ちいさな姫様
湯屋に来てから一週間が経った。
夜に営業する湯屋では昼夜逆転生活である。わたしは午前十時に寝て、夕方十七時に起きるリズムが定着しつつあった。むろん、例外はある。疲れているときはすぐに寝る。
きちんと寝ないと寿命を縮めるので、睡眠時間は削らない。そうなると丹薬の研究は隙間時間に取り組むしかない。手が空くとすぐさま神農本草経ノートを持ち、あちこちの草木を見て回るようにしている。
御薬苑といった例外を除き、基本的にこのお城の地面は石畳だ。しかし、湯屋の近くには洗装房という洗濯場がある。おそらく水はけの関係かなにかだと思うけれど、そこは石畳ではなく土なのだ。先日敷地の外れのほうに草木が茂っていることを発見したので、今日はそこを見に行くことにした。
「おっ。こりゃあすごいぞ!」
さっそく見つけたのは、コンドデンドロンだった。背が低く、枝はつる状になっている植物。図鑑で見知ってはいたけれど、実物を目にするのは初めてだ。
隣の木に巻き付くように生えている。かわいいなあ。
なにがすごいかと言うと、このコンドデンドロンはクラーレという有名な成分を持っているのだ。
クラーレは古くから矢毒として使われていた一方、低用量では筋弛緩薬や痙攣治療薬になることが知られている。まさに、使い方によって毒にも薬にもなるものの代表的存在だ。
「さっそく頂戴いたします」
ポケットから小刀を取り出し、樹皮を削る。クラーレは樹液に含まれており、血液に入らない限り毒に当たることはない。逆に言えば、手や口内に生傷がある場合は死ぬので要注意だ。
樹液たっぷりの樹皮を麻袋に入れ、急いで湯屋に持ち帰る。適当な壺に収納し、ふうと汗を拭く。
(……よし。さっそく舐めてみよう)
樹皮に滲む白い液体を、ちょいと人差し指でとる。
ぺろりと舐めれば、ほのかな苦みが口内に広がった。
(なるほどなるほど……)
舌で樹液を転がし、すみずみまで味を確かめる。苦いものは胃にいいというから、もしかしたら胃薬としても使えるかもしれない。一週間ほど毎日一舐めを続けてみて、胃の調子を確認していこう。
味を確認した後は、外観のスケッチをおこなう。それが終わったら、小刀でさらに傷をつけ、ありったけの樹液を回収する。半分は小瓶に入れて液体のまま保存。もう半分は煮詰めて濃縮し、粉末状に加工するつもりだ。
(ふふっ。満足満足!)
そしてわたしは神農本草経ノートにこう書き記した。
“コンドデンドロン クラーレ。毒があるが、容量しだいで筋弛緩薬や抗痙攣薬になる。扱いが難しいため下薬とする。薬用部位である樹液は白く、味は苦い。洗装房にて採集”
◇
明け方。仕事終わりの男性客の波が終わり、お勤め後の妃嬪様たちが来る時間である。
四角い番台のスペースの中でうとうとしていると、女湯側の入り口が開いた。
入ってきたのは、お付きの女官二人と小さなお姫様だった。
(随分小柄だなあ。化粧しているけど、きっとまだ中学生くらいなんじゃないか?)
背丈は百五十あるかないか。おしろいをはたき、目じりに朱を入れてばっちり化粧を決めているものの、あどけなさは隠しきれていない。そして、妙におどおどしていて視線が泳いでいる。疲れているような表情はお勤め後だからだろうか。
そのような状態だから、話しかけずにはいられなかった。
「ねえお姫様。大丈夫? 具合悪いの?」
「ふあっ!?」
びくっと肩を震わせて、素っ頓狂な声を上げるお姫様。わたしを見て口を開けたり閉じたりして、挙動不審だ。……人見知りなんだろうか。
「湯屋の宦官ごときが失礼な。こちらは夏答応ですよ」
気の強そうな付き添いの女官に威嚇される。
しかし、何かと怒られることの多い人生を送って来たので、これぐらいなんてことはない。
「ごめんごめん。で、どうかしたの?」
「答える筋合いはありません。さ、杏喜様。行きましょう」
女官二人に囲われるようにして、杏喜は脱衣所に進んでいった。
幾重にも重ねた衣の下から出てきたのは、やっぱり幼い身体である。倒れそうなぐらい細いその身体を女官に支えられ、風呂場へ消えていった。
(後宮って何歳から入るんだろう? あんなに若いのに大変だなあ……)
二十六になっても男性経験ゼロのわたしには、雲の上の世界の話である。
七淫子と六淫子もしかり、この世界の子どもは苦労が多い。可哀想なことである。他人のことはどうでもいいたちだけど、湯屋に来てからは人間観察する時間が多く、つい感情移入してしまった。
それはさておき、営業終了まであと二時間。
(疲れたから、終わったらとりあえず寝よう。昼夜逆転はなかなかきついものがある)
そんなことを考えていると、甲高い悲鳴が鼓膜を震わせた。
お読みくださりありがとうございます。
実は華佗演義の表紙絵を描いていただきました。週末にUPできると思いますので、ぜひ楽しみにしていただけますと嬉しいです。




