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11.リュカ来襲

 朝起きると、少し瞼がはれぼったかった。

 のろのろとした動作で着替えをし、おいしいはずの朝食もなんだか味気なく感じる。離れに行くか行かないかまだ決められないでいた。


「ベルタ!」


 ぱーんとドアが開いて、返事も待たずに駆け込んできたのは大きな花束。

「!?」

「遊びに来たよ!」

「……リュカ!」


 弟のリュカが来てくれた。明るい笑顔でベルタを見つめ、頬にキスをしてくれる。花束のいい香りとお日様のにおいのリュカに、胸が熱くなった。

「どうして?」

「なかなか帰ってこないからさ!」

「……。帰りません、お嫁に来たのだもの」

「里帰りとかあるじゃん、知らないけどさ」

 ポンポンマムのオレンジが鮮やかで、さっきまでのうつろな気分を塗り替えてくれる。それはリュカの存在も同じで、沈んでいた気持ちを無理やり引き上げてくれた。


「ベルタがいないとつまらないよ、誰も話聞いてくれない」

「そんなことはないでしょう?」

「意外と近いね、ここ。泊って行ってもいい?」

「マティアス様か伯爵様からお許しが出ればね」

 近いなら帰れますよ、と笑うリタをひと睨みして、リュカは室内をきょろきょろ見回した。

「ベルタに似合う部屋だね」

「えぇ。落ち着くでしょう」

「花のオレンジも映えるし、いい部屋だ」


 リュカはにこにこしながらソファに身を投げ出した。

 近いとは言っても馬車で二時間。朝に着くように来るには、相当早起きをしたのだろう。少々眠そうに眼を瞬かせている。

「……本当に、何かあったのではないの?」

「んー? んー……そろそろ帰りたくなってるような気がして、さ」

「え」

「迎えに行かなきゃいけないような、そんな気がして」


 リュカはまっすぐにベルタの目を見つめる。灰色がかった瞳はベルタによく似ているが、その視線の強さはリュカの心の強さそのものだ。

 心配させないように、実家にあてて弱音を吐いたりはしなかった。一回だけ出した手紙にも、みんな優しくしてくれます、のような当たり障りのない内容と結婚式の準備についての事務的な話が主だった。

 でも、リュカはやってきた。


「大丈夫よ」


 そう言っても、弟は納得しないようにベルタを見つめ続ける。

「お屋敷の皆さん優しくしてくださるし」

「それは手紙で読んだけど」

「マティアス様も、お時間があるときにはここでお話ししてくださるし」

「普通だろ」

「何がそんなに」

「心配だよ」


 リュカはベルタの手をぎゅっと握って、ポンポンと叩いた。


「だって、目、赤い。来たから分かったけど、来なかったら分からなかった。泣いてたの? 眠れないの? 来たから聞けるけど、来なかったら聞けないんだよ」

「リュカのほうが、よっぽど泣きそうな顔してるわ」

 弟の頭を抱き寄せて、背中を撫でた。大きくなったが、まだまだかわいい弟。


「……本当は、家で何かして逃げて来たんじゃない?」

「そんな! こと、ちょっとしか、……」


 やっぱり、とベルタは笑った。

 いつだって、怒られないように逃げ回るリュカが最後に逃げ込むところはベルタの部屋だった。

「もうわたくしは家にいないのだから、逃げ場所を変えるか怒られないようにするかしないと」

「姉さんが心配だったのもほんとだよ」

「ん。ありがとう」


 頬にキスを返して、弟を抱きしめる。

 久しぶりの感じを楽しんでいると、控えめにドアがノックされた。


 リタがゆっくり開けると、マティアスがゆっくりと入ってくるのが見えた。ベルタはびくりと肩を震わせて、腕の中の弟の髪に鼻先を埋めた。


「ベルタ、おはよう」

「……おはよう、ございます」

「お邪魔してます、マティアスさん」


 リュカの声にトゲが混じる。


「いらっしゃい、リュカくん」

「あれ、名前知ってたんですね」

「ベルタの弟のリュカくん、もちろん知っている」


 何となくぎすぎすした会話が居心地悪い。

 ベルタはリュカを解放し、マティアスを見上げた。

「どうかなさいました? 朝早くに珍しいです」

「いや、……大きな花束が見えたから、」

「俺が持ってきたんですよ、姉の引っ越し祝いに」

 侍女によって手際よく花瓶に生けられた花は、淡い色の壁を華やかに彩る。


「見えた、ってどこから見てたんですか」

「リュカ! すみません、弟が失礼を……」


 なぜか喧嘩腰のリュカに、マティアスは目元を緩めた。

「仲の良い姉弟だね」

「特にそういうわけでもないのですけれど」

「何でだよ! 仲良しでしょ!」

「わたくしが家を離れたから、寂しくなってしまったようで」

 やはり仲良しだ、と微笑んで、マティアスはぐるりと室内を見渡した。


「他には誰も来なかったね?」

「?」

「いや、来なかったのならいい。リュカ、ゆっくりしていってください」

「はーい。あ! 泊っていってもいいですか?」

「リュカ!」

 図々しい申し出に、マティアスは少し考えて、頷いた。

「客室を用意させるから、そこに。あと、家にも連絡を忘れずに。それから、」

 ベルタとリュカを交互に見つめ、少し考えてからマティアスは真剣な声で言った。


「しばらく、私は外に出ることが増えるかもしれない。ベルタ、リュカとなるべく一緒にいるように。リュカ、ベルタを頼む」

「はい」

「頼まれなくてもそうするけど……何かあるんですか?」


 わざわざ言うような内容でもない気は確かにする。

 不審げなリュカに、

「ベルタが危ないことをしないように見ていてほしい」

「だから、あなたのお屋敷なのに何が危ないって、」

「ベルタ、危ない所には絶対に行かないように」

 危ないことなどしないけれど、と思った瞬間、脳裏をかすめたのは白い離れのことだった。

(「老朽化してるから近づかないように」と言われたわ……そのことを言っている、のね)


 とても老朽化しているようには見えない離れ。たまたま来たリュカをお目付けにするくらい、あそこには近寄らせたくないということなのかしら。

 でも、ベルタはすでにあそこに入っている。しかも何度も。もしかして、それを知られていて、もう近づくなと釘を刺されている? 理由は?

 アーニャに会わせたくないから?

 ベルタに知られたくないようなことを、あそこでしているから?


「ベルタ?」


 マティアスに声をかけられ、はっと我に返った。つい考え込んでしまうのは悪い癖だ。

「――はい、大丈夫です。危ないことなんてしませんわ」

「お屋敷探検はしてもいいですか?」

「リュカ。子供じゃないのだから……あとでわたくしが案内しますね」

(わたくしは探検したけれど)

 危ないところ以外ですよ、と付け加えると、リュカは不思議そうに唇を尖らせた。


「……マティアスさん、お仕事ですか?」

「ん?」

「外に出ることが増えるって言ってたから」


 普通に考えたら、お仕事以外の理由などない。

 変な含みのある言い方をしたリュカに、マティアスは一瞬たじろいだように目を泳がせてからベルタを見た。

 そして、「あぁ」とだけ応えて、

「では、行ってきます」

「はい。お気をつけて」

「がんばってくださいねー」


 頭を下げるベルタと手を振るリュカに会釈だけ残し、主は部屋を出て行った。

 リュカは閉じたドアを見つめながら、小さく鼻を鳴らして「なんだかなー」とつぶやいた。

「あの人」

「マティアス様?」

「うん……悪い人じゃなさそうだけど」

「いい人ですよ?」

「嘘がつけない感じの人だよね」

 確かに、それは本当に。

 一瞬で見抜かれる嘘をついても、全然気付かれていると思っていないところなんか、正直そのものと言える。

 好ましい性格だ、とベルタは思う。とても素敵に思う。


 とても素敵な旦那様なのだ。

 ――きっと、誰にとっても。




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