35.一緒に帰ろう
ホイットモー家への滞在は、一週間を想定していたが3日で切り上げられることになった。
「もう少しゆっくりしていけばよいのに」
マティアスから届いた手紙を抱え、ベルタは笑って首を振った。
「式が早まりそうなんです」
「早まりそうって言っても、一週間でしょう?」
マティアスの使者から渡された手紙には、白薔薇の開花が好天によって早まりそうであること、式場の準備が予想外に手際よく進み、式は開花のタイミングに合わせられそうであること。
なるべく早く帰ってきてほしいことが切々とつづられていた。
「何だったら式の前日に帰ったって良いのだし。準備は貴女がいなくても進むのでしょう?」
「お母様……」
母が、こんなにも自分を実家に留めておきたいと思っているとは思わなくて、ベルタはじんと胸が熱くなる。
兄弟が多く、その上自分のことや家のことで忙しい母が、ベルタのことを気にかけているなんて生まれてこの方、感じたことがない。
「シンシア様、マティアスが寂しがってしょうがないんですのよ」
呆れたようなからかうような声音でそう言い、ポーリーンは笑んだ。
「式が終われば嫌でもずっと一緒なのだから、少しくらいいいじゃないと思うのだけど」
「あら。マティアスはベルタをそばに置きたいと思っているの? うちのベルタを?」
うちの、なんて言われたこともなかった気がする。
それとも、ベルタが気付いていなかっただけで、実は母はベルタのことを大事に思ってくれていたのかもしれない。
「ベルタは、今まで何も言わなくても心配しなくても、ずっと家にいたものだから……家に帰ったときにベルタの気配がしないのは落ち着かないのよ」
「俺もそうだよ、フィオーネ姉さんはいたりいなかったりだったから、こんなにずっといないけど別に……」
「あら、母は心配してますよ。フィオーネどこへ行ったのかしら」
「絶対忘れてたでしょ……」
忘れてなどいるはずがない。シンシアは、それでもその心配を子供に見せるようなことはない。
どのようなことがあっても、動じない。常に唇に笑みを湛えている、穏やかな侯爵夫人を務めあげている。
ベルタは母を見つめた。
シンシアは、リュカとベルタに、そしてポーリーンに微笑みかけて言った。
「フィオーネのことを心配するのは、母の役目です。ベルタは母に心配をかけないよう、幸せになることを一番に考えること。ポーリーン様、ベルタをよろしくお願いいたします」
「はい、お任せください」
「リュカは……」
「俺は? 何を頑張ればいい?」
シンシアは白い掌でリュカの頭を撫で、
「ケガをしないように」
「子供じゃないよ!?」
「16歳は子供よねぇ」
「ポーリーン様まで!」
一つしか違わないのに、やはり末っ子。いつまでも子供扱いされる運命である。
ベルタも、怪我はしてほしくないなとだけ思うのだった。
「それではお母様、リュカ。わたくし達はギルフォード邸に戻ります」
「えぇ。式には必ず出席するから、……しっかりね」
「はい!」
母から借りたドレスやベール、実家から贈られたお土産を積んだ馬車に乗り込んで、来た道を帰る。
実家からギルフォード邸に向かうのに、「戻ります」という言葉が自然と出たことに、ベルタは自分のことながら驚いていた。
ポーリーンは首尾よく集められた式の準備の品を目視で確認しながら、ほっとしたように座席に身体を預け、言った。
「準備も着々と進んでよかったわ」
「はい、何から何までありが――」
「ベルタ? あ、……」
馬車が、ホイットモーの屋敷へと向かう馬車とすれ違った。
実家のほうへと向かう馬車に掲げられていたのは、オクレール公爵家の紋章。
「……ポーリーン様……」
「迎えに来たのかしら? でも残念ね、もうわたくしはホイットモー侯爵邸にはいないのよ」
微かに緊張した顔でそうおどけるように言い、ポーリーンは窓の外を見つめ続けた。
その心境は、ベルタには図れるものではなかった。
ポーリーンが言葉を続けるのを静かに待ったが、伯爵邸に着くまで、この件に関してポーリーンが何かを口にすることはなかった。