38.結婚式と、その裏で
堂々とした馬車で貴族の面々が門をくぐるのを横目で見ながら、恐る恐るといった顔で町の人も集まってくる。
ギルフォード家・ホイットモー家の侍従はその全員を笑顔で迎えていく。
受け取るものは、おめでとうの言葉と一輪の花のみ。他はすべて断るようにと言いつけられている。
「あ、あの、」
7歳くらいの女の子と、その弟らしい男の子がやってきて侍女に声をかける。
その手に握られた素朴な花を見つけ、侍女は腰を下げて微笑んだ。
「マティアスさまと、およめさまに」
「お祝いに来ていただき、ありがとうございます。こちらをどうぞ」
野花と引き換えに、二人の胸に参加者の証、銀の羽を模したピンを着けた。きらりと輝くそれを見て、二人の目が丸くなる。
「お、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。中へどうぞ」
式場へと向かうアーチを不安げにくぐる子供たちは、花が咲き乱れる庭を見ると歓声を上げて駆け出して行った。
領主を慕う人々が、どんどん集まってくる。たくさん用意した食事も酒も、出した端から消えていく。
花の庭の中心で、マティアスは喧噪など耳に入らないようにじっと白薔薇のアーチを見つめていた。
高らかに鐘の音が鳴り響き、人々の声が鎮まる。
参加者の波が静かに割れていき、ウェディングドレスに身を包んだベルタが、ホイットモー侯爵とともにゆっくりと歩いて来た。
いつもはうつむき加減なその顔を上げ、マティアスの瞳以外は目に入らないかのように、まっすぐに見つめてくる。
参列者の拍手にも視線にも応える余裕はないようで、縋りつくような目をして近づいてくるベルタに手を伸ばす。
そっとその手が重なると、侯爵はマティアスに一礼してベルタを手放した。
「娘を、よろしく頼む」
小声で伝えられた父の言葉に、マティアスは頷き、ベルタはうっすらと涙を浮かべた。
参列者からの祝いの言葉と拍手に包まれて、二人は顔を見合わせて幸せに微笑んだ。
「ポーリーン様!」
「あら、リュカ。どうだった? ベルタ、綺麗だったでしょう?」
少し離れたところで様子を見ていたポーリーンは、満足そうな顔でリュカの頭を撫でた。その手から恥ずかしそうに避けながら、リュカは唇を尖らせた。
「綺麗だったけど! 人が多すぎて近づけないよ!」
「そうね、貴族連中も近づけてないわね」
ベルタもマティアスも、お祝いに来た領民に取り囲まれてどこにいるのかすらわからない。いや、多分人の山の中心にいる。
ベルタの家族も他の貴族も、その様子を微笑ましく見守っており、割って入るような者はいなかった。
「まぁでも僕はいいんだ、ベルタには朝会ったから。それより、」
そこでリュカは言葉を切った。じっと門の方を見つめたまま動かない。
どうしたのか、とポーリーンが視線をたどると、そこには久しぶりに見る夫の姿があった。
「――クロード……」
オクレールは、ポーリーンと目が合うと一瞬泣きそうに表情を歪め、直ぐに作り笑顔を浮かべてゆっくり近づいてきた。
リュカがポーリーンを背中に隠すように間に入ると、彼女はそれを手と視線で制して立ち上がった。
「いらっしゃると思ってましたわ。婚礼に出席されるのに、妻が横にいないのでは格好がつきませんものね?」
普段のポーリーンとは違う、静かだが棘のある物言い。公爵はふっと視線を逸らし、「いや」と呟いた。
「格好がつかない、か。言われてみれば、そうだな。……」
オクレールは今気付いたというように数回頷き、きつく眉間にしわを寄せてポーリーンを見つめた。
「……もう、格好をつける必要もない」
「どういうことです、社交界きっての伊達男が」
軽く馬鹿にしたような口調になってしまった、と思わず唇を手で押さえかけたが、オクレールはそれを気にする風もなく、自嘲的に笑った。
「みっともない男だと、噂されている」
「まさか」
腐っても公爵。貴族においては、愛人を作ることなど珍しいことでもなく、ご婦人方の交流の種になることはあってもそれが品位を落とすようなことにはならない。例え、それによって傷つく者がいたとしても、「そういうもの」なのだ。
「噂されるのは、お好きではなかったんですの? 恋多きオクレール公は」
「――自分でも、そう思っていた、が……」
歯切れ悪くそう言い、濃く影を落とす庭木に寄りかかった。式典出席用の服が汚れるのも構わないオクレールの所作に、ポーリーンは片眉を上げた。
(人からどう見られているかを何よりも重んじていたクロードが)
手にしたハンカチをぎゅっと握りしめ、渡すべきかと逡巡していると、オクレールは独り言のように言った。
「お前に、余計な心配をかけたくなかった」
心配などした覚えはなかった。
怒り、悲しみ、絶望はしたが。心配はしていない。
「お前しかいない。妻は、ポーリーンだけだ」
「そうですか」
どうやっても冷たい返事になってしまう。リュカが横で心配そうに見つめているのを感じるが、そちらを気遣う余裕もなかった。
「戻っておいで」
どきりと胸が高鳴った。耳鳴りがするほどに血が巡る。
オクレールが、いつも陽気で楽しいことを好む放蕩公爵が、今にも倒れそうに見える顔色をしてポーリーンを見ている。
「私の、妻だろう?」
「……聞きたいことが山ほどありますのよ」
「何でも話そう」
即答された。
見つめると見つめ返してくる。申し訳なさよりも、もっと純粋にポーリーンを求める目。
久しく自分に向けられていなかったその目を見た瞬間、ポーリーンの胸の中で何かがすとんと落ちた。
「どうして、わたくしに戻ってほしいと思うのです?」
「それは、――」
ざ、と強く風が吹いた。
目を細めることもなく、じっとポーリーンをその瞳に映したままで発した言葉は風にかき消された。
答えはポーリーンの耳には届かなかったが、それでよかった。どんな答えを聞いたとしても、納得はいかないと感じていた。
―『妻だから』
「新しい妻をお迎えになれば?」
―『寂しいから』
「可愛い恋人がいらっしゃるでしょう?」
―『愛しているから』
「信じません」
「クロード」
静かに名前を口にすると、愛しさがふわりと胸を締め付ける。
でも、もう決めたこと。
「わたくし、コーディネーターになります」
「え?」
予想外だったのだろう、クロードがキョトンとした顔をした。
ポーリーンは、それを見たら何だかすがすがしい気分になり、くるりと結婚式に沸く庭の方を向く。
「ギルフォード家の結婚式、わたくしが手配しましたの。楽しかったわ。幸せになるお手伝いをするのは、本当に楽しいのです」
オクレールに向き直り、ポーリーンは精一杯の笑顔を向けた。
「愛しています、クロード。今も昔もその間もずっと。……幸せにしてあげられなくて、ごめんなさいね」
「ポーリーン、」
「今までありがとうございました、オクレール公爵」
侍女が、大きなトランクを一つ持ってきた。
各国を飛び回っている父が寄越してくれた、一人の侍女と必要最低限の荷物をまとめたそのトランクは、亡き母の形見だ。
「まってくれポーリーン、私は、」
「どこかでお会いしましたら、そのときは」
「行かないでくれ、私のそばにいると言ってくれ!」
「――ごきげんよう」
オクレールに一礼し、リュカに手を振り、ポーリーンは結婚式に背を向けた。
まっすぐに出ていく。館の裏の出口には馬車を用意させている。
背中に投げかけられる、愛した人の声を聴きながら一粒涙をこぼし、乱暴に手で拭う。
まだ、動ける。
気持ちをしっかり持ってさえいれば、まだまだ好きなことができるはず。
「行きましょう、ジョアン。まずはお父様を追いかけるわよ」
「はい、お嬢様」
奥方様、と呼ばれないことに気付き、お嬢様って歳でもないけれど、とポーリーンは笑った。
また会うことがあるかしら。
また会えたら、その時は、――。