お願いごとはなに
げえ、とげっぷが出る。
茗茗がものすごく渋い顔でわたしを睨みつけた。
「ごめんごめん。美味しいお酒に美味しいおかず。食べすぎちゃったなあ。あっ、それ新しいお酒? おかわり貰っていい?」
「お口に合ったようでよかったです……! お酒はまだたくさんありますので、好きなだけどうぞ……!」
「ありがとうねえ。杏喜は飲まないのに、わたしのためにこんなに用意してくれたんでしょ? 気を使ってもらって申し訳ないねえ」
一応遠慮の姿勢を見せておくことで、二回三回とご招待してもらえることを期待する。
しかし、たかが一回湯あたりを助けただけでここまで接待してくれるものなのだろうか。もてなしが豪勢すぎて、少し気になってしまう。
わたしの気持ちに気が付いたのか、杏喜は理由を教えてくれた。
「わっわっ、私の実家は商家をしておりますので、様々な品物を送ってもらえるのです。毎日消費しきれないぐらい何かしらが届きますので、どうかお気になさらず……」
「そうなんだぁ。杏喜はお嬢様なんだね」
皇帝のお嫁さんになるくらいだから、有名な商家なのかもしれない。週に何回もお相手するぐらい覚えもめでたいと聞いている。
しかし、その割に杏喜は臆病というか、びくびくしている。まだ幼いから、環境に馴染めないのだろうか。
一通り腹が膨れ、いい感じに酒が回って来たので、杏喜について色々尋ねてみることにした。
「杏喜はさ、どうしてここに来たの? 随分若いよね。何歳なの?」
「じゅっ、十三歳です。秀女に合格してしまい、こちらに来ることに」
「秀女選び?」
はて、と首をかしげると、茗茗の鋭い解説が入る。
「あなたは何も知らないのですね。秀女とは後宮に入る女性を選ぶ試験です」
「へえ~! 試験を受けて入るんだねえ。合格しちゃった、ってことは、来たくなかったんだ?」
「……………………はい」
蚊の鳴くような、ちいさな声だった。
聞けば、秀女は三年毎に行われており、国内の女性は十三歳から十七歳の間に必ず一回受けなければいけないという。もし受験をしない場合、三十歳まで結婚を禁じられるペナルティがあるのだとか。
(皇帝の奥さんになればいい暮らしができるのに。嫌がる子もいるなんて意外だ)
まあ、自分だったら絶対に受けないと断言できるけど。三十歳まで結婚を禁じられることは痛くもかゆくもないので、独り身のまま丹薬作りに精を出すだろう。
「小主は控えめな性格なので、後宮のようなところには向かないのです。私どもも心配しておりまして、ひっそり暮らそうと話し合っておりましたのに、陛下は小主のことをとてもお気に召したご様子で……」
眉をひそめる茗茗。
いつも杏喜の隣にぴったり付いている彼女は、どうやら実家にいた時からの侍女らしい。皇帝に気に入られることよりも、杏喜の身体を心配しているなんて、とても素敵な人物だ。
「週に何回もって、大変じゃないの? だから疲れてるんだよね」
皇帝がどのような人物か知らないが、杏喜は十三歳。自分に経験が無いので想像になってしまうが、なんだか大変そうな気がした。皇帝、ちゃんと気を使ってやってるんだろうか。
「……わわっ、私はどうしても閨に入るのが怖くて。夜通し舞を披露しているのです。それで疲れが抜けなくて、先日は湯屋であんなことに……」
「夜通し踊ってるの!? 週に何回も!? そりゃあ疲れるわけだ……」
「小主は舞の名手として、郷里では有名でございました。小主ご自身も、本当はその道に進みたかったのです」
――ははあ。そういうことだったのか。わたしは事情を理解した。
そうだよなあ。十三歳の子が、親くらいある年齢の皇帝とあれこれするなんて怖いだろうな。
「まっ、舞っていれば、主上はそれ以上のことをお求めになりません。……いつまでこの手が使えるか分かりませんが」
そう言って泣きそうになる杏喜。うーん、痛ましい。
しかし、自分に経験が無さすぎて何と声をかけてよいか分からない。
困ったわたしは、とりあえずぐいと盃を傾けて酒を補給する。
「……なぜ今日あなたをお呼びしたか分かりますか」
黙るわたしに、下を向く杏喜。沈黙する場に助け舟を出したのは茗茗だった。
「えっ。この間のお礼じゃないの?」
「もちろんそれもありますが。もっと大切な理由があります。たとえ命を救われたとしても、一介の宦官にこのようなもてなしはしません」
そこまで言って茗茗は沈黙する。
そして相変わらず泣きそうな杏喜。
二人の顔を交互に眺めて、もしやと気が付く。
(えっ。わたしのターンなの? 困ったなあ。クイズって苦手なんだよなあ)
仕方がないので、とりあえず酒をおかわりする。
最初にもらった黄酒はとうに空になり、次の壺も空になり、今飲んでいるものは果実の醸造酒だ。たぶん、杏だと思う。かすかにフルーティーな香りがして、上品な口当たりだ。
酒を飲み下す喉の音が響き渡る室内。
しびれを切らした茗茗がはあと大きなため息をつき、クイズは終了を告げた。
「まったく、小主がどうしてもというからあなたを選びましたけれどね。わたしは賛成しているわけじゃありませんから。そもそもただの宦官ですし」
そう前置きして茗茗は苦い顔で続ける。
「あなたに、小主のご友人になっていただきたいのですよ」
「えっ。そうなの? わたしは全然いいよ」
友達になりたいなら、早くそう言ってくれたらよかったのに! お酒やご馳走がなくったって、断りはしない。
「よ、よいのですか!」
ぱっと顔を上げる杏喜。
すごく驚いているけれど。もしかして、断られると思ったから終始言葉少なで怯えていたのだろうか。
「もちろん。っていうか、わたしでいいの? 自分で言うのもなんだけど、わたし、あんまり人から好かれる性格じゃないみたいだよ。変人とか、愚か者とか、怠け者とか。そんな風に見えているみたい」
「でしょうね」
小気味よく茗茗が肯定する。そして、ですが、と続ける。
「それが逆にいいのではないいか、という点は私も認めております。あなたのように打算がなく、とぼけているような人間の方が、小主の心の健康に貢献できると思いますので」
「う~ん? ごめん茗茗、話が難しい」
「理解できないのなら、しなくてよいです」
「わかった」
全然いいんだけれど、もっとこう、後宮にいるのなら後宮で友達作ったほうがいいんじゃなかろうか。
でも、ご主人命の茗茗がそうしないってことは、きっと理由があるんだろう。
気を取り直してわたしは杏喜に手を伸ばす。
「よろしくね」
「はっ、はいっ!」
ぎゅっと握手を交わす。満面の笑みを浮かべた杏喜はまるで向日葵のように見えた。この笑顔を見てしまったら、皇帝が心を掴まれてしまうのも分かる気がした。
距離を縮めていけば、もっとこんなふうに笑いかけてくれるんだろうか。楽しみだ。
「ところで杏喜。さっきから気になってたんだけどさ」
「なんでしょうか?」
「確認なんだけど、後宮にいる妃嬪様たちって、お世継ぎを生むことが仕事なんだよね?」
「そ、そうですけど」
不安げな表情になる杏喜。閨を怖がり、舞をしていることを咎められると思ったのだろうか。
しかし、わたしが気になったのは全く別のことだった。
「じゃあ、どうしてこの宮殿は麝香の匂いがするの? 麝香は流産を起こす働きがあるから、よくないんじゃない? 今杏喜はそういうことをしていないから平気なのかもしれないけど、将来のことを考えるとあんまりよくないよ」
この殿舎に入ったときに香った甘美な香り。柑橘系の香りに交じってかなり薄れていたが、ムスクのようなその特徴的な香りは、紛れもなく麝香だった。
酒と美食に意識が持って行かれて頭から抜け落ちてしまったものが、今ようやく戻って来た。
ほんの興味程度に聞いた質問だったのだけれど。
――杏喜と茗茗の顔は、真っ青になっていた。




