六淫子と七淫子
翌日。
湯屋出勤初日である。いつもの時間に起きて、教わった道を通って湯屋を目指す。
目的の湯屋は敷地の北東の隅にある。後宮で働く者の銭湯的位置づけであり、利用者は女官や殿舎に風呂がない下級妃、そして関係機関で働く男性や宦官ということであった。
わたしの役目は湯屋の業務全般。前任者のおばあさんが急死したため、若い新入りで要職にも就いていないわたしがいいのではと、ここの利用者である常敏が推薦したらしい。
(とはいえ、今こんな状態だけど大丈夫?)
右腕は骨折中、全身は痣だらけ。若くて活きのいい宦官にはとうてい見えないなりである。
しかし、前任者がおばあさんというくらいだから、それほどハードではないのだろう。余った時間で侍医院へ遊びに行けるかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、一時間ほど歩いたところでそれと思しき場所に到着した。
『湯華門』と扁額が掲げられた門を通ると、大きな平屋が姿を現す。
「ここが湯屋か……」
朱色の壁と柱に、黄色の屋根瓦。上の方には龍や獅子を模した彫り込みや華やかな着色がなされていて、侍医院よりだいぶ華やかである。
(この世界のお風呂って、どんな感じなんだろう)
単純に、興味が湧く。侍医院の医官たちは湯屋や自宅で風呂に入っているみたいだったけど、雑用係のわたしは桶に冷水を溜めて洗っていたからだ。
――中に入ると、番台の奥に「女士」「男士」と書かれた二つの衝立がある。ここから湯が分かれているようだ。
女湯方向に進んでみると脱衣所になっており、赤毛の少年が二人寝転んでいた。
「ん? 誰、あんたたち」
声をかけると、二人は飛び起きた。
なんと、顔がそっくりである。背丈も同じ。――双子だろうか?
「ぼっ、僕は七淫子! ごめんなさい。疲れたから休んでいたんですっ」
「俺は六淫子。お前は誰だ?」
くりっとした栗鼠のような目に、赤いっほっぺた。同じ顔が付いているというのに、性格は正反対のようだ。眉毛の下がった気の弱そうな方が七淫子で、眉毛のつり上がった生意気そうな方が六淫子である。物覚えが悪いわたしでもすぐに覚えた。
「わたしは海里。常敏に今日からここで働くよう言われて来たんだよ」
「ああ、お前がそうなのか」
中学生になりたてくらいの年頃なのに、一丁前なふるまいをする六淫子。
聞けば、彼らは湯屋付きの宦官なのだという。前任のおばあさんが亡くなってからは二人で切り盛りしていたらしい。しかし幼い兄弟には管理の負担が大きく、手抜かりが重なったため、ついに昨日から湯屋は閉店。疲労困憊で休んでいたところだったらしい。
「よかったあ。これで楽ができる! じゃあ海里、あとは頼んだぜ!」
そう言って六淫子は急に元気を取り戻し、かろやかに外へ駆け出していった。
出遅れた七淫子は、そっとわたしの顔を伺う。
「……ごめんなさい。兄さんはあんまり真面目じゃないんだ。でも、そのぶん僕が働くから安心してね」
「ありがとう。この湯屋は利用したことがないし、そもそもお城に来てから一か月も経ってないんだ。何も分からないから助かる」
にこっと笑って見せれば、七淫子はホッとした様子だった。
心優しい七淫子に感激しながら、湯屋を案内してもらう。
――おおまかな造りとしては、男湯と女湯が一つずつ。各湯の前に脱衣所があり、入口には番台がある。ここまでは日本の銭湯と一緒だ。
異なる点としては、洗い場に水道はなく、五右衛門風呂のような大きな桶から各自手桶で湯をとるようになっている。そして、肝心の湯船はかなり狭い。水を温めるのは薪だというから、火力の関係上、広い湯舟にできなかったのかもしれない。
(温かいお湯は貴重だって呂岳が言ってたなあ)
十人浸かったらぎゅうぎゅうになりそうな湯船を眺めながら、一体一日何人くらいお客が来るのかを七淫子に尋ねる。
「日によりますけど……多くて五十人、少ないと誰も来ないこともあります」
「そんなもんなのか。もっと多いかと思った」
「みんな忙しいから、来たくても来られないんです。あと、お金もかかるから、節約のために来られない人もいっぱいいます」
つまり、ある程度の給金をもらっていて、仕事量を調整できる立場の者がメインの客層ということだ。貧乏人や、ブラックな職場にいる者は来たくても来られないらしい。
「なるほど。それで常敏が常連なわけね」
「……はい。女性ですと、下級妃様や、上級妃様にお仕えする女官が多いです。やはり女性は男性より身なりを気にされますから、七割は女性のお客さんです」
「ふぅ~ん」
一通り見学を終えたわたしたちは、入口にある番台まで戻る。
七淫子は番台の下から帳簿をいくつか取り出し、わたしに差し出した。
「これが引継ぎの資料です。わからないことがあったら僕に聞くか、これを見てください」
「ありがとう」
受け取ってパラパラと中身を見る。前任のおばあさんは生真面目な性格だったようで、ものすごく丁寧な業務マニュアルがそこにあった。
(ありがたいけど…………うーん。退屈だ)
――ここまでのところ、薬に関わる要素は何一つない。
本当に、単なる銭湯である。
(逃げ出す算段でいたけれど、七淫子が可哀想だ。兄貴にこき使われていたみたいだし)
顔と背丈はそっくりだけど、七淫子は六淫子に比べて随分痩せている。不真面目な兄の分も働いていたのだということが容易に想像できた。他人に興味が薄いたちだが、頑張っている子どもを見ると情が移ってしまう。
(……適当に湯屋をやりつつ、余った時間で侍医院に通うかぁ)
薬が関わらないことは、万事重要でない。湯屋の運営は最低限の労力で行うこととし、呂岳に会いに行くふりをして、空いた時間は侍医院に入り浸ろう。
そう決めたので、さっそく仕事をこなしてしまおうと頭を切り替えた。




