1.いざ、メキシコへ
「卒業旅行、メキシコ行こうぜ!」
始まりは、思いがけないそんな一言だった。
厳しい寒さの残る三月初旬。この時期はどこもかしこも海外旅行シーズンであり、卒業を間近に控えた高校三年生の私達も例外ではなかった。
少し背伸びをして普段行かないお洒落なカフェに入り浸り、三年間の濃密な青春とまだ見ぬ大学生活に思いを馳せていると、ふと元凶の幼馴染——叶井優太が、思い出したようにあっ、と口を開いた。
そして、冒頭に至る。
「卒業旅行、メキシコ行こうぜ」
「……はぁ?」
思わず間の抜けた声が飛び出た。
メキシコ? メキシコってあの、かんかん照りの砂漠にサボテンの国? ポンチョを着た浅黒い陽気なおじさんがギター掻き鳴らして歌ってるような、あの国?
「絶対嫌!」
「え? なんでだよ」
「なんで!? だったらアメリカに行こうよ!」
だってメキシコなんて、絶対面白くない! 何が楽しくてあんな暑くて何もない所に行かなきゃならないのよ!
「アメリカはハリウッドもあるし、ブロードウェイとマンハッタンもあるのよ? ゴシップガールの世界がそこに広がっていると思ったら、女の子なら一度は憧れる場所だもの」
セリーナのような自慢のブロンドとまではいかなくとも、聳え立つ摩天楼を後方にロングヘアを靡かせ闊歩する……なんて、何度も妄想したシチュエーションを思い浮かべながらうっとりと悦に入る。
だが、私のそんな何気ない一言に火がついたのが優太だった。
「メキシコだって古代の遺跡やうまい飯がたくさんあるし、物価も安いんだぞ! 絶対行かなきゃ損だろ! これ見てみろよ!」
捲し立てるように弁舌を振るいながら、優太は水戸黄門の如くスマホの画面を向けてきた。
目を引く鮮やかな建造物と民族衣装、タコスやブリトーといった豪華なメキシコ料理……想像だにしなかった華やかな景色と料理に、私はごくりと生唾を飲む。
「うわぁ……」
「どう? 行きたくなっただろ?」
興味を示した私に更に機嫌を良くしたのか、優太はしたり顔で頷いた。
聞けば、成田から首都のメキシコシティまでは直行便も出ているらしい。
その勢いに圧倒された私は、気がつけばメキシコの観光ツアーに申し込んでいたのだった。
▽
「「つ、着いたー!!」」
そんなこんなで到着したメキシコシティ。東京から約半日かけて漸く辿り着いたが、修学旅行でしか長距離移動を体験したことのない私達はこの時点で既にヘロヘロだった。
誰よ、直行便があるから楽だなんて言った人は! 私か!
「これからどこ行くんだっけ?」
「とりあえずこれから荷物を預けて、それから腹拵えだな」
日本で整理してきた資料に二人で目を通す。
今回申し込んだツアーは1週間のプランで、現地に着いてからは完全自由行動である。そのため、予め行きたい所をピックアップして予定を組んでいた。
一日目はこのまま首都メキシコシティに滞在し、お昼ご飯を済ませて観光する予定だ。
二日目からはまた飛行機とバスを乗り継ぎ、パレンケという町に行く。パレンケはマヤ文明の遺跡が有名で、古代のピラミッドや王のマスクが発掘された歴史的価値の高い場所らしい。
正直メキシコグルメを満喫したいだけの私は気が進まなかったのだが、自他共に認める歴史オタクの優太が興奮気味に熱弁してきたので寄ってみることにした。
優太は案の定、「明日が待ちきれない!」といった表情で目を輝かせている。
「メキシコの遺跡といえばマヤ文明のチチェン・イッツァやテオティワカンだけど、やっぱりパレンケも外せないよな。碑文の神殿に十字の神殿、そしてパカル王!」
「てお……ぱかる……?」
「パレンケの第11代王・パカル大王だよ。パレンケの歴史の中で最も偉大な王と言われていて、彼の王陵が発見されたことでマヤのピラミッドの定説が覆ったんだ」
従来、マヤのピラミッドはエジプトの王墓のような役割はなく、ただの神殿の土台だと思われていたらしい。けれど、パカル王のお墓がピラミッドから発見されたことで、その定説が否定されたのだとか。
優太は昔から歴史、特に古代史や考古学といった古めかしく土臭いものに熱を上げていた。同年代の男の子達が特撮のヒーローやロボットアニメに夢中になっている時、一人だけテレビの古代ミステリー番組に熱中していた。初恋の相手はエジプトのネフェルティティ、夏休みの自由研究は奈良の遺跡発掘。休み時間は図書館でローマ帝国の関連図書を読み漁り、中学生になると世界の古代料理を再現し始めた。
一風、いや二風にも三風にも変わっている優太は学校では浮いた存在で、唯一の話し相手は私だといっても過言ではないほどだった。
まぁ、幼・小・中・高とあまりにも長い時間を共にしたせいか、特段歴史に関心がないのに私も社会科の成績だけは常に良かったから、それは本当に感謝しかないのだが。
「へぇ……凄い発見だったんだね」
「そうなんだよ。それに、赤の女王のミイラも発見されてるんだ」
「赤の女王?」
「辰砂で赤く塗られてたから、そういう名前がついたんだよ。当初はパカル王の母じゃないかって言われてたんだけど、今は彼が愛した王妃だとする説が有力なんだ」
ふぅん、王が愛したお姫様かぁ……そういえば、ラムセス2世や玄宗皇帝にも有名な奥さんがいたし、偉大な王様には最愛の女性はつき物なのかな。
優太の古代談義に耳を傾けながらお昼を済ませた後、次に向かったのはメキシコ国立人類学博物館だった。ここも、彼がどうしても訪れたいと言っていた場所だった。
やはりと言うべきか、館内は人でごった返していた。殆どが欧米系の観光客だけど、現地人らしき家族連れも結構いる。メキシコは古代文明の遺跡が多いから、こうした博物館は世界的に人気があるみたいだ。
「マヤの展示はこっちだよ」
優太は一寸の迷いもなく、勝手知ったる顔で進んでいく。
途中、謎の人類のジオラマや大きな石像を横目にしながら、階段を上ってマヤ文明の展示フロアへと移動した。
これが今回の大本命だった優太はいたく感動していたが、如何せん展示の解説文がスペイン語なので全くわからない……。
「ユリ、あっちに行こう! 凄いのがあるよ!」
「えっ! ちょっと!」
立ち所に引っ張られるも、こうなった優太はもう何も見えていないし誰にも止められない。相変わらずゴーイングマイウェイだが、彼の思い立ったがすぐ行動精神は一朝一夕のものではないのだ。
優太のお目当てのコーナーは、同じフロアの中でもいっとう混雑していた。余程貴重な物が展示されているのだろうか。ごみごみとした人の群れに飛び込んで行くのは恐怖でしかなかったが、四方八方からちんぷんかんぷんな外国語が飛び交い、解説文も理解できないまま一人残されるよりはマシだと思い、意を決して体を捩じ込んだ。
「う、わぁ……きれい……」
気がつくと、自然とそう口にしていた。
そこにあったのは、見たこともない不思議な仮面だった。空の色とも草木の色とも違う、優美で繊細で、自由で高貴な緑青色。その表面には、幾何学模様が刻まれていた。
「おい! 早く退いてくれよ!」
どれくらいそこにいたのだろう。まるで時が止まったかのように仮面に釘付けになっていると、背後から強く押され、ハッと我に返った。
その拍子に、唯一私にも理解できる解説文を発見した。
〝Pakal the great〟
パカル大王——マヤの歴史上、最も偉大な王様。マヤの定説を覆した人物。優太の声がぐるぐると脳内を駆け巡る。
独特な青の光を放つ仮面、そして絢爛豪華な装飾品と共に埋葬された王様……きっとパカル王は、当時から人々に慕われた素晴らしい人物だったのだろう。
私は次々に雪崩れ込んで来る人塊から抜け出し、最後にもう一度振り返った。
——一瞬、仮面と視線が重なったような気がした。
博物館から出る頃には、すっかり日も沈んでいた。お腹が空いていたのでそのままご飯を食べることになったが、昼間に回った市街地ではなく、郊外で夕食をとることにした。
「いやぁ、人も凄かったけど、マヤの展示は最高だったな!」
「そうだね……なんか、イメージ変わったかも」
テオティワカンやアステカの展示も回ってみたが、やはり記憶に焼きついているのはあのパカル王の仮面。あんなに心臓が掴まれるような、心が揺さぶられる経験は初めてで、いつまでも見ていられた。
メディアで何度も取り上げられた予言のカレンダーの影響で、マヤといえば何となくミステリアスなイメージだったけれど、あの展示を見てからは芸術が発展した文化都市だったのだと窺い知れた。
「明日はパレンケに行くよな。パカル王が眠っていた神殿には入れないけど、赤の女王の石室には入れたはずだぜ」
「そうなの? じゃあミイラも見れる?」
「いや、それは無理だけど、王妃が眠ってた石棺なら見れたんじゃねぇかな」
「うーん……」
王や姫が眠っていた石室といえば聞こえは良いけれど、わかりやすくいえばお墓ということで……何かおどろおどろしいものが出てきても嫌だし、亡くなった人だって他人に土足で入ってもらいたくないだろうに。……なんて、そんなこと言ってると古代文明の発掘なんてやってられないだろうけど。
「そうだ、この後ちょっとここら辺ぶらつこうぜ」
「いいね! 私、あのお店寄ってみたいなぁ」
私はそう言いながら、道路沿いに建てられた露天商を指差した。田舎によくある何の変哲もないお店に見えるが、メキシコらしい色鮮やかで可愛い雑貨がたくさん陳列されている。しかも、どれもこれも物価が尋常じゃなく安い。市街地から離れているからだろうか?
食事を終え、露天商に移動した私は無意識に、一つのブレスレットに手を伸ばしていた。ターコイズブルーの玉石が数珠繋ぎになっており、中央に繊細な金の装飾が施されている。まるであのパカル王の仮面のようだ、と腕輪を矯めつ眇めつ眺めた。
「お嬢ちゃん、目が高いねぇ。それは翡翠なんだよ」
突然、気怠げに座っていた店員のおばさんが、片言の英語で話しかけてきた。
私は頭をフル回転させ、受験英語で培ったなけなしの英単語を必死に思い出す。
「翡翠……?」
「知らないのかい? この辺りでは、とっても高価な宝石だったんだよ」
おばさんはジェスチャーも交えながら、たどたどしい英語で教えてくれた。定かではないけれど、おそらく「昔のメキシコでは翡翠が重宝された」ということだろうか……?
途端に繋がる青色の謎。そっか、パカル王のあの華やかな青は、翡翠の色だったんだ……!
「アイシー、アイシー! これ、一つください!」
5ペソとチップを払うと、おばさんは手元にあった小物と一緒にブレスレットを渡してくれた。
「ん? この小さいのは何ですか?」
「黒曜石の指輪さ」
どうやらおばさんの曽祖母の代から店で扱っている商品らしいが、何を思ったのか「デザインが古いのか全く売れない。商品の劣化も気になるから、あなたが持って行きなさい」と屈託のない笑顔で言いのけた。
「えっ、本当に!?」
私は慌てふためいた。劣化が激しいとはいえ、腐ってもお店の商品だ。金もまだきらきらと輝いているし、シンプルなデザインも趣があってゴージャスだ。
しかし、おばさんは「良いから気にしないで」というように手を振った。
「本当にいいの?」
「どうせ売れない物だし、気にせず持っていきなさい!」
「ありがとう、おば……じゃなくて、お姉さん!」
思わぬところで得をした。気前の良いおばさんにお辞儀をして踵を返すと、ちょうど優太もお土産を買い終えたところだった。
そこで分かったのが、ここの露天商はチップは要らない場所だったということ……。海外は絶対にチップが必要だと思い込んでいたので、その事実はあまりにも衝撃的だった。
「うぅ……なんだか損した気分」
「でもいいじゃん、その指輪貰ったんだろ? さすがメキシコ、綺麗だなぁ」
優太はひょいと指輪を持ち上げると、翳すようにして眺めた。
「何か見える?」
「いんや……あっ、でもここに何か書いてるぞ」
ほらっ、と優太が指を差した部分はリングの内側だった。そこには確かにエジプトのヒエログリフを彷彿とさせる、人の顔や動物の絵のようなものが豪奢に刻み込まれていた。残念ながら、解読はできないが。
「うーん、これどうしようかな?」
「せっかくだからつけとけよ。大人っぽくてユリにぴったりじゃん」
「そ、そうかな? なら左手で試してみる……って、あれ?」
利き手ではない左手。その薬指に、指輪がすっぽりと嵌まってしまった。驚くことにサイズがぴったり同じである。なんだか今日初めてつけたにしては、やけに収まりが良いというか、違和感がないというか……まるで最初からここが自分の場所だとでも主張しているかのようだ。
若干の不気味さを感じている私とは反対に、優太は楽しそうに指輪を見ている。まぁ、デザインだけなら私も気に入っているので、悪い気はしないけれど……。
ついでに、一緒に購入した翡翠のブレスレットもつけてみることにした。あまり大きくなかったので右手に通し、何度か腕をくるくると回してみると、優太がこれも可愛いと褒めてくれた。普段から洒落っ気もなければ顔も素朴な私には、このシンプルな指輪とブレスレットが精一杯のおめかしだろうか。
それから湖畔の周辺を巡った後、日付が回る頃にホテルに帰った。時差ボケや旅の疲れを我慢していたのか、優太は目を擦りながら隣室へ入っていった。
私も明日の最終確認を済ませ、その日は早々に床についた。
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