男子会
「そりゃあ白貴人様だよ。なんでそんなところにいたのか……というか桃園があるなんて初めて知ったけど。散歩に来ていたんじゃないか?」
報告すると、呂岳はそう教えてくれた。
皇帝の奥様方が住むところ――つまり後宮に住んでいるお方。白、という姓に後宮での身分階級を表す貴人が合わさって、白貴人と呼ばれているらしい。
――呂岳が持って来てくれた豆をつまみながら、深夜の男子会は行われている。
「後宮って、どこにあるの?」
いかんせん普段侍医院の周りしかうろつかないわたしにとって、ここの周辺以外は未知の場所である。散策したいのだけれど、仕事が忙しすぎて時間がないのだ。
「侍医院から見ると、南東の方角だな。たまに診察の手伝いで行くけど、まあすごいところだよ」
後宮とは、華やかな女の園。皇帝の妻である妃嬪、そして各殿舎に仕える女官や宦官含めると五万人近い人間が働いているそうだ。
呂岳曰く、きつい香の匂いが充満していて行くと必ず頭が痛くなるらしい。皇帝の寵を競う妃嬪たちはみな、これでもかと着飾り香を塗り込んでいるのだとか。
「俺は醜女でいいから質素で優しい子をお嫁さんにしたい」
などと聞いてもいないことを教えてくれた。
美女に喜ばないあたり、やはり真面目な男である。ふうんと気のない返事をすると、怒られた。
「それよりなあ! お前、不注意で骨折なんてしちゃってこれからどうするんだよ。働けない雑用係なんて、絶対クビだぞ」
「いや、それが大丈夫なんだよ」
豆を一つ取り、ぽり、と奥歯で嚙み潰す。
呂岳は不審げな表情だ。
「何が大丈夫なんだ?」
「常敏が、骨折中でもできる仕事を振ってくれるってさ」
「そうなのか! さすが常敏様だな。愚か者にもお優しい」
確かにわたしは愚かだった。
小さいとはいえ山なのだから、熊や獣が出てきたっておかしくない。食われずに転落したくらいで済んだことは、誠に幸運と言うしかない。今度からは熊避けの鈴を持つこととし、有事に備えて鍬を手放さずに携帯しよう。
院長の仁芳先生が手当てしてくれた右腕は、添え木をして包帯でぐるぐる巻きになっている。先生の見立てでは、少なくとも三か月しないと完全には癒合しないだろうとのことだった。
「左手は動くから、調剤の手伝いを振ってくれたら嬉しいんだけどな」
「どうだろうなあ。内勤の人員は足りてるからなあ」
とにかく、もう少し薬に近づける仕事だと嬉しい。今の仕事はその名の通り雑用ばかりで、丹薬への手がかりが全く無いのである。夜まで働きづめで、布団に倒れ込んで気が付いたら朝という生活だ。
――淡い期待を抱いていたものの。
翌日常敏から告げられたのは非情な通達であった。
◇
いつもの笑みを張り付けた常敏は、倉庫に来るなり宣告した。
「あなたの次の仕事が決まりました。湯屋です。さっそく本日から向かってください」
「…………は?」
「おやおや、聞こえなかったのですか。もう一度だけ言いましょう。本日から湯屋で仕事をしてください」
湯屋って、つまり銭湯のことだろうか。お城の銭湯で働いてほしいと、常敏はそう言っているのか?
そんなの返事は一つに決まっている。
「嫌だ。わたしは侍医院で働くために来たんだから」
銭湯で丹薬は作れない。絶対にご免だ。
しかし、常敏はくいっと口角を上げて続けた。
「怖い顔をしても、あなたに拒否権はありません。これは決定事項です」
「じゃあクビにして。お城から出ていくから!」
街に出て、街の診療所か薬局で雇ってもうほうが百倍マシだ。無理やり連れて来られただけであって、別にお城にいる必要は一つもないのだから。
きっと常敏の目を見つめるも、そこにはいつもの笑っているようで笑っていない瞳があった。
「海里、あなたは自分の立場を忘れていますね? あなたは身寄りのない卑しい民です。ここ炎麒城に売られた以上、外に出ることはできないのですよ」
冷え冷えとした声に、常敏が怒っていることを感じ取った。
しかし引き下がるわけにはいかない。こっちだって一生の夢が掛かっているのだから。
「左手は動くもの! 掃除とか、調剤の手伝いとか、在庫の確認とか、ここでできることはあると思う。今まで一生懸命働いてきたのに、いきなり湯屋に行けって言われても困る!」
「海里」
思いつくままに言葉を重ねていると、今まで聞いたことのない低い声で、ゆっくりと名前を呼ばれた。
――常敏はもう、笑っていなかった。
「あなたを棒叩きの刑に処します。呂岳!」
只今参ります、と少し離れたところから返事があり、呂岳が小走りで入ってきた。
呂岳は常敏の表情を見てぴたっと動きを止める。そして、ちらりとわたしの方を見て「お前、何をやらかしたんだよ」と目で話しかけてきた。
「呂岳、海里を棒で百回打ちなさい。手加減は許しません」
華佗演義の後宮は中国の清時代を参考にしています。
位が高いほうから順に、皇貴妃、貴妃、妃、嬪、貴人、常在、答応、官女子となっています。




