街を抜けて
特に会話もなく、わたしたちはひたすら歩き続けた。
おそらく、山の上から見えた壁の外側にある街にいるように思えた。
もう夜なので人通りはまばら。住民は作務衣に似た服を着て頭に頭巾をかぶっており、やはり昔の中国を思わせる出で立ちだ。
住宅は灰色で、夜闇に同化する色合い。ぽつんぽつんと吊り灯篭が軒先にかかっているものの、灯りは十分でない。
とはいえ見るものすべてが珍しい。目を凝らしてきょろきょろしていると、ガツンとげんこつがふって来た。
「痛っ! どうして殴るんだよう」
「きょろきょろすんな。怪しまれるだろう」
宇軒が歯を見せてすごんでくる。
全然怖くない。けれど、殴られるのは嫌なのでよそ見をするのはやめた。
更に二時間ほど歩き、ようやく目的地と思しき場所に到着した。
(……ここは、もしかして)
目の前にそそり立つ、朱色の高い壁。
山の上から見たときに壁で囲われていたエリアの前なのではないか。
おどろおどろしくも見える高い城壁に囲われ、中央には雷門よりも数倍大きな門が立っている。夜闇に浮かぶ金色の掘り込みは、龍だろうか。
手前にある詰所のようなところで、ごろつきリーダーが係官とやりとりをしている。
「女四人、男一人。男の方は自宮済みだ」
「……確認した。ほら、銀子だ」
ざっとわたしたちを一瞥した係官は、金銭のようなものを素早くリーダーに手渡した。
(なるほど。ここに売られたんだ、わたしたち)
なんとなく、状況を把握した。
リーダーは受け取った銭を雑に懐に突っ込む。にひひと下品に笑いながら子分を引き連れて、足早に去っていった。
取引にあまり時間をかけてはいけないのだろうか? ここまでものの一分ほど。あっという間の出来事であった。
「お前たち。こちらに来るように」
係官に促され、わたしたちは詰所の裏手に回った。
いつの間にか別の係官が帳簿を持って合流しており、わたしたちをじろじろと眺め始める。
「女たちは……。その器量では宮仕えは無理だろう。学もなさそうだし、洗装房だな」
係官はふんと鼻を鳴らして宣言し、もう一人の係官に連れて行くように指示を出す。女たちは項垂れながら、後に続いていった。
わたしは、そうかなるほど、と理解した。
(顔で評価されるのか。……じゃあ、この詰所は醜男が配属される場所なんだろうな)
この係官、丸々と太っているし、夜だというのに顔は脂で光っている。おまけに吐く息もなんだか臭う。詰所は接客業なのだから、醜男を配置するのは悪手ではなかろうか。ううん、お役所の考えることはわからん。
「お前はどうしようか。間抜けそうだが、そこそこの風貌だからなあ。今人手が足りないのは華慶宮に陽福宮、羽風宮、それと侍医院に御膳房…………」
手元の帳簿には、購入した人材の就職先候補が書いてあるらしい。
興味がわいたので、帳簿をずいと覗き込む。
「おいお前! 勝手に見るな! 機密事項だぞ!」
係官は慌てて帳簿を引っ込めるも、わたしは書かれていた文時をしっかりと把握した。そして、目に入ったとある単語が非常に気になった。
「ねえねえ。侍医院ってなに? 文字からするに、病院とか?」
「なんだお前、馴れ馴れしい。失礼な奴だな」
「いいから教えてよ。侍医院って何するところ?」
しつこく食い下がると、係官は観念したらしく教えてくれた。
「侍医院とは、ここ炎麒城の病人や怪我人を診る部署だ。いいか、わかっているとは思うが太医の募集ではない。お前のような者に診察される者が哀れだ。空きがあるのは下男の枠で、つまり雑用係だ」
「…………!」
どくん、と心臓が大きく拍動する。
侍医院、つまり病院。ということは、いろんな薬もあるに違いない。
むかしの中国のようなこの国には、一体どんな薬があるんだろう? 日本で生きていたわたしが知らないものも、たくさんあるんじゃなかろうか?
(もしかして、もしかしたら、丹薬に関するヒントを得られるかもしれない……!)
急に呼吸が苦しくなってきて、思わず胸を抑える。
「――――でもな。ここだけの話、侍医院より殿舎付きのほうが稼げるぞ? 特に陽福宮の黄嬪様は羽振りがいいから、偶然空きが出た今しか機会はないぞ。って、聞いてるのか? おーい」
(これは神様がわたしにくれたチャンスなのかな? ああ、ありがとうございます。このような機会を与えてくださった御礼に、必ずや丹薬を完成させてみせます……!)
不老不死をもたらすという、幻の妙薬『丹薬』。これを作ることこそが、いつだってわたしの生きる意味。
どういうわけか見ず知らずの国にやって来てしまったけれど、むしろこれは絶好のチャンスじゃないか!
「おじさん! わたし、侍医院で働きたい! っていうか、侍医院で雇ってくれないならここにいる意味ないから!」
係官の胸倉を掴み、前後に揺さぶりをかける。
「こらやめろ! だから馴れ馴れしいんだって! わかった、わかったから!!」
「いいの!? ありがとう!」
パッと手をはなすと、係官はげほげほとむせ込んだ。
しょせん女の力だけど、結構力が入っていたのかもしれない。丹薬のこととなると、少々箍が外れてしまう自覚はある。
「くそ。男女の癖に馬鹿力だな……! じゃあ、お前は侍医院の下男だ。名前は何という?」
「海に里と書いて海里です。よろしくお願いします!」
「挨拶は俺じゃなくて侍医院の者に言え。場所は……おい徐明、案内してやれ。じゃあ、もう二度とここに来るなよ」
係官はもう関わりたくないと言った様子で、わたしを別の男に託して消えた。
(親切なおじさん、侍医院に就職させてくれてありがとう)
だるまのような後姿に向かって、改めてお礼を言う。
丹薬の製造に成功した暁には、一粒おすそ分けしてあげよう。
案内の男に続いて広い敷地内を移動し、侍医院に着いたのは夜更けであった。




