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わたしの神農本草経

 “熱渇虫。味は酸。服用すると十二時間後より高熱が生じ、解熱には三日かかる。発汗作用あり。毒性強く連用に向かないため下薬とする”


(よし。メモ完了)


 わたしを高熱に至らしめた謎の虫は、その効果から熱渇虫と名付けた。

 判定は「下薬」である。


 ――わたしは自分で検証した生薬の効果を三種類に分類して評価している。


 上薬―養命薬(生命を養う目的の薬)。無毒で長期服用が可能。身体を軽くし、元気を益す。

 中薬―養性薬(体力を養う目的の薬)。使い方次第では毒にもなるので注意が必要。病気を予防し、虚弱な身体を強くする。

 下薬―治病薬(治療薬)。毒性が強いものが多いので長期にわたる服用は避けたほうがよい。病気を治すために用いる。


 この分類は、神農本草経という中国最古の薬学書で用いられているやり方だ。それをわたしも真似ているという訳である。


 いきなりこの世界に来てしまったので、これまで書き溜めていたノートは全て実家に置いてきてしまった。残念なことだけど、中身は頭に入っているからよい。

 侍医院からくすねてきた白紙の帳簿。これがわたしの新しい神農本草経となる。


 ◇


「海里。仕事が溜まっていますから、休んでいた分もよく働いてくださいね。御薬苑の耕作からお願いします」


 くいっと口角を上げた常敏に尻を叩かれ、三日ぶりの仕事に向かう。

 わたしは勤勉なタイプではないので、こういう風に監督してくれる人がいると助かる。常敏は育ちがよく麗しい青年であり、とてもしっかりしているのだ。


 彼の指示通り、御薬苑に向かう。

 侍医院は、このだだっ広いお城の敷地でいうと北西の隅に位置しているらしい。横に長い二階建ての侍医院、すぐ横にわたしの住まいである倉庫、そして裏手に御薬苑という位置関係だ。


 そして実はこの御薬苑、畑というより小さな山と呼ぶ方が適切だ。一方の斜面は段々畑のように切り拓かれ、反対側の森林部にはさまざまな薬樹が植わっている。

 お城の敷地内なのに山があるあたり、ここの総面積は滅茶苦茶広いのだろう。


(急いで仕事をして、稼いだ時間で薬草を見て回ろう)


 (くわ)を担ぎ、山道をぐんぐん登っていく。

 黎は晴れの日が多い。森林の澄んだ空気と柔らかな朝日がとっても気持ちがいい。

 先日倒れた畑に到着し、さっそく鍬を振るい始める。


 斜面にあるここは眺めがよく、広いお城の敷地をある程度見渡すことができる。

 気分よく鼻歌を歌いながら取り組めば、あっという間に畝ができあがった。


「不格好だけど、初心者だから仕方ないよね。少し休憩したら森の方を見に行こう!」


 持ってきた水筒を手に、斜面に臨む岩に腰かける。


 改めて眼下を見下ろすと、なんと広いことか。

 奥の方は朝霧が発生しているため、敷地の終わりは見えない。黄色い屋根に朱色の壁をした建物が堂々と立ち並び、朝日に照らされる様はまさに幻想的そのものだ。


(最初にいた山から見たときは、このお城の向こうには町が広がっていたんだよね)


 このお城は長方形の城壁で囲われており、外側は街になっていた。実際、その街を抜けてわたしはここへやって来た。


(薄暗くてよく見えなかったのが残念だなあ。外に出る機会はあるんだろうか)


 街の診療所や薬局にも丹薬のヒントがあるかもしれない。せっかくこの世界に来たからには、余すところなく知識を網羅したい。


 ――そんなことを考えていたので、後ろから誰かが近づいてきていることなど、わたしはちっとも気が付かなかったのである。


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