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万能でない神様  作者: まつだつま
9/23

死神への依頼

『トン、トン』とドアをノックする乾いた音が、わしの鼓膜を叩いた。

 背筋が勝手にピンと伸びた。さすがのわしも緊張していた。

 ドアの向こうに立つ相手は油断できない。普通の神様とはわけが違う。一癖も二癖もある神様だ。この神様に依頼すべきではなかったのではと、ここにきて弱気になっていた。

 三十分前に死神から電話があり、今から協会長室へ向かうと言ってきた。

 ここに死神を招き入れることは避けたかったのだが、死神の強引な押しにやむ無く了承してしまった。

 自分から依頼した件についての打ち合わせがしたいと言われると、無下に断ることも出来なかった。こっちから死神の事務所に出向くと言ったが、ゆっくり話す場所がないと言ってあっさりと断られた。

 わしは、死神に人間にした北の神を神様に戻すため、北の神の百八歳まである人間としての寿命を三十歳で切るよう、死神に依頼をした。

 死神は、今回の依頼は異例中の異例で、死神としてもすごく気を使う案件で神経をすり減らす。誰にも気づかれず内密にすすめなければならないので、わしと二人きりで打ち合わせがしたいと、ねちねちとしつこく言ってきた。

「協会長、急にお時間をとっていただきありがとうございます」

 ドアをノックすると同時に協会長室に入ってきた死神は右手でとった帽子を胸にあて、慇懃に頭を下げた。

「急すぎるな。どうした?」

 わしは椅子から立ち上がり、左手で死神にソファをすすめながら言った。

「今回のあなたからの依頼について最終の確認をとりたかったんですよ」

 死神はそう言いながらソファにどっしりと腰をおろした。

「あんたがここに来なくても、こっちからあんたの所に出向いたのに」

 わしはそう言いながら死神の座るソファの前に腰をおろした。

「いやいや、うちの事務所なんて汚くて狭いうえにうるさいですし、神様協会のトップが来るようなところではありませんよ。それに、一度、神様の協会長室がどんなところか見たかったもんですからね。なかなかこんな機会は無いですから。神様協会のトップのあなたと死神の私がタッグを組むことなんて、この先、いつあるかわかりませんからね」

 死神はソファに体をあずけ、協会長室をぐるりと見渡した。

「やっぱりすごいですね。協会長室だけあって高価なものばかりじゃないですか。だいぶ、稼いでますね」

 死神が部屋に飾ってあるわしのコレクションの絵画や彫刻、そして部屋の豪華な内装や照明に視線を走らせていた。

「あんたには、あまりここには来てほしくないんだがね。神様協会のトップが死神と会っていたなんてことが世間に広まると、あらぬ噂をたてられる。噂好きな馬鹿な奴らが勝手に尾ひれをつけて好き勝手に広める。そうなるとやっかいなことになるかも知れんからな」

「確かにそういう噂を言う奴が出てくるかもしれません。しかし、今日ここに来たのは今回の依頼についての大切な最終の確認なんですよ。人間の寿命を変えるわけです。軽い気持ちではできませんので、最終確認だけは、ここでしっかりとやりたかったんです。あなたが私に依頼した計画が本気なのかを確認するためには、あなたに直接会って、あなたの目を見て、そしてあなたが覚悟を決められるであろう、この場所でやりたかったんです」

 死神はそう言って右の口角だけを上げた。

「ほぉー、死神でもそんなことを考えるんだな。人間の寿命を変えることなんて、もっと軽くやるものかと思っていたよ」

「人間一人の寿命を変えてしまうわけですから、それも神様協会のトップからの依頼ですよ。そりゃあ、私も慎重になります。後で、違った、知らなかった、なんて言われたら、こっちとしても大変なことですからね。この仕事を引き受けた私もそれなりの覚悟を決めてるわけですから、協会長もそこはお願いしますよ」

「わしだって覚悟を決めてるよ」

「そうですか、じゃあ、そんなちんけな噂を気にすることはないでしょう」

「変な噂が広まると進めることも進められなくなるんだ。だからさっさと終わらせてくれるか」

「協会長もいろいろと大変なんですね。協会のトップなんですから、恐いものなんてないと思ってたんですがね」

 死神は薄笑いを浮かべ、深海のような目でじっと見つめてきた。わしは目を合わせるのが苦しくなり、目をそらした。

「つべこべ言わず、さっさとしてくれ」

「わかりましたよ。では」

 死神は鞄のなかから、厚さが五センチくらいある資料を取り出し、テーブルにどんと置いた。

 わしはテーブルに置かれた資料に視線を落としてから、すぐに上げ、死神の顔を見た。

 感情の読めない糸のように細い目は視点がどこに向いているのかがわからない。わしの方を見ているようにも見えるが、全く別の場所を見ているようにも見える。

「これが、今回のあなたから依頼いただいた件の計画書です」

「こんな分厚いのか?」

「そうです。これでも、あなたがわかりやすいようにと、だいぶまとめて枚数は減らしてあるんですよ」

「まとめて、これか」

「死ぬ時間を正確にするために、綿密に計画を練らないといけませんから、コンマ一秒の狂いも許されません」

「人間としての北の神が死んで、神様に戻ってくれれば、死ぬ時間なんてどうでもいいんだがな」

「あなたは何もわかってませんね。あなたの依頼がどれだけ大変なことなのか、全くわかってません」

「大変な依頼だということくらいはわかっとる」

「そうですか、わかりました。とりあえず、その計画書を開いてみて下さい。今からの説明を聞けば、あなたにも、この計画書の厚さの意味がわかってもらえるはずです」

 死神の言われた通り、『北野秀太、寿命短縮の計画』と書いてある計画書の表紙をめくろうとした。

 さすがのわしも手が震えて、めくるのに手間取った。

 死神が「フン」と鼻を鳴らした。

 こいつになめられてはいけないと、平静を装おうとしたが、腕の筋肉がいうことをきかない。

 死神を見ると、能面のような表情をしていたが、口角だけは上がっていた。

 わしも口角を上げ「フン」と鼻を鳴らしてやった。

「まず今回の計画を簡単に説明いたします。一ページ目です。早く開いて下さい」

「ああ、わかった」

 震える手を堪えながら、一ページ目を開いた。

「まず今回のターゲットは人間になった北の神、人間の本名が北野秀太です。間違いないですね」

 死神が一ページの最初に書いてあるのを読み上げてから、わしに視線を向けた。

「ああ、間違いない」

 計画書に視線を落としたまま答えた。

「ここを間違えると大変なことになりますからね」

「大丈夫だ。間違いない」

「では、そこの下の欄に協会長のサインをお願いします」

「ここか?」

「そうです。お願いします」

 わしは内ポケットからペンを取り出し、サインした。手の震えはおさまらなかった。

 ミミズのはったようなサインを見て、死神はまた、「フン」と鼻を鳴らした。

「では、次のページをめくって下さい」

「ああ」

「このページには、今回の計画の大まかな流れが書いてあります。ここを見ていただければ今回の計画のおおよそのことはわかると思います。

 まず、北野秀太の三十歳の誕生日に寿命を切るようにしています。その日の帰宅途中に交通事故で即死するという計画です。

 事故は北野秀太がいつも通勤で通るR交差点で起きます。この交差点は交通量が多く、これまでも事故の多いところです。事故を起こす時間、北野秀太の死亡時刻ですが、午後七時四十四分四十四秒にしてあります。事故原因は居眠り運転のトラック運転手の信号無視によるものです」

 死神がそこまで言ってわしの顔を見た。

「そ、そうか。北の神は交通事故で即死するのか?」

 わしは生唾を呑み込んだ。

「はい、正確には北の神ではなく北野秀太ですが、即死します。協会長も即死の方がいいでしょう? すっきり結果が出ますから、わかりやすい」

 死神は細い目で凍った視線をわしに向けた。

「う、まっ、そ、そうだな。よくわからんが、即死の方がいいのかな」

 死神の顔を見ることが出来ず、計画書に視線を落としたまま言った。額から溢れ出る汗が計画書にポトリと落ちた。

「やっぱり協会長もそう思いますか。即死が一番いいです。即死でないと、その後、人間の力によって命を助ける可能性がありますからね。人間の医療のレベルはドンドン上がっていますので、最近は、我々が病気や事故で死亡する計画を立てていても、人間が治療して命を助けるケースが増えています。我々の力も人間の医療の力に敵わなくなってきています。その点、即死の場合は、さすがの人間もあきらめるしかないですからね」

「なるほど、それなら、即死で頼むかな」

 死神はわしの顔を見てニヤリと笑った。

「協会長、次のページからは計画の内容について、細かく記載してあります。この中の一つでも狂うと失敗してしまいます。私が徹夜して綿密に計算したものです。どうぞ、お目を通しておいてください」

 わしは汗で湿った手で計画書をとり、目を通した。あまりにも細かい文字に目を遠ざけた。

「思ったよりボリュームがあるし細かい内容なんだな」

「綿密に計画してますからね。最初にお話しましたように、コンマ一秒でも狂えば計画通りにいきませんから。車とトラックのスピードや重量まで計算しておく必要がありますし、ぶつかる時の車の角度なんかも路面の状態から計算しています。少しでもずれると協会長のお望みの即死にさせられなくなりますから、これを作成するのは、なかなか大変だったんですよ」

「苦労をかけたな。ありがとうと言っておく」

「死神の世界でも、車の事故で即死させられる力のある死神は、ほんの一握りです。その時の天候や風速や風向きなどいろんな要素を計算しないといけませんからね。ここがいるんですよ」

 死神はそう言ってから、自分の頭に人差し指を向けた。

「なるほど、死神の世界でも力の差があるわけだ」

「そういうことです。しかし、ここまで必死で計算しても、実際には微妙なズレが生じてきます。それを微調整を繰り返しながらやるわけで、当日、私はずっと現場に張りついていなければならないんですよ。気の抜けない一日になります」

「そ、そうか、じゃあ、よろしく頼む」

 わしは一応、死神に向けて頭を下げた。

「任せてください。とりあえず、私の作った自慢の計画書に目を通しておいてください。要望があれば今なら変更も可能ですから」

 死神が細い目をカッと開き、キュッと口角を上げた。

 死神のその表情を見てから計画書に目を通した。この計画書のボリュームを見て死神に依頼した内容の重みを感じた。

 死神の計画では、居眠り運転のトラックが信号を無視してR交差点に突っ込んでくる。

 トラックは青信号で交差点に入ってきた北の神の車と衝突し、人間になっている北の神、北野秀太はトラックに押し潰され即死するという計画だった。

 居眠り運転するトラックの運転手の名前は高木良治、五十三歳でトラックの運転歴は三十年のベテラン。

 事故は高木がその日の配達を全て終わらせて会社へ戻る途中に起こる。

 事故の前日の高木の睡眠時間は三時間程度で、午後七時三十三分に睡魔に襲われる。睡魔と闘いながら、もう少しだから大丈夫だろうとトラックを走らせるが、R交差点に入る六十二メートル手前で、高木は睡魔に負けて意識を失う。

 その時のトラックの時速は七十二キロとスピードが出ている。

 高木が意識を失ったまま赤信号のR交差点に突っこんでくる。同時に北野秀太の運転する車がR交差点へ入ってくる。

 北野秀太の反対車線を走る車は、左側の見通しがきいているので、信号無視して交差点に入ってくる高木のトラックが視界に入り急ブレーキを踏む。

 北野秀太側からは、ビルの死角になり高木のトラックは見えない。

 北野秀太は青信号なので高木のトラックに気付かずにR交差点に入っていく。

 北野秀太の反対車線を走る車の急ブレーキの音が響く。その音で高木は目を覚まし顔を上げた時には、北野秀太が運転する車が目の前まできている。

 高木は慌ててハンドルを右に切る。北野秀太もトラックが突っこんでくるのに気付きハンドルを左に切るが間に合わない。

 トラックの助手席側のバンパーの角の部分が、北野秀太の運転席側にぶつかり北野秀太の全身を押し潰すようにくい込んでいく。北野秀太は内臓を圧迫され即死する。

 死神の計画書を最後まで読んで背筋が冷たくなった。顔を上げ死神に視線を向けた。死神は顎を上げ自信ありげな表情をして笑っていた。

「どうです。なかなかおもしろい計画でしょう」

「おもしろいかどうかはわからんが、この計画で北の神の人間としての寿命が切れて神様に戻れるなら、わしはそれでいい。これは、わしのためじゃなく、野々神と北の神のためにやることだ」

 死神と目を合わさず下を向いたままそう言った。

「大丈夫ですよ。計画は完璧ですし、当日は私が現場に張りついてチェックしながらすすめますので間違いなくうまくいきます。では、最後のページにも協会長の承認のサインをお願いいたします」

「わ、わかった」

 計画書にサインをした。書く手がまた、少し震えた。

 サインを書き終えて死神の前に計画書を滑らせた。

「ありがとうございます。これで私も心置きなく今回の計画を実行することができます」

 死神は計画書を手にとり、わしのサインを確認してから鞄に入れた。

「あとは、よろしく頼む」

「この計画書のコピーを後日お送りします」

「いや、いらない。あまりこういう証拠になるものは残しておかない方がいい。あんたも終わり次第、計画書は処分してくれ」

「わかりました。報酬をいただいた時点で私も計画書は処分しますし、私の出来のいいここからも消しておきます」

 死神は人差し指で自分の頭をさした。

「ああ、そうしてくれ」

「では、これで失礼いたします」

 死神が立ち上がり慇懃に頭を下げた。

 わしも立ち上がり、死神をドアまで見送った。

 死神を見送ってから、自分の椅子にへたりこんだ。今ごろになって死神に依頼したことが恐ろしくなった。

 もし、今回の件が公になったら、わしは神様全員からバッシングをくらうだろう。

 協会長の座を守るためにも、ここは替え玉を作っておくべきだと思った。

 今回の件は、野々神が勝手にやったことにして、わしは、何も知らなかったことにしておこう。

 元はといえば、あいつの監督不行きが原因なんだ。本来なら、あいつがやらなければならないことを、わしが代わりにやってあげただけなのだから。


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