わたしの生きる意味
かくして男たちの話し声はすぐそこまで来た。息を殺し、早く時よ過ぎろとぎゅっと目をつむる。
「ったくよー。妓楼に行く足しにもならねえなあ。おい宇軒、女共が遅れてるぞ。早く歩くように言え」
「あい! おら女共、もうちっと早く歩けねえのか。後宮まであと二刻はかかるんだ、もたもたすんなあ!」
どうやら男たちに捕まった女性も一緒らしい。全く彼女たちの声が聞こえなかったので分からなかったが、可哀そうなことだと胸が痛くなる。
(というか、ちょっと待って。今この人、妓楼だの後宮だのって言った?)
なにこの展開? すうっと血の気が引いていく。
そして、悪いことは続くものだ。
「待て。……あれは何だ?」
その声と同時に、ぴたりと足音が止む。
「白い布、ですかね? なんか不自然な出方をしとりますが」
「茂みから布が生えている、なんて馬鹿なことがあるか? ……ひひっ、天は俺らを哀れに思ってくれたらしい。……おい克軒、見てこい。あの震える布をな」
「へいっ!」
そこでわたしは初めて気が付いた。
長い白衣の裾が、隠れている茂みからはみ出していることに。
(ひえっ。お、終わった……っ!)
頭隠して尻隠さず。そんなことわざが呑気に頭に浮かぶくらい、わたしは一瞬で自分のしくじりを悟った。
どすっ、どすっ。近づく重量感のある足音に身を震わせる。
茂みをかき分ける音と共に、とうとう誰かがわたしの肩を掴んだ。肩に指が食い込むその力強さから、自分はもう逃げられないのだという絶望が胸を覆いつくしていく。
「おらっ、出てこい!」
「ひええっ!」
勢いよく茂みから引きずり出される。
恐る恐る顔を上げた先には、にやつく三人の男がいた。
元は白だったのであろう薄汚れた麻服を着ており、ぼさぼさの髪に無精ひげ。ろくでもない人間であることが一目で分かるなりである。そしてその後ろには、数名の女性たちが暗い表情で佇んでいる。
(み、見つかった……! 殺される? 売られる? どうしよう……っ!)
こんなところで死にたくない。
わたしにはまだ、成し遂げていない夢がある。こんな最期はあんまりだ。
ぎり、と歯に力が入る。
男たちを睨んでいると、にやついていた男たちの表情が、一転つまらなさそうなものに変化した。
「――――なんだ。男か」
「ですねえ。女にしてはデカいし、乳も尻もねえ」
「それにしても変な服を着てるなあ。初めて見たぞ、こんな格好。もしかして異民族か?」
(――――――は??)
男。
男だと思われている??
ごろつき三人組は輪になって議論を続ける。
「残念ですね、頭領」
「馬鹿。それなりに整った顔つきだし、多少の金にはなるぞこれは」
「そ、そうですね! 連れていきましょう!」
(ちょっと待って。男として捕まるわけ!?)
話の方向性が怪しくなってきたことに戸惑いを隠せない。
でも、男と間違う気持ちも分からなくはなかった。彼らの指摘通り、わたしは胸も尻もない。身長は百七十あり、顔も中性的だと言われたことがある。一応髪は長いけれど、いまどき長髪の男性だっているしなあ。こうして考えてみると、女性らしさって何だろうという問いは非常に難しい――。
わたしが哲学していると、男の一人ががははと豪快に笑った。
「ははっ。驚いて声も出ねえようだな。初々しい坊ちゃんだ。おい宇軒、見たところ大丈夫そうだが、一応確認しろ」
リーダー風のごろつきが、頭の弱そうな宇軒に指示を出す。
「へいっ!」
返事だけは百点の宇軒。
右手をわきわきさせながらこちらに近づいてくる。
(確認? 一体何を?)
確認というからには、危ないことではなさそうだけど。
身を固くしていると、宇軒はえいやっとわたしの股間を掴んだ。
「――――――――!?!? ちょっと! 何するの!!」
(なんだこいつ! 変態なのか!?)
慌てて宇軒の右手を振り払う。しかし彼は平然とした様子でリーダーに報告する。
「ついてません。自宮済みみたいですな」
「ふん。どこかの屋敷で働いていたのか? まあ、取る手間が省けていいな。すぐ売れる」
「少々声が高いが、そういうのが好きな奴もいるからな。あそこでは女みたいなのも受けるだろう」
――何を言っているんだこいつらは。
女なんだから付いている訳がない。というか、男だと思っているのに付いてないほうがいいってどういう意味なの?
色々と訳が分からないが、余計なことを質問したらまずいことになる気もする。
(さっきこいつらが話していた内容からすると、女だったら、後宮に売られてお偉いさん相手に股を開く羽目になる)
そんなの真っ平ごめんだ。
(男のままやり過ごせば、少なくともお偉いさんの相手はしなくていい。労働力として売られるんだろうけど、その方が逃げ出すチャンスはありそうだ)
はい決まり。
わたしは男です。
アレは付いてませんが、それでいいみたいなので好都合。
そう腹を決めれば、気持ちも落ち着いてきた。
ここはどこなのか、これからどうなるのか。分からないことが多すぎるけど、もうなるようにしかならないだろう。
腹を決めたわたしは、暗い表情をした女たちの列に並ぶ。抵抗はしない、という意志表示のつもりだった。
その様子を見たごろつきたちは下品に笑った。
「おっ。分かっているようだな」
「賢い選択だぜ兄ちゃん。宦官の力じゃ俺らに敵いっこねえからな」
「じゃ、出発するぞ」
ざっ、ざっと草を踏みしめながら、一行は何処かを目指す。
――ふと空を見上げれば、青から茜色へと続く穏やかなグラデーションになっていた。
(もうすぐ夕暮れか……。ああ、ビールはもう飲めないんだろうか。棚にしまっていたウイスキーも焼酎も、こんなことになるんなら昨日全部飲み干しておけばよかった)
はあ、と深くため息をつく。前をゆく女が、気の毒そうな表情でちらりと振り返った。
「ありがとうございます」
心配してくれたように思えたので、お礼を伝えておく。女は何も言わずに前を向き直った。
――これから行く先に、わたしの生きがいや夢はあるんだろうか。
(……まあでも、どこに行こうと関係ないか)
心配したって仕方がないことがある。どうにもならないことに心を砕くことは面倒だ。それに、環境が変わっても、自分が変わらなければ、やりたいことはできると思うから。
(不老不死の『丹薬』を作るまでは、絶対に生き残ってみせる)
それこそがわたしの生きる意味。唯一にして最大の目標。
落ちてゆく美しい夕日を眺めながら、わたしは決意を新たにした。