26.決心
何の前触れもなく、突然求婚の手紙を渡す方がよっぽど勇気がいるような気もするけれど。
ベルタの疑問が伝わったのか、彼は続けた。
「自分の蒔いた種とはいえ、……不本意な噂が流れていたのも知っていたからね。会いに行って、あの愛らしい少女に罵倒されたらと思ったら怖かった。非常識な男だと思われているに違いない、と」
本当に気が弱いんだ、とマティアスは目を伏せた。
「罵倒なんかしません。お噂だって、リュカから聞くまで知らなかったので」
「そうか……ならば会いに行けばよかったかな。いや、リュカに追い出されるか」
アーニャを離れに匿うことをもしマティアスが断ったとしても、オクレールは他の場所を探すだけだろう。アーニャがベルタの腹違いの妹であることを知っているマティアスは、彼女を無下に出来なかったのだろう。
愛されていることを、実感する。が、それだけに、彼を「愛人を離れに囲っている」と疑わなかった自分が恥ずかしく、申し訳ない。
「全部、真実をお話になればよいのに」
ぽつりとこぼしたベルタに、マティアスは笑った。
「オクレール公爵の名誉に傷をつけることになるよ」
「マティアス様に傷がついています! オクレール様は自業自得です。名誉が傷つくようなことを、なさらなければよいのです」
怒っているベルタを愛しげに見つめ、首を振る。
「私は、いいんだ」
「なぜ」
「貴女が今、ここにいてくれるから」
深い藍の瞳にベルタが映る。
「いつも穏やかな愛する妻が、自分のために憤ってくれる。こんな幸せ、他にあると思う?」
そんな言われ方をしたら、ベルタは照れることしかできない。
毒気を抜かれてしまって、「知りません!」と目を逸らした。
ドアの陰からリタが覗いているのと目が合って、恥ずかしさに身の置き所がない。
(マティアス様もリタも、わたくしをからかって!)
マティアスとの婚約、結婚がこんな形になるなんて、申し込まれたときには想像もしていなかった。
(政略結婚なんて気楽でいいわ、と思っていた自分を殴りたい)
けれど、断らなかった自分を盛大に褒めてあげたい、と思ってまた恥ずかしさでどうにかなりそう。
◇ ◇ ◇
結局、家を離れがちになるというマティアスの「仕事」とは、アーニャと逢引するための時間を確保するためのウソではなく、アーニャのための次の物件探しだったのだと教えてもらった。
そんなこと、オクレール様にやらせればよいのにと言うと、マティアスは、
「提供した離れを『私の都合で』取り壊すのだから、仕方ない」
と苦笑いしていた。
どこまで人が良いの、と思う反面とても好ましい。優しく面倒見がよく、外聞にこだわらない。
伯爵という身分と、見目の麗しさ、長身とあの性格であれば、どんな女性も思いのままだろうに。どうして自分を選んだのかは全くわからないけれど。
(マティアス様の欠点は、そのセンスのなさなのかもしれないわ)
そのおかげで選んでもらえたのだから、よしとしなくては。
それから、浮気相手のお世話を頑張るなんてわけのわからないことをする必要はなくなったのだから、精一杯、旦那様に尽くしていかないと。
そのためには、まず旦那様についてたくさんのことを知らないと。
お話をして、好きなものを聞いて、一緒に結婚式の準備もしなくては。
お姉様にも話をしたい。結婚のこと、妹のこと、聞いてほしいことがたくさんある。
それから、リュカとも話をしなければ。マティアス様の本当のことを伝えて、ヴァルター兄様にも話せばきっと安心する。古くからのご友人なのだもの、わたくしのこと以上に心配されているに違いないわ。
アーニャ……アナスタシアにも会えたら、正直に自分の気持ちを伝えたい。仲良くなれそうな気がするもの。あぁでもオクレール卿とのことは応援出来ないわ。
取り留めなくそんなことを考えているうちに、ベルタは眠りに落ちた。
久しぶりに、穏やかな気持ちで。