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32.ポーリーンの気持ち

「シンシア様は、わたくしの憧れなのよ」

 ぽつりと呟くように、ポーリーンは言った。少し頬が赤い。

「母が、ですか?」

「えぇ。あの方みたいになりたかったわ。いつも毅然としていて、ホイットモー侯を愛してらっしゃるでしょう?」

 切なそうに眉が寄るポーリーンに、胸が苦しくなる。


 母、シンシアもポーリーンと同じようにつらかった時期があったはずだ。アーニャの母親の存在が、シンシアを苦しめただろうことは想像に難くない。しかも、ベルタとアーニャは数か月しか誕生日が違わない。その事実が、つらさに拍車をかけるだろう。

「シンシア様のように、毅然としていたかったのだけど……わたくしには難しかった」

 独り言のように言って、弱々しく笑む。

「……自分がこんな目にあうまでは、これほどまでにつらいことだと思ってはいなかったのです。貴族の男性が妻の他に仲の良い女性を作ることなどよく聞く話です。皆、耐えているのです」

「ポーリーン様」


 オクレールのことを言っているのに間違いはない。けれど、彼女の公爵夫人としてのプライドがそうさせているのか、決して夫のことであると明言はしないまま続けた。

「シンシア様も、ずっと耐えていらしたのでしょう。けれど、顔にも態度にも出されてはいませんでした。少なくとも、わたくしは見たことがありません」

 侯爵には何か伝えていたかもしれないけれど、と小さく笑う。


「わたくしは無様に取り乱してしまいましたわね。マティアスにもあなたにも恥ずかしいところを見せてしまったわ」

「恥ずかしいことなどございません」

 はっきりとそう思う。

「ご自分のお気持ちをきちんと表すことができる女性は素敵です。ポーリーン様は、お素敵です」


「わたくしには、何もありません」

 しっかりと前を見つめて、彼女は言う。

「クロードの他には、何もないのです。まだ子供もおりません。母は亡くなり、父は貿易商人だから世界中を行ったり来たりでずっとお会いしておらず、兄弟もない。クロードしかいないのです」

「たくさんの方に慕われております」

「ありがとう、ベルタ。でもそれは……公爵夫人だからでしょう?」


 社交界にあまり顔を出さなかったベルタには、マティアスのところへやってきたポーリーンが全てであり、それが彼女個人であるのか公爵夫人であるのか、それは分けて考えるべきことであるかが分からない。

 どう答えていいか考えあぐねているベルタに、ポーリーンは楽しそうに笑った。


「冗談ですわ。ベルタは、からかうと面白い反応をしますのね」

「……いじわるをしましたね?」

 くすくす笑うポーリーンをわざとらしく睨み、つられて笑った。


 が、本当は分かっている。冗談でもからかいでもない、公爵夫人の本音の部分を垣間見た。


 そういえば。

 今更ながら思った。ポーリーンは、オクレールが隠していた愛人がベルタの異母妹であることを知っているのだろうか。

 知っていたら、こんな風に話してくれなくなるだろうか。隠しておいたほうが? でもそれはとても誠実さに欠けるのでは?


 ポーリーンは傷付いている。愛する人に裏切られたのだから、当たり前だ。その彼女を、さらに自分本意な気持ちで欺いても良いのだろうか。


 コクリと一つ喉を鳴らして、ベルタはポーリーンの顔を見つめた。真剣な視線に驚いたように、ポーリーンは少し丸くした瞳でベルタを見つめ返す。


「ベルタ?」

「お話し、しておかないといけないことがあります」


 真剣さが伝わったのか、ポーリーンはソファに浅く座り直し、優しく首を傾げて「どうぞ」と言った。


「オクレール様がお連れになっていた女性は、ギルフォード邸に住んでいらっしゃいました。……わたくしの、異母姉妹です」


 すっとポーリーンの双眸が細められた。ベルタは身を固くして、反応を待つ。

 数秒が数時間にも感じられるくらいの緊張の後、ポーリーンは肩からふっと力を抜いた。


「それをわたくしに告げてどうするのです。嫌われたい、ということ?」

 困ったような寂しいような顔をして、ポーリーンはため息をついた。

「わたくしを誰だと思っているのです。オクレール公爵夫人ですよ」


 毅然とした態度でそう言い、じっとベルタを見つめる目には憎しみなどなかった。高貴なものだけが持つオーラのようなものに圧され、ベルタはポーリーンから目が離せない。


「マティアスの家に、クロードが誰かを隠していることは最初から分かっていました。わたくしには内緒にしようとしていたのでしょうけれど、……良くも悪くも隠し事のできない人なの」

 ふふ、と笑ってベルタの髪を撫でる。姉のような優しさに、じわりと目が潤んだ。

「夫が愛人を囲ったと知ったとき、わたくしが一番に悲しかったことがお分かり?」

 愛する人から受けた裏切り。それが一番悲しかったんじゃないか。

 そんなベルタの考えを見抜いたのか、ポーリーンは首を振り、

「わたくしの力が、及ばなかったと気付いてしまったことです」

とはっきりと口にした。



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