やぶ医官と姫様
女湯から上がる甲高い悲鳴。
眠気でぼんやりしていた頭が一気にたたき起こされた。
(なんだぁ?)
「杏喜さまっ!!」
「小主! どうしましょう! 誰か来てっ!!」
番台から降りて、様子を見に行く。
扉を開けるとむわっとした蒸気とともに、床に倒れる杏喜の姿が目に飛び込んできた。真っ赤な顔をして、苦しそうな表情だ。
「ありゃ。どうしたの?」
「無礼者! 宦官ごときが小主を見るでない!」
「早く太医を呼んで!」
一人の女官は手ぬぐいで杏喜の身体を隠し、もう一人はわたしの前に立ちはだかった。
――この宦官という立場は誠に不便である。男でも女でもないうえに、城内の身分カーストでいったら最下層だ。何をするにも馬鹿にされ、物事に立ち入ることを許されないのだ。
(……湯あたりだろうなあ。お風呂は疲れをとるけれど、過労の者が入るとかえって疲労を増すものだから)
だから最初に具合を確認したのになあ。
まあ、出て行けと言うならそうするまでだ。
女官に押し出されるようにして脱衣所に戻る。七淫子を呼び、侍医院から医官を連れてくるようにお願いした。
◇
――およそ三十分後。
「太医がいらっしゃいました!」
侍医院から医官がやってきた。速やかに中に通し、脱衣所に移動された杏喜のもとへ案内する。わたしは接近を許されなかったので、番台の四角いスペースに戻って見物することにした。
――しかし、この医官がてんで出来ないやぶ医者だった。
「えっと。汗をかいていますね。発熱もしている。えっ? 疲れていた? では、風邪でしょうね。このまま発汗を続けて邪を払いましょう。発汗を促すお薬を出しておきますから、一日三回、二日間飲ませてください」
(おいおいおい。湯あたりの人間に発汗を促したら死ぬぞ。こいつ新人か?)
わたしより少し年下――二十代前半くらいの医官は、持ってきた荷物を広げて調剤を始める。
その手は小刻みに震えており、薬さじからぽろぽろと生薬がこぼれている。緊張しているのだろうか。女官たちも不安そうに様子を見つめている。
(麻黄、桂皮、杏仁。――麻黄湯みたいなものを作ろうとしているのか)
麻黄湯とは、上記生薬にさらに甘草を加えたもの。風邪の初期によく用いられる処方だ。寒気や発熱があることが使用の目安とされ、発汗を促すことで風寒の侵入を防ぐものである。
ここで、この医官は二つ目のミスを犯していた。
一つ目は、まず湯あたりを風邪だと誤診していること。
そしてもう一つは、杏喜に対して麻黄湯もどきを選択していることである。
もし杏喜が本当に風邪であったとしても、麻黄湯は使わないほうがいい。なぜなら、彼女は体が小さくて細身、そして疲労している状態だった。このように虚している状態の者には、麻黄湯の効果は強すぎるのである。身体のエネルギーを損ない、かえって症状が悪化する恐れがあるからだ。
(こいつ、修行し直した方がいいな)
わたしでも分かることを分かっていないあたり、医官失格である。
はらはらした顔で様子を見守る七淫子を呼び、わたしは彼の耳元で次の指示を囁いた。




