33.今できることを一生懸命に
「わたくしとクロードは、政略結婚です。貴族なら大体皆そうでしょう。けれど、わたくしはクロードを愛しています。わたくしにはない大らかさ、自由さ、行動力」
ポーリーンの行動力も相当のものだ、とベルタは思った。
まして、愛人の姉の結婚式の手伝いをしてくれるという心の広さなんて、普通では考えられないほどだ。
「――彼はわたくしの憧れでした」
幼いころから、オクレール公爵家に嫁ぐことが決まっていた、とポーリーンは言った。
豪商である父は、公爵家の財政を確固たるものとすることが出来る。また、父親にとっても、貴族への血縁関係が出来るということは商売上限りなく有益だった。
「初めてクロードに会ったとき、このかたと添い遂げるのだと確信したわ。一目惚れと言ったらよいのかしら」
オクレールのことを話すポーリーンの表情は、まるで初恋を夢見る少女のように可愛らしい。
だから余計にわからない。
「どうして、オクレール公爵は……」
「どうしてでしょうね」
ベルタの思考を遮るように、それ以上の会話を続けることを拒否するように、にこやかに彼女は言った。
「ベルタ、貴女の妹がクロードと関係を持っていたとして、貴女に関係あるかしら」
関係はある気がした。姉なのだから、数か月だとしても母親が違うとしても。
けれど、彼女の有無を言わさぬ勢いに首を横に振るしかできなかったベルタに、ポーリーンは「でしょう?」と笑った。
「愛人の身元なんて、公爵夫人の力をもってすればすぐに分かります。……なんてね。若くて可愛い愛人に会いに行く、浮足立った男の後をつけるのなんて簡単なのよ」
後をつけたのはさすがにわたくしではないけれど、と笑う。
「で、夫が何をしているのかを知り、囲われていた愛人の正体を知り、そこでわたくしは気付いたの。知ってもどうすることも出来ないということに。
どうしようもないでしょう。夫に愛されていない妻に出来ることは何? 義務的に子を生す? そこまでプライドを捨てることは、必要かしら。では、身を引く? 引いたところでどうなるの? 夫は女を『隠していた』。それを暴き騒ぎ立てて離婚をして、得るものは何かしら」
何も答えることは出来なかった。
ポーリーンは、貴族って面倒ね、とほほ笑んだ。
「今、わたくしが出来ることは貴女を素敵な花嫁さんに仕立て上げること。素晴らしい結婚式を挙げるお手伝いをすること。そして、たくさんの人を招いて、遠い土地までマティアス伯の結婚式のすばらしさを噂してもらって」
ベルタの、きつく握りしめていた拳を優しくほどくように、ポーリーンは温かな手のひらを重ねた。
「そうしたら、フィオーネも帰ってくるとは思わない?」
姉、フィオーネのことも気にかけてくれていたのか。
こんなに必要なのか、と思うほどにたくさんのウェディングパーティの告知ポスターの発注も、意外なほど少ない招待状も。仲良しの貴族を呼ぶのではなく、打算で繋がりたい王族を呼ぶのでもなく、領地や近隣に住む人々や行きかう旅客も呼び込むようなカジュアルな式である理由は、そこだったのか。
「俺はいいと思う!」
びくっとして振り返ると、いつの間にかリュカが室内にいた。
「リュカ! こうし……ポーリーン様がお見えなのに失礼よ! どうしていつもノックもしないで入ってくるのです!」
「ポーリーン様、いらっしゃいませ。三男のリュカです」
公爵夫人、と言いかけてやめたベルタの意図を汲んだのか、リュカもポーリーンをファーストネームで呼んだ。
ポーリーンは楽しそうに笑って、リュカに会釈を返す。
「お久しぶりね、リュカ。わたくしを覚えていて?」
「もちろんです、忘れようと思っても忘れられる美しさじゃありません」
どうにも言葉が軽い、とベルタは頭が痛くなる。どこで覚えてくるのか、こんな軽口を。
良く言えばフットワークの軽い、悪く言うなら浮気性の旦那様を持つポーリーン。誰にでも言っていそうな軽薄な誉め言葉に気を悪くしないといいけれど、とそわそわするベルタをよそに、ポーリーンは落ち着いた様子でいなしていた。
「ありがとう。リュカも大人っぽくなったわね」
「大人ですよ! もう16ですから」
「大人ぶっているところが、とても子供っぽいわ」
可愛らしい、と笑うポーリーンに、リュカも笑顔を返す。
「あ、忘れてた」
「?」
「俺、お母様からベルタに聞いてくるように言われたんだった。お母様が結婚式のときに着たドレスやベール、どうする? って」
「使います!」
そんな大事な伝言を忘れてた、というかついでのように言うリュカに被せるように、ベルタは答えた。
リュカとポーリーンは顔を見合わせて、「だよね」と笑う。
「そう言うと思って、もう虫干し始めてたよ」
「結婚式のシンシア様は、それはもう素晴らしかったわ。まだ小さかったわたくしが、初めて見た女神なのよ」
褒めすぎなのでは、と思うけれど母は本当に美しい。もう娘がお嫁に行くような年齢になっているが、それでも目を見張るほどの美しさだ。
自慢の母を褒められて嬉しくて、「そんなことありません」等と謙遜することも忘れ、リュカは得意げに眉を上げた。
「俺たちは行けなかったけれど、ポーリーン様の花嫁姿も、いてっ!」
それは今地雷です。というより早くリュカの足を蹴り上げて、ベルタは一瞬にらみつけ、素知らぬ顔でポーリーンに向き直った。
「ポーリーン様の手配してくださった式に、母のドレスは似合うでしょうか」
「もちろん。シンシア様の式とは違う、ベルタらしいパーティにしましょうね。わたくしに任せて」
式も衣装も、姉のことまでも。すべてポーリーンに任せたらうまくいくような、そんな頼りがいを感じる。兄より姉より、両親よりも、だ。
リュカも憧れるような瞳でポーリーンを見つめていた。弟のそんな目は見たことがなくて、少しびっくりした。
「しばらく泊まっていかれるでしょ?」
「あら、良いの?」
「ずっといてくださってもいいけれど!」
「リュカ!」
それも地雷です! と思ったけれど、気にした素振りを見せないポーリーンはさすがだ。どこまでも淑女である。
「では、お言葉に甘えようかしら」
「ぜひ! ベルタ、俺、厨房に言ってくるわ!」
食事よりも部屋を整えるのが先では、という間もなく飛び出して行った。
リュカのいなくなった室内は急に静けさに包まれて、ポーリーンが吹き出した。
「元気ね、あの子は」
「末っ子なので、甘やかしすぎました」
「あら、そう? 天性のものだと思うわ」
さっきまでふとした瞬間に見せていた寂しげな表情は今はなく、リュカに心の中で感謝した。