4.パレンケ遺跡(3)
「――困りましたね」
「あは、ははは……」
――親愛なる優太。お元気ですか。私は今、重々しい雰囲気の漂う牢屋の中で筋肉隆々な漢達に囲まれ、取り調べを受けている最中です。
「名はツァクブで、出身はニホンですか」
「そ、そんな感じです……」
いや、厳密に言えば私の名前は鷹部だし、もっと言えばユリという親から貰った下の名前もある。でも何度訂正してもきちんと発音してもらえず、もう面倒だったので途中から完全に諦めてしまったのだ。
「その装いは、ニホンでは普通なのですか」
「はい、もうバリバリに普通です。街中こんな格好してる人たくさんいますよ」
なるほど、と答えたわりに、アハウさんはなぜか腑に落ちていないようだった。周りの屈強な男達もヒソヒソと何かを耳打ちしている。何ら間違ったことは言っていない私はそれ以上弁明のしようがなかったので、黙って気まずい時間が過ぎるのを待った。
「名前も出身も我が国の者ではないとなると、非常に申し上げにくいのですが、私はあなたを異人と見なさなければならない。この意味がご理解いただけますか?」
「えぇっと、つまりその……外国人、ということでしょうか」
「それならばまだ良い方です。あなたの場合、素性が何もかも疑わしい。捕虜としてこのまま牢獄行きか、最悪の場合、間諜扱いされて処刑です」
「しょ、処刑!?」
〝最悪の場合〟を想像して絶句した。戦時中じゃあるまいし、捕虜やら処刑だなんてあんまりじゃない……! それに、こんな美青年の口からそんな物騒な言葉は聞きたくなかった……!
「私もできればそんな手荒なことはしたくない」
「何とかなりませんか!? 私、この前高校卒業したばかりなんです!」
まだ死にたくない! こんな所で殺されるのは嫌だ!!
そう一心不乱にアハウさんに泣きつくと、横からやり取りを見ていた巨漢が「無礼者!」とすかさず取り押さえてきた。鍛え抜かれたシックスパックボディに腕を捻り上げられ、体中が聞いたことのない音を立て悲鳴を上げる。アハウさんが慣れた様子で止めに入ってくれたが、これでうっかりとはいえ彼に触れることはできなくなった。何なら抱きかけていた胸キュン乙女心すらどこか彼方に消え去ってしまった。
「大丈夫ですか?」
「は、はい、何とか……」
「先程〝高校〟と仰っていましたが」
「えぇっと、高等学校のことですよ。みんなそこに通って勉強するじゃないですか。国語とか数学とか英語とか」
「……あなたの国は余程豊かだったのですね」
突然感心され、「はい?」と素っ頓狂な声が出た。この時代、学校のない国は発展途上国くらいなもので、特段珍しいものでもないだろうに。今の会話に驚く要素なんてあったかな?
「教育機関があるのは素晴らしいですね。子は国の宝です。民が平等に学問ができるのならば、国の発展は大きいでしょう。それにあなたの装いは確かに奇妙だが、その衣は特別な布で作られているようだ。裕福な出なのかと思えば、あなたの国では庶民もそれを纏うという。ニホンはよっぽど繁栄した国であったことでしょう」
急に人が変わったように饒舌になったアハウさんにぽかんとしていると、「というのが私の見解ですが、いかがですか」とこちらを見てきた。いやいや、そう言われましても……そりゃあ、一応日本は経済的に発展した国の一つだとは思うけれど……。
何と答えたら殺されないかを必死に考えた結果、私が出した答えはこうだった。
「政治家みたいですね、アハウさん。国の未来を憂う大臣に見えましたよ」
途端に横から飛んで来る数本の刃物! 危ないって! 本当に危ないから!!
どうやら私は、選択肢を間違えてしまったようだ。さっき話していた〝最悪の場合〟が脳裏に浮かぶ。生きるか死ぬかの瀬戸際に、ダラダラと嫌な汗が流れた。
「……あなたの発言には二つ訂正点があります」
「二つ、訂正点……?」
「まず一つ目は、私は政治家みたいではなく、実際に政に携わっています」
「えっ!? そんなに若いのに政治家なんですか!?」
私と二つ、三つ程度しか年が離れてなさそうだけどな。言っちゃ悪いけど、こんなに年若い青年が国を動かしてるの……?
日本では考えられない事実に耳を疑う。
「二つ目。私の名はアハウではありません」
「違うんですか? さっきのフラカンって呼ばれてたお兄さんもアハウって言ってましたけど……」
「無礼者め! アハウ様と呼べ!!」
「ご、ごめんなさい!!」
巨漢、改めボディーガード達に物凄い剣幕で怒鳴られた。
「アハウ」って呼ばれてるのに、「アハウ」って名前じゃないの? どういうこと?
頭上に疑問符を飛ばしまくっているであろう私に、彼はゆっくりと告げた。
「私は、この国の第9代王です」
「…………は?」
「こちらにおわすお方は、太陽神の末裔たるラカムハの第9代王・ヨウル様である」
「先程から黙って見ていれば、頭が高いぞ女」
「死して詫びよ」
待って待って待って……! お、王……? 王って、王様のこと!?
でも王様ってもっと威厳があって、顎髭を蓄えてて、金装飾のお召し物で着飾ってて、見上げるほど高い玉座から意見する老人とかじゃないの……? 天皇とかイギリスの女王も貫禄があるし。
アハウさん、もといヨウルさんもカリスマ性というか存在感はあるけれど、それは端正な顔立ちと落ち着いた物言いから生まれるものであって、気高さや威厳さとは少し違う気がする。私と同年代だし安易に人前に顔を出すし、自ら不審者の訊問に出向くような人が一国の王様だなんて。赤の他人だが、フットワークの軽さに心配になる。
しかも危うく聞き流しかけたけど、さっきボディーガードの人が「死して詫びろ」って言ったの忘れてないからね!? この国の人はどれだけ物騒な生活を送ってるのよ!
「も、申し訳ありません。あなたが王様だとは露知らず……どうかお許しください」
太陽神だとか9代目だとかよくわからないけど、とりあえずこの青年は良家のご子息とかではなく一国の王様らしい。
庶民の中の庶民である私は王族と謁見した経験などないので、映画やドラマで見た畏まった口調を真似し、即座に今までの無礼を詫びた。全ては自分のためである。
「いえ、構いませんよ。わからなかったのであれば仕方ありません。それより、話を戻しましょう。何かあなた自身の身の潔白を証明できる物はありませんか」
自分の名誉に関わることだろうに、そんなことはさして大したことではないといった無関心さが逆に怖い。冷静だからなのか何か思惑があるのか、はたまたその両方なのか……。
「身の潔白ですか……どういう物があればいいのでしょう」
「例えば、こういう物をお持ちであれば一番理想的なのですが」
そう言って、ヨウルさんは自身のブレスレットに触れた。澄んだブルーに華やかな装飾が施されたそれを目にした瞬間、雷が落ちたかのような衝撃が全身を駆け巡った。
「あ、あります! こういうのですか!?」
袖を捲り、あの露天商で買ったアクセサリー――翡翠のブレスレットと黒曜石の指輪を曝け出す。
5ペソ、日本円にすると約30円のオモチャが役に立つとは思えないけど、何もないよりかはマシだろうか……。
一か八かの勝負で机上に並べると、ヨウルさんとボディーガード達は信じられないといった表情でそれらを凝視した。
「こ、これは……あなたは一体…………いやまさか……」
ヨウルさんは二つを手に取り、わなわなと震え始めた。尋常じゃないその様子に恐怖が増す。
「あ、あの、何か役に立つ物はありましたか……?」
「……えぇ。俄かには信じられませんが、あなたはどうやら素晴らしい秘蔵をお持ちだったようで」
「ひ、秘蔵? お宝?」
「この黒曜石の指飾りは、我が国の原始王朝所縁の品です。輪の裏側に文字が刻まれているでしょう」
輪の裏側……? あぁ、あのヒエログリフ! あれは絵じゃなくて、ラカムハの文字だったんだ!
繋がった点と点に鳥肌が立つ。おばさんが古い品だと言っていたけれど、実際に太古のお宝で、しかもかなり値打ちのある物だったらしい。
「こちらの腕飾りは翡翠の品ですね。光沢は薄いにせよ、翡翠であることには変わりない。この二つがあれば、あなたの身の潔白は晴れるどころか、庶民よりも良い暮らしを保証できますよ」
「ほ、本当ですかぁ!?」
感極まって視界が潤んできた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった今の自分の顔は相当に酷い状態だろう。
これで解放されるの? 帰れるの? ヨウルさんに執拗に尋ねると、強く頷き返してくれた。
「あなたは今日から南の部屋をお使いなさい。何か不便があれば遠慮なく言うように」
「はいっ、ありがとうございます!!」
……あれ!? ちょっと待って!?
では、と淡々と立ち上がったアハウさんの腕をがっしりと掴む。瞬時にボディーガードから拳骨を頂戴する羽目になったけれど、私は今何をされようが彼の腕を離すつもりはなかった。
だって、「南の部屋を使え」だなんて、これからこの場所での生活を確約するような台詞を言われちゃ困るのよ!
「私、帰りたいんです! どうしたら元の場所に戻れますか!?」
「……あなたは望んでここに来たのでは?」
「断じて違います! 私はパレンケにいたんです……! 幼馴染と逸れて、探しているうちに気づいたらここに……」
知らず知らず我慢をしていたのだろうか。瞼から一粒零れた瞬間、堰を切ったかのように涙がぼろぼろと流れ落ちた。
帰りたい……会う人会う人みんな変な格好で、たまに言葉は通じないし、すぐ殺そうとしてくるし、こんな得体の知れない場所に一人取り残されるなんて絶対に嫌だ。
「……あなたは、到底信じられないようなことを次から次へと口にするのですね」
「ごめんなさい……でも本当なんです。全部」
「良いでしょう、あなたの手助けを致します」
「そうですよね、やっぱり無理で……えっ!?」
今度こそ聞き間違いかと思ったが、どうやら本当の話らしい。トントン拍子に決まっていく都合の良い展開に戸惑いを隠せない。
「帰してくれるんですか、パレンケに!?」
「パレンケ? ニホンではなかったのですか」
「旅行でパレンケに来ていたんです。まだそこに幼馴染もいると思うから、会わないと……」
「……そういうことですか」
ヨウルさんの親切心を前に、無理難題を突きつけている自覚はあった。現に彼は思い倦ねた表情を見せているし、ボディーガードの人達なんかは今にも飛びかかってきそうだ。そもそも。彼らにとって私は依然怪しい人間であることは変わらず、手を煩わせてまで生かしておく義理もないはずなのだ。
だけど、彼が……いつも私の隣にいてくれた優太がもしここに来ているなら、私だけ渡りに船とばかりに一人で帰るわけにはいかなかった。
「……二つ、条件があります」
しんと静まり返った牢獄に、ヨウルさんの声だけが木霊した。思い詰めた様子から解放され、何かを決心した力強い眼差しと視線が交差する。
「私はあなたの帰路をお守りすることを誓いましょう。ただし、機が熟すまではここで生活していただくこと。そして、三日後の定例の儀で、他の王族や神官、諸侯の前に出てくること」
「お約束していただけますか」。丁寧な言葉に隠されたその意味は、有無を言わさぬ要求だった。同意か承諾。イエスかイエス。破談することのない交渉。
その場で私に課せられた返答は、たった一つだった。
「わかりました。約束します」
ヨウルさんは表情を崩さなかった。危険だ、と本能が訴える。
この人は、紛れもなく〝王〟だったのだ。
お供を引き連れ、彼は牢獄から出ていく。
張り詰めたものが切れた瞬間、私はその場にぐったりとへたり込んだ。
認めなくては。一つの可能性を。
享受しなくては。残酷ともいえる、あまりにも非現実的な展開を。
「理解することは、同意することの始まりだ」
誰だったか、どこかの哲学者が言っていたっけ。
私は今、はっきりと理解した。
「タイム、スリップ……」