プロローグ
この世に「薬剤師」という職業が無ければ、ただの木偶の坊であっただろう人間。それが源海里だ。
性根は悪くないが、のろまで怠惰。二言目には面倒だと言い、三言目を言う前には酒を求めて何処かへ消える。物事への執着が異常に薄く、常に流れに身を任せてふらふらと生きていくような性質である。
一方で、その自由気ままな振る舞いは一部の人間からは妙な人気があった。大河を漂流する海藻のような生き方をしていても、丁度良く助け船が来るような豪運を持ち合わせていた。
――神は気まぐれである。
◇
実際のところ、この世には運よく「薬剤師」という職業が存在したので、海里は食い扶持を持つことができた。
幼いころ曾祖父から聞いた中国のむかし話。そこに出てきた不老不死の妙薬『丹薬』は、小さかった海里に大きな衝撃を与えた。
具体的に、なにがどう彼女の心をつかんだのかは、本人ですらわかっていない。一つ明確な真実があるとすれば、この瞬間から彼女の運命が動き出したということである。
彼女は丹薬を作ってみたいという強い意志のもと、行動を始めた。庭に生えている草を手あたり次第に食べてみたり、すり潰したものを傷に塗り込んでみたりと、己の身体を使って人体実験をしたりするようになる。いたって平凡な両親はひどく頭を抱えたという。
それは思春期を迎えても変わることがなかった。SNSも流行りのファッションにも興味を示さず、海里は丹薬の追求に没頭していた。日本各地の山に登り、珍しい草木や果実を持ち帰っては生薬に加工して使用した。
当然、妙なものを服用すれば腹を下すこともあったし、蕁麻疹を出すこともあった。救急車で搬送されたことも一度や二度のことではない。だがしかし、その現象ですら彼女にとっては収穫であった。真っ青な顔色に不気味な笑顔を浮かべて記録をつける海里を見て、ついに両親は説得を諦めたという。
丹薬が関係しないことは一切せず、勉強も家の手伝いも怠けていた海里。しかし、ある日丹薬を作るためには薬剤師にならなければいけないと思い立つ。のらりくらりと最低限の勉強をし、持ち前の豪運で薬科大学に入学を果たした。酒の美味しさに目覚めてからは危うく廃人になりかけたが、どうにかこうにか薬剤師になった。
薬剤師になってからも彼女の夢は変わることはなかった。いつか丹薬を作るのだという決意を持ちながら、客がほとんど来ない田舎の漢方薬局で働いていた。丹薬の探求と美酒に溺れる彼女の毎日は、とても充実していた。
――結論を言おう。
彼女は若くして突然姿を消したが、不幸ではないのである。
なぜなら気まぐれな神のいたずらか或いは必然か。海里の魂はとある世界に転移して、さらなる丹薬の追求を許されたのだから。
(表紙イラスト:花緒様作)
新連載です。よろしくお願いいたします。




