湯屋の仕事
前任者のマニュアルによると、湯屋の大まかな運営はこういうことだった。
・営業時間は辰時から戌時。毎月一日を定休とする。
・毎日風呂場の掃除をする。
・最低でも三日分の薪が常に貯蓄されるよう、定期的に薪を割る。
・毎日湯銭の勘定をする。十日ごとに間違いなく内務府へ納入すること。
「うへえ。夜型生活確定じゃん……」
労働者の風呂だけあって、夜間に営業して昼間は閉じるということだ。
十二時間営業して、営業後には清算と風呂掃除をする。こまごまとした雑務も含めると、結構忙しいんじゃないか、もしかして?
……はあ。ため息が出る。
考えれば考えるほど面倒だ。楽しくもなさそうだし、全く気は乗らない。
しかし、やると決めたのだから仕方がない。
(……まあでも、七淫子もいるから、手分けすれば意外と早く終わるかも)
深いため息をついたためか、七淫子が不安げにこちらを見上げている。捨てられた子犬のような目をしていて、わたしはぐっと胸を詰まらせた。
(頑張れわたし。最低限のことだけやればいいんだから)
明日からさっそく営業再開だという。
今から準備を始めて、明日の夜からの営業再開に備えなければ。
「七淫子。営業に向けて準備するから手伝ってくれる? 見ての通り、右腕を骨折していて不自由なんだ」
「はっ、はい! もちろんです」
七淫子のお尻に、振りきれんばかりに揺れる尻尾が見えた気がした。
行方の知れない六淫子は数に入れないほうがよさそうだ。わたしは七淫子と手分けして準備に取り掛かった。
◇
夕方まで作業や諸々の確認を行い、七淫子と一緒に夕食をとった。
侍医院では一日一回、冷や飯一膳の食生活だったけれど、ここでは一日三回一汁一菜が食べられることが判明した。
「くぅう……!! お汁の塩味が身に沁みる! しかも温かい! 最高だ……!」
左手を一生懸命動かしてがつがつと食らいつくわたしに、七淫子は戸惑いを隠せない。
「そ、そうですか? 雑用係はどこも同じ献立って聞いていますけれど、侍医院はもっと粗末なんですね……」
この世界に来てから質素な食生活が続いていたため、思ったより自分は空腹だったらしい。椀はあっという間に空になった。
(いやあ、やっぱり食事って大切だわ。これまでになく頭が冴えてきてる)
食べたものが身体を作る。だから、健康な体を作るためには良質な食事をとることが必要だ。――医食同源という漢方の考え方である。そういう意味では侍医院時代のわたしは不健康そのものだった。まあ、仕方がなかったのだけれど。
(腹七分目。幸せだ……)
満足。実に満足である。
薄暗くて隙間風の入る倉庫と違い、湯屋の控室は明るいし温かい。これで薬関係の要素があれば最高だったんだけれど、人生そう上手くはいかないものである。
ちなみにこの控室は七畳ほどの広さで、双子宦官とわたしの生活空間だ。ちゃぶ台と座布団があり、物入には布団と衣類が収納されている。物が少ないので、実際の広さ以上に広く感じて良い。
足を伸ばしてくつろいでいると、七淫子が遠慮がちに話しかけてきた。
「あの。……海里さんはどうして宦官になったんですか? かっこいいし、育ちも良さそうなのに。あっ、すみません。答えたくなければいいんです!」
「わたし? うーん、そうだなあ……」
何と答えたものか、と悩む。みんなどうして宦官になるんだ?
そして、こういう時は同じことを聞き返したらいいのではないかと思いつく。
「ちなみに、七淫子はどうして宦官に?」
「ぼっ、僕ですか? 僕は……」
――――七淫子の話はなかなか悲惨だった。
彼の故郷は国境沿いにある異民族の村。隣国からしょっちゅう盗賊が入るらしく、村は貧しかった。黎は強国だが、国境付近の小競り合いまでは庇護の手が回り切っていないらしい。
七淫子の両親は酒に溺れ、子どもを作るだけ作って働かなかった。長男の七淫子と六淫子は糞拾いをしてわずかな銭を稼ぎ、幼い弟妹たちを養っていたのだとか。
「うんちを拾う職業なんてあるのねえ」
つい気になってしまったことが、口を突いて出る。
「職業と言えるのか分からないですけど……。二日に一回葛粥が食べられる程度の稼ぎですから」
「そっか。……七淫子と六淫子は小さいころから大変な思いをしてきたんだね」
わたしが小さい頃はなにをしていたんだっけ。
そこらへんに生えている雑草を食べては腹を壊し、両親に怒られていた気がする。家族を支えていた七淫子とは大違いだ。
「当時はそれが当たり前だったので、大変という感覚はなかったです。……それで、村には仕事自体が少なくて、そのうち糞拾いでは生活が立ち行かなくなりました。だから、宦官になって出仕することを決めました」
宦官になるには、ブツを切り落とすという地獄の苦しみを味合わなければならない。しかし、そうするだけの意味と見返りがあると七淫子は言う。
「安定して一定の給金が出ますし、家や食事も保証されます。僕たちが真面目に働けば、長い目で妹弟たちの暮らしを支えることができるんです」
「……そうなんだ。ごめん。あの、そのわりに六淫子は不真面目じゃない?」
業務を弟に押し付けたまま、結局まだ帰ってこない。もう夜なのだから、遊ぶ場所もないだろうに一体どこに行ったんだろう。勤務不良がバレたらクビになるんじゃなかろうか。
「兄さんは色んな妃嬪様のところに行って油を売っているんです。妃嬪様に気に入られれば銀子やお菓子をもらえますから、湯屋で真面目に働くより稼げるんです。……まあ、そのお金は仕送りせずに自分で消費しているみたいですが」
チクリ、と付け加えられた一言に七淫子の鬱憤を感じる。
見た目からして一卵性の双子だろうに、性格は正反対だ。与えられた仕事を真面目に取り組む七淫子と、要領よくもっと稼げる生き方を見つけた六淫子。貧しい村でぎりぎりの生活をして育ったことを考えれば、どちらが正解ということもないのだろうな、と思った。
(――七淫子は真面目だけど、結構話好きなんだな)
そう感じたわたしは、実はずっと気になっていたことを質問する。
「ねえ七淫子。宦官になる手術って、どうやるの?」




