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25.あの日の君のこと

 妻の待つ本邸へと帰っていくオクレールを見送った後、ベルタとマティアスは喫茶室で休むことにした。何となく離れがたく、かといってどちらかの自室で二人きりになるというのも気恥ずかしかったからだ。マティアスも同じ気持ちだったようで、何となく足が向いた先が喫茶室だった。


 ちら、とリタが顔を出したのが見えたので、お茶とお菓子をお願いした。

「食事の前だから、少しだけ」

と付け加えたベルタを見つめるマティアスの目は優しい。



「……それにしても、いろいろなことが起こりすぎて」

「体調は大丈夫か?」

 言われて思い出した。そう言えば、病み上がりだった。

 さらりと額に手を当てられて、目を細めた。

「大丈夫ですよ」

「熱は上がってはなさそうだが。今夜は早く休むように」

 気が高ぶっていて、なかなか寝付けそうにはないけれど。


「マティアス様、……あの離れ、本当に壊してしまってよかったんです? おばあさまの思い出の場所なのでしょう?」

 ふ、と笑ってマティアスは目を伏せた。

「『愛人と会う場所として提供してほしい』と公爵様に言われた時点で、あそこは壊そうと思っていた。いやだと言えない、自分の弱さが恨めしいが」

「でも、そのおかげで妹に会えました」

 喜んでよい出会いだったのかはわからないけれど、物心ついてから初めてきちんと会って話した、腹違いの妹。兄弟の誰も、あの子の話はしなかった。どのような暮らしをしているのかもわからない、名前しか知らない妹。

「会えてよかった、と思うんです。オクレール様は……もうお会いしたくはありませんが」

「オクレール卿も、悪い人ではないんだよ」


 困ったように笑うマティアスに、マティアスを「友人」だと言ったオクレールの顔を思い出す。身分が高いということは、それなりに責任が重い。だからと言って、人道に反したことをするのは違う、とベルタは思う。


「アナスタシアは、あんな扱いを受けても幸せだと思います?」

「それは、私にはわからないが。ただ、愛する女性を他の男の家に住まわせ、そこに通うというのは理解が出来ない」

 住まわせた張本人が、よく言う。

「マティアス様を信頼されていたんですね、オクレール卿は」

「私は口は堅い。それに、昔からずっと、一途に愛し続ける相手がいる。そして公爵より身分が下で、言うことをよく聞く」

 自嘲的というよりもはや自虐。


 と。

「昔から愛する人?」

「ベルタは、覚えていないと思う。……認識すらされていないかもしれない」


 ずっと昔を懐かしむように目を細め、ベルタの顔をやさしく見つめた。

「ヴァルターの忘れ物を届けに、一度ホイットモー邸へ行ったことがある」

「お兄様の?」

「普通だったら使者に任せるのだけど。その日はたまたま気が向いて、自分で行ったんだ」


 次兄と同い年だった、と今更ながらに気付いた。

 そういえば、リュカがマティアスのことを悪く言っても、兄は悪く言わなかった。友人だったからなのか。


「ホイットモー邸の玄関扉へ着く前に、植え込みの中から白い女の子が飛び出してきた」

「……」

「私に気付くと、じっと私を見つめてね。その目がとても大きくて可愛らしかった。うさぎのようだったよ。――何も言わない私を不思議そうに見て、そのまま挨拶もせずにまっすぐに目の前を通り過ぎて扉へ入っていった」

「わたくし……ですね」


 幼いころ、自分は誰からも見えない存在なのかもしれないと思っていた時期がある。

 どこに行っても誰からも声をかけられず、咎められない。後になって、すぐ下の弟リュカが手のかかる子供だったために、ベルタにまで手が回らなかったからだと知ったけれど、たぶんそのころのことだ。


「ヴァルターにその少女のことを訊いたが、妹だとしか教えてくれなかった」

 特に話すようなこともないくらいの、何の変哲もない妹だったからだ。あの頃は、兄たちや姉とも遊んだ記憶はなかった。庭での一人遊びがすべてだった。

 寂しいと感じたことはなかったけれど、今となって思えば寂しい少女時代だ。


 昔を思うベルタの髪をさらりと梳いて、マティアスは落ち着いた声で続けた。

「ずっと気になっていたけれど、誰からも貴女の話を聞く機会がなかった。名前だけは知っている、と誰もが言うのに、ベルタの人となりを誰も知らないんだ。――何年か後になって、社交界で貴女を見つけて」

「存在感がなさすぎて驚きました?」

「いや、目を奪われるほどに美しくなっていて驚いた」

 しかも、とマティアスは続けた。

「レースのカーテンがひらめいた瞬間、ベルタは消えていた」

 よく言われる、亡霊の所以がそれだった。気付かれないように静かにその場を離れるのは特技だ。


「だからもう、」

 マティアスは笑顔でベルタの頬を指でなぞる。

「お父様に、直接結婚の申込みをするしか方法がなかったよ」

 話しかけることも出来なかったから、と笑った。

「神秘的で儚げで、ずっと胸の奥に貴女が……一目惚れの初恋だった、今になってそう思う」



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