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29.どうぞよろしく。

 マティアスに言われたとおり、ベルタは荷馬車を確認しようとドアを出た。


「……あら?」

 荷馬車は、ちょうど門を出るところだった。積み荷の確認はしなくていいのかしら、と思いあたりを見渡すと、リタが駆けてきた。

「お嬢様!」

「リタ……荷馬車が行ってしまったのだけど」

 リタは少し声を潜めて、珍しく困ったような表情で言った。

「お荷物……は、すでにお部屋の方に」


 あぁそうだったのか。てっきり自分で積荷を下ろすように言われたのかと思ったけれど、運んでもらっていたのか。

「そうだったのね、では部屋に」

「あの!」

 何か言いたそうな、でも言いにくそうな表情。

(珍しいわ……普段のリタなら何でもすぐに口に出すのに)

 不思議に思ったが、まずは部屋に帰ったほうが分かりそうな気がした。深くは追求せずに、自室へと向かうことにした。




 リタを引き連れて部屋へ戻ると、大きな箱が2つ。それから旅行カバンが3つ。

 旅行カバン? 新婚旅行にはまだ早い、と照れくさく思うより早く、こちらに背を向けてソファへ腰掛けている人影に気づいた。


 素晴らしい金髪。何気なくリタを振り返ると、彼女は弱りきったような表情で首を振った。


「……ごきげんよう?」

 おずおずと声をかけると、その女性はぱっと振り返り、泣き出しそうな不安いっぱいの表情で笑んだ。


「ベルタさん、こんにちは」

「ポーリーン様……お茶でもいかがですか?」


 そう言うと、ポーリーンはくしゃっと表情を崩して「ありがと」と呟いた。

 リタに準備を指示してポーリーンのそばに座ると、彼女は先日とは打って変わって所在なさ気な様子で目を伏せていた。悲しみが見て取れて、ベルタの胸がきゅうっとする。


「どうなさったんですか?」

「家出を……」

 心細さを滲ませてそう言い、けれど毅然とした表情を作って顔を上げた。


「ベルタさん、ごめんなさい。しばらくここに置いていただけるかしら」


 身分の高いもの特有の、有無を言わさぬ口調。

 このような言い方しかできないのだろう、でも不快感よりも頼ってもらえたことを嬉しく感じた。

「はい、もちろんです」

「マティアスにはもう頼んであるの」

「そうだと思いました。ポーリーン様が勝手にわたくしの部屋に入るわけがありませんもの」


 ありがとう、ごめんなさい。事前に許可も取らないで、と困ったように言い訳のように言うポーリーンの手を取った。

「気が済むまでいてください。……オクレール様なんて困ればいいんです」

 ふふ、と笑ってポーリーンはつぶやくように言った。

「困りなんてしませんよ、あの人は」

「お困りのようでしたよ? さっきもマティアス様のところでポーリーン様がいなくなったと肩を落としていらして」


 一瞬、ポーリーンの表情がパッと輝いた。けれど、すぐに目を伏せる。


「外聞が悪いですものね、妻に逃げられた公爵なんて」

「そういう感じはありませんでしたけれど」


 言いながらベルタは思う。

 本当に、オクレールなど困ればいいのだ、と意地悪な気持ちになった。このままポーリーンをここで隠して、探し回ってしまえばいい。

 そして、往来でうずくまって、「愛するポーリーン、帰ってきておくれ」と慟哭すればいい。


「ベルタさん?」

「ポーリーン様!」


 ギュッと手を握って、ベルタはじっと彼女の目を見つめた。


「がんばりましょうね!」

「え!? え、えぇ……」


 びっくりしているポーリーンに大きく一つ頷いて、ベルタは決めた。


 公爵には、ちょっと困ってもらおう。


 そうと決まったら、とベルタはポーリーンを自室に残したまま、マティアスのところへと急いだ。早馬が去って行った音がしたから、オクレールはもうここにはいないはず。


 応接室の戸を叩くと、中からマティアスが開けてくれた。ベルタの顔を見ると、にっと笑って室内に促した。


「荷物は届いていた?」

「えぇ、とっても素敵な女性が届きました。……お願いがあるんです」

「どんな事でも」

 マティアスは嬉しそうに目を細めて、ベルタの話を聞く。これから何を言うのか、察しているようだ。


「ポーリーン様を、しばらくここに置いてください。オクレール様に返さないで」

「どうして?」

 驚いたふうもなく、聞き返される。

「ポーリーン様は、オクレール様のそばを離れたくなかったみたいなのです」

 弱って小さく見えたポーリーンのことを思うと、身につまされる。

 マティアスは楽しそうに首を傾げ、「ん?」と言った。


「離れたくなかったのに、返してあげないの? ベルタは意地悪なのかな?」

「う……意地悪、かもしれないですが、」


 そう言われると、つらいものはあるけれど。

 でも、オクレール卿には分かって欲しい。大事なものは何か、ということを。

 ちら、とマティアスを盗み見ると、ベルタの言葉の続きを静かに待つように、優しい目で見つめていた。


「すぐにポーリーン様が戻ってしまわれたら、きっとオクレール様はまたすぐにポーリーン様のことを蔑ろにしそうで」

 いつもそばにいた人が、いない寂しさ。姉がいなくなって感じた、心細いような不安な気持ちを思い出し、マティアスがいなくなってしまったらなんて思ったら胸が潰れそうで。


「大事にしていただきたいんです、ポーリーン様のことを」

「大事に思っていなかったら、ここに探しになんか来ないんじゃないか? このあと、他に行きそうなところも探すと言っていたが」

「分かりません。大事だからなのか、ただ『妻がいなくなったら探すものだから』探しているのか」


 アーニャのことにしても、ポーリーンのことにしても、公爵は女性を軽く見ている気がする。自分を楽しませるためだけの存在だと思っているのではないか、と感じるのだ。


 ベルタを見つめていたマティアスは、ふっと笑った。

「友人のために真剣に考えることの出来る妻を、愛しく思うよ」

 ポーリーン様は友人では、と思いかけて、慌ててベルタは首を振った。

「い、今はわたくしではなくポーリーン様のことを、」

「承知した。ポーリーン様にはここに滞在してもらおう。その間、挙式の準備の手伝いをしていただくことにしよう」

 そうすれば、この屋敷に滞在する大義名分が出来る。

 ベルタはこくこくと頷き、破顔した。

「ありがとうございます!」

「ベルタは、ポーリーン様がいてくれる間に、ちゃんと結婚式の準備をするように。衣装だけではないよ」


 小物や招待客や、と考え始めたベルタの頭に、ぽんと手を乗せて、

「気持ちの準備をね」

と微笑んだ。


 マティアスの妻になる覚悟はとうに出来ている。けれど、そう言われるとそれがやけに現実味を伴って、頬に熱が溜まるのだ。


「……か、からかっています?」

「どうだろう。私も、まだ夢の中にいるような心持ちだから。……心の準備が必要だよ」


 助けを求めて来た人を待たせていると言うのに、どうしてもマティアスのそばにいると心が浮つくのを抑えられない。

 きゅ、と一瞬マティアスの指を握り、ぱっと離してベルタは顔を上げた。


「ポーリーン様に、お手伝いをお願いしてきます! マティアス様は、オクレール様に連絡しないでくださいね?」

「あぁ。ベルタがいいと言うまでは」


 マティアスは優しい。困っているオクレール公爵に話してしまわないか心配だけど。

 ベルタの気持ちに気付いたのか、マティアスは笑った。


「いろいろ迷惑かけられたんだ、少しくらい困らせてあげよう」

「意地悪夫婦ですね」

「お人好し夫婦でもあるね」


 共犯の楽しさに笑いあって、ベルタは応接室を後にした。


 楽しくなってるなんて、やっぱり意地悪なのかしら、と少しの罪悪感を持ちながら。



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