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3.壁紙としての決意

 すぐに戻ると思われていたフィオーネだったが、その夜になっても帰宅しなかった。侍女も連れずに鞄一つで貴族の娘が消えるなど、メモが残されていなかったら大騒動になっているところだ。

 メモが残されていたところで、騒動にはなっている。


(どこに行ってしまったのかしら……まさか駆け落ち、とか?)

 幸せになります、と書かれたメモはそれ以上の情報があるわけではなく、行き先など到底わからない。いつ戻るのかもわからないし、誰かと一緒にいるのかも不明だった。

 駆け落ちだったらまだ安心だ、と思う。貴族の令嬢が一人で出て行って、無事に帰って来られる保証はない。身なりからも所作からもその階級は窺い知れるものだ。


 さすがに夕刻には父もフィオーネの不在を知り、各方面に指示をして捜索をかけた。メモの内容が内容のため、大々的な捜査網を敷くのは憚られているが、それなりの人数がフィオーネの足取りを追っている。

 夜中まで邸内の明かりは消えず、母は心配のあまり眠れなかったようで、屋敷の門が見えるバルコニーに椅子を置いてじっと座って待っていたらしい。ベルタもまた、ベッドと窓際を行ったり来たりと落ち着かず、明け方に力尽きるまで休まらなかった。


 が、翌日になってもまだフィオーネ発見の連絡はなかった。


「家から出ずとも、お姉様なら絶対に幸せになれるのでしょうにね」


 幸せになります、の文字を指先でなぞりながら嘆息した。

 男性なら誰しも、フィオーネを好ましく思うだろう。容姿も性格も素晴らしく、憧れてやまない姉。例え政略結婚をすることになったとしても、旦那様に愛されないわけなどない、とベルタは思う。

 早く帰ってくるといいのに。

 わたくしも縁談がまとまりました、と報告したいのだけど。

 兄と弟には微妙な顔をされた縁談だけど、あの天真爛漫な姉であれば手放しに喜んでくれる気がした。ベルタは、姉に祝福してほしい。あの笑顔で「素敵ね、ベルタ!」と抱きしめてほしい。

 姉からの手紙を胸に抱きながら何とはなしに窓の外を眺めていると、背の高い男性が三人、門をくぐってくるのが見えた。


 マティアスとその従者だ。

 ベルタははじかれるように立ち上がり、応接室へと向かうことにした。


 ◇ ◇ ◇


 マティアス=フォン=ギルフォードは、ギルフォード伯爵家の嫡子である。15歳から王立の騎士育成校で剣と騎士道を学び、卒業後は各地の領主のもとを転々としながら統治を学んできたという。

 社交界であまり見かけなかったのはそのため。

 ベルタは、自分と同じように社交界が苦手だから出席しないのだと思っていたが、違ったようだ。


「よく来てくれた、マティアス」


 ホイットモー侯爵の言葉にマティアスは丁寧に礼をし、固い表情で言った。

「この度は、突然の不躾な訪問をお受けいただき、ありがとうございます」

「堅苦しい挨拶はいい。これが娘のベルタだ」

 父に背中を押され、ベルタは一歩前へ出た。

 深くお辞儀をして、「ベルタでございます」と自己紹介をすると、彼は一礼でそれを受けた。


 近くで見ると、驚くほど精悍な顔立ちをしている。背は父よりも頭半分は大きいだろうか。貴族というより騎士然とした風貌にしばし見とれていると、彼はかすかに目を細めた。

 歓迎されてるようにはとても思えないその目に、少し寂しい気持ちにはなる。

 (やっぱり、彼もギルフォード伯からの指示で結婚を決めたのでしょうから)


 政略結婚だもの、仕方ない。

 他に愛する人がいるのに、家柄だけで選ばれたわたくしを正妻にしなくてはいけないのだもの、面白いわけありませんよね……。


「ベルタ様」

 心地よく低い声に名前を呼ばれて顔を上げると、マティアスはじっとベルタを見つめていた。

「はい」

「……少し、お時間をいただけますか?」


 結婚の申込みならこの場でしたって良いのだぞ、と笑いながら侯爵はカーテンを開けて窓の外を見せた。

「ベルタ」

「はい」

「中庭の薔薇が見ごろだろう」

「はい。ご案内いたします」


 上機嫌な父を残し、ベルタはマティアスとともに中庭へと降りることにした。

 まだ見ごろというには少し早いけれど、会話をするためなのだからあまり関係ないだろう。




 朝の空気は冷たく澄んでいる。

 中庭に降りると、庭師がそっと離れていくのが見えた。客が訪れたときには姿を見せないようにするように努めてくれている。

 マティアスは、水を弾いてきらきらと輝く植木を眺めながら、静かに言った。


「よく手入れをされていますね」

「ありがとうございます。庭師に伝えたら、喜びます」

「……ベルタ様」

「様なんて。ベルタとお呼びください」


 ベルタの言葉には応えず、マティアスは植木に目を落としたまま言った。


「申し訳ございません」

 何に対しての謝罪なのかわからなかった。だから、首を傾げて続きを待った。

 涼しい風が吹く。

 そのとき、ベルタのシルバーブロンドの髪が風に煽られ、マティアスの胸の徽章に引っかかった。く、と引っ張られ、ベルタは足を止めた。

「痛っ、」

「動かないで」

 マティアスは長い指で不器用に髪を外していく。細い髪が一本でも切れないように、丁寧に丁寧に、ゆっくりとほどいていくのをベルタは見つめていた。


 あぁ、この人は本当に誠実な人なのだわ。ぎこちない指の動きに、胸がきゅっとする。


 家のため、真面目に侯爵家との繋がりを持とうとするマティアス。

 美しく華やかな姉ではなく、地味で目立たない、“生きた亡霊”である自分なりのやり方で、この人を幸せにしてあげなくては。“花柄の壁紙”の役目は、家の中を快適な空間にすることでしょう。


 マティアスが自分の父のため、一族のため、家名のために爵位に恥じぬ生き方をしようとするのであれば、精一杯応援しよう。

 それが、自分の家のためであり、自分の生活を守るためでもあるのだから。


 何より、この誠実で真面目な、不器用な人を“可哀そうな人”にしたくない。


「マティアス様」

「すみません、もう少しで」

 ベルタは、マティアスの大きな手を取り、「失礼します」とつぶやいて徽章を胸から外した。ピンが取れるのと同時に、髪はするりと解けて落ちる。

 ほっとしたように緩んだマティアスにつられるように、ベルタはふわりと微笑んだ。


「わたくし、良い妻になります」


 驚いたようにベルタを見つめる彼の視線から逃げるように見た先には、今にも咲きそうに緩んだピンクの薔薇のつぼみが揺れていた。



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