国に上るか地獄に堕ちるかを振り分けられる。
きっと、すぐに点いては消えてしまう灯火のような命に価値を見出すより、死後の世界というものに希望を持ち続けた方が報われる世の中だったのかもしれない。善い人が良い所に行き、悪い人が悪い所に行く。持っている者は虐げられ、持たざる者が幸せになれる。そんな現実では起こり得ない勧善懲悪が、死後ではきっと果たされるのだと信じているのかもしれない。
ここでは死ぬと永遠の命が約束され、現代では一度死ぬとそれっきり。人間の命が悲しいほどに軽いのは、古代と現代、一体どちらなんだろう。
「ツァクブ、我が国の伝統競技はどうだ。やりたければ許可するぞ」
「いえ、王弟様! 私では力不足故、勿体ないお言葉ですが遠慮しておきます!」
「そうか。まぁ、男でも大怪我をするんだ。女子どもはやめておくに越したことはない」
……なんだ、本気じゃなかったのね。ちょっとほっとした。
というか、小学校高学年くらいの男の子が身に纏うオーラじゃないからついつい忘れがちだけど、彼の言う「女子ども」の後者の方にパカルさんも属していると思うのよね。なのに至って真剣に、かつ慣れた口調で諌められちゃった。
思えば、ここに来てからやけに子ども扱いされることが多くなった気がする。現代では18歳だったからそこそこいい年だったのだけど、ヨウルさんやパカルさん、フラカンさんから見て私は何歳くらいに見えてるのかしら。
他愛もない会話を続けているうちに、競技場に辿り着いた。野晒しに作られたスタジアムは身なりの良い人たちで溢れていて、思ったより人気の高いスポーツらしかった。
パカルさんは周囲の人たちと簡単に挨拶を済ませると、コートの外に用意されていた椅子に足を組んで座り、フラカンさんと私はパカルさんを挟むようにして腰を下ろした。
「今日は4人ですか。ここのところ随分人数が減りましたね」
「近年の我が国の状況を鑑みると致し方ない。皆競技をする暇もないんだろう」
「私もネズミが一匹ついて来たくらいで、最近はずっと仕事に追われる日々ですよ」
そう言ったフラカンさんとパチッと目が合う。ちょっと、わざとらしいわよ、と目線で訴えると、パカルさんはそんな私たちに気づいているのか気づいていないのか、そのまま話を続けた。
「だが、それももう終わりだ。きっと王が、再び春を運んで来てくださる。飢える民もいなくなるはずだ」
「……はい。私もそう信じています」
まるで自分に言い聞かせるように口にしたパカルさんに、フラカンさんは力強く頷いた。
当たり前のように話が進んでいくので完全にタイミングを失ってしまったけれど、この国で過去に何があったのか、ヨウルさんは一体どんな存在なのか、聞きたいことは幾つもあった。だけど、そもそも私は望んでここにいるわけではないし、望まれて呼ばれたわけでもない。彼らにとってはいずれ帰る客人。こちらから踏み込める領域が、その時はっきりと叩きつけられたような気がした。
開始の合図と共に競技が始まった。選手は2対2の、計4人。身体中にぐるぐると防具を巻きつけた貴族と思われる男の人たちが、サッカボール大ほどの硬いゴムボールをなりふり構わず腰で打っては弾き返しを繰り返す。
一進一退の攻防が続いた後、一方のチームがゴール付近まで走りだすと、観客からわっと声が上がり会場の盛り上がりは最高潮に達した。私も前のめりになって手を叩く。次の瞬間、一人の選手が仲間から回されたボールを腰を振り上げて打った。ボールは大きく弧を描き、高所に設置されたゴールの円にぶつかる。ダンッと鈍い音が鳴ったかと思うと、周囲は一瞬にして熱気と歓声に包まれた。
「すごい! 当たりましたよ!」
「おいおい、まだ一点だろ……それより、お前、持ってねぇか?」
「へ? 何をですか? お菓子とかですか?」
何か持ってないかと聞かれたら、女子高生の間ではコンビニスイーツと相場が決まっている。最近食べてないけど、グリカから新作が出たって話題になってたのよね。
けれど、そんな私の返答がおかしかったのか、フラカンさんはなぜかブフッと盛大に噴き出した。
「す、すみません、違いました!?」
「ひ、ひひひっ、こういう時に使うモンつったら一つしかねぇだろ! 浴びるモンだよ!」
「浴びるもの……? あ、もしかしてお酒!?」
リーグ戦で優勝した野球選手たちがビールをかけ合うわよね。スポーツで盛り上がった時に浴びるものといえば、もうこれしかない。欲しいならそうと言ってくれれば良かったのに、まどろっこしい言い方するんだから……。私はまだお酒は飲めないけど、一応これでもお父さんの晩酌を手伝ったことがあるからお酌くらいはできるはず。……あれ、でもこの時代って、ビールとかワインってあるのかしら。日本酒なんて当然ないだろうし、フラカンさんはどんなお酒が好きなんだろう。
あれこれ思考を巡らしながら「すぐに持って来ますね!」と踵を返すと、今まで黙ってやり取りを聞いていたパカルさんがやれやれと溜息をついた。
「フラカン、あまりからかってやるな」
「はい。申し訳ありません」
「……え、どういうことですか?」
「浴びるものというのは、麻薬のことだ。ツァクブ、お前の故郷にはなかったのか」
そう至極当然の如く言い放ったパカルさんに、今度は開いた口が塞がらなかった。
……あぁ、でももうこのラカムハじゃあ、身の回りで起こることにいちいち驚いていたら心臓が幾つあっても足りないわね。なんせ、負けたら死刑の国。法律なんてあったものじゃない。今更麻薬の一つや二つくらい嗜んでたってどうってことないわよね。
私は内心開き直りながら、パカルさんの問いに答えた。
「いましたよ。ヤクを好んで吸ってる人」
もれなく危ない人たちでしたが、という補足を心の中で付け足しておく。
「吸うのも良いけどよー、やっぱり尻から入れたほうがよく効くだろうよ」
……うん、驚かない、驚かない! そうよね、お尻から入れたら即効性あるわよね!
「俺は儀式でしか浴びないが、やはり下からの効き目は抜群だ。一瞬で神と同化できるからな」
パカルさんは心なしかしたり顔だ。
彼の場合、何か宗教的な儀式でそれを使うことがあるのは理解できる。王族としての仕事の一環なのだろう。だけど「神と同化」ということは、それはつまりハイになるという認識でよろしいですよね?
小学生のパカルさんと強面のフラカンさんが恍惚とした笑みを浮かべる隣で、私はただただ乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。異文化交流ってこういうことか。
「あぁ、二点目。今日はアイツらですね」
「ふん……どちらが負けても神は喜ぶだろう」
それだけ言うと、パカルさんはおもむろに立ち上がった。まだ試合は終わっていないけれど、勝敗を見届けずにもう宮殿へ帰るという。
「お供致します、王弟様」
フラカンさんは先を行くパカルさんの一歩後ろに控えて歩き始めた。最後まで試合を観戦するつもりだった私はそのまま二人を見送ろうとしたのだが、なぜか鬼のような形相のフラカンさんに「お前も来い、ドブネズミ!」と罵声を浴びせられた。無論反論などできるはずもなく、慌てて彼らに追いつくと、無言の圧力で睨まれてしまった。
次からフラカンさんが動けばすぐについて行くというルールができそうだ……。二人の後ろでぶるぶると震えた。