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万能でない神様  作者: まつだつま
8/23

神様の補充

 習の神が神様協会のテストを受けなかったことで、管理責任を問われた私は始末書を持って協会長をたずねた。

 協会長室のドアの前に立ち、深呼吸してからドアをノックした。

 中から「はい」なのか「おう」なのか「あー」なのか区別がつかない低い不機嫌そうな声が聞こえた。

 体中のありとあらゆる所から汗が吹き出してきた。このドアを開ける勇気がない。

 私がドアを開けるのを躊躇していると、中からまた区別のつかない声が、さっきの二倍くらいの大きさで聞こえてきた。不機嫌さが増したようだ。

 これ以上、待たせればもっと機嫌が悪くなる。私は意を決っして、ドアノブに手をかけた。ドアノブが手汗でべっとりと濡れた。

 そこで一度息を呑んでから、ドアノブを回し、ゆっくりとドアを開けた。

「失礼いたします」

 体を小さくして、ドアの隙間から中を覗いた。

 協会長が椅子に座っているのが見えた。苦虫を噛んだように顔を歪めていたので、このままドアを閉めて逃げ出したくなった。

「中に入るならさっさと入れ」

「は、はい」

 慌てて中に足を踏み入れた。

「なんだ、お前か」

 協会長はそう言って、すぐに視線を机に落とした。話もしたくないといった協会長の態度に私の体は震えてきた。

「習の神がテストを欠席した件では大変ご迷惑をおかけいたしました」

 協会長の座る机の前に立って深々と頭を下げた。

「その件で詫びに来たのか」

「はい、申し訳ございませんでした」

「お前のところは、本当によくトラブルを起こすな」

 協会長は下を向いたまま、私の方を見ずにそう言った。

「申し訳ございません」

 協会長はしばらく言葉を発しなかった。

 私は頭を下げたまま、協会長の言葉を待ったが無言のままだった。

 恐る恐る顔を上げると、協会長は、ハ虫類のような目で、私を睨みつけられていた。

 顔を上げた瞬間に目が合うと協会長は「フン」と鼻を鳴らし机に視線を落とした。

「あ、あの……、この度は私の監督不行きで協会長には多大なご迷惑をおかけいたしました。本日は始末書を持って参りました」

 始末書の入った封筒を協会長の前に両手で差し出した。

「始末書ねぇ」

 協会長は顔を上げ、面倒臭そうに封筒を片手で受け取った。私を一瞥してから、封筒のなかを覗き、フーッと息を吹き込んでから始末書を引っ張り出した。

「本当に申し訳ございませんでした」

「バカの一つ覚えみたいに、何度も謝るな。謝れば許してもらえると思ってるから、何度も失敗をやらかすんだ」

「は、はい、申し訳……」

 言いかけた時にギロリと睨まれた。

 協会長は封筒から引っ張り出した始末書を広げて目を通していた。黒目だけが行ったり来たりして、最後にまた「フン」と鼻を鳴らして、始末書を机の上に投げるように置いた。

 言葉を発さずに、もう一度、深々と頭を下げた。

「まあ、いい。お前もこれまでよく頑張ってくれていたし、今回はこれで許してやろう。今後はしっかりと部下を教育してくれ」

「お、お許しいただけるのですか」

 もっと怒られると思っていたが、意外にあっさりと許してくれたことに驚いた。

「まぁ、終わったことだ。お前だけの責任でもないしな」

「温情あるお言葉に感謝いたします。今後も協会のために労を惜しまず邁進する所存でございます」

「わかった。よろしく頼む。ところで」

 協会長はそこで言葉を切って口を歪めた。

「あ、はい」

 協会長の次の言葉を恐る恐る待った。

 協会長は笑みを浮かべているが、目が笑っていない。

「今の野々神社は、お前と役立たずの南の神だけになってしまったわけだな」

「あ、はい。そ、そうです」

「それなら、今、大変だろう?」

「そ、そうですね、忙しいのは確かです」

「神様の補充はいらないのか?」

「えっ」

 協会長の思いもかけない言葉に声をあげてしまった。出来れば神様の補充をお願いしたいところだが、自分の監督不行きのせいで、北の神と習の神がいなくなったわけだから、そんなことを言えた義理ではないと思っていた。

 それが協会長の方から神様の補充の話を持ちかけてくれた。これはありがたい。ここで補充をお願いしてみようかと思った。

 いや、しかし、補充をお願いしますと言った途端に協会長の機嫌が悪くなることも考えられる。

「野々神社は神様が足りないだろ。困っているなら遠慮なく言え」

 協会長が念押しして言ってきた。今がお願いするチャンスかもしれない。今、協会長に神様の補充をお願いした方がいいのだろうか。お願いすると、甘えるなとか言い出しそうな気もするし、お願いしないと、わしの厚意を無駄にしたとか言い出しそうな気もする。悩んだ挙げ句、素直にお願いすることにした。

「はい、それでしたら本当に勝手を言って申し訳ないのですが、野々神社に神様の補充をお願いいたします」

 私は背筋を伸ばしてから深々と頭を下げた。

 協会長は顎に手をあて、一度、宙に視線をやってから、私に視線を向けた。協会長の表情が、にわかに険しくなった。

「お前の管理不行きでいなくなった神様をわしに補充しろってか? 君も偉くなったもんだな」

 逆だった。

「い、いえ、補充しろだなんて、そんな滅相もございません。私のせいでこうなってしまったわけですから、私はこれまでの二倍も三倍も働くつもりでいます」

「二倍も、三倍も働けるわけがないだろ。いや、二倍くらいならいけるか。ハハハ」

 協会長は冗談を言っているのか、嫌味で言っているのか、機嫌がいいのか、悪いのか、笑ってくれるのか、それとも怒り出してしまうのか、全くわからなかった。

「無理しなくてもいい。南の神は相変わらずやる気無しだろうから、確かに大変だとは思う。どうせ南の神は使いもんにならんだろ?」

 自分の部下の南の神のことを悪く言うと、私の責任が問われそうだ。また協会長の機嫌が悪くなるかもしれない。部下を庇う上司のほうが協会長の受けがよいかもしれない。

「南の神は使い物にならないわけではありません。南の神は本当は力のある神様です。それを私の指導不足で、力を発揮させることができていないので、責任を感じております」

「なに、南の神に力があるだと」

 協会長の眉間に深い皺が入り、目がハ虫類の目に変わってしまった。

「えっ、いや、あの、み、南の神が力を出せないのが私の責任だと反省しているのですが……」

「お前は本当に南の神に力があると思っているのか?」

 ドスのきいた地獄から響くような声だった。

「えっと、南の神に力があるというか、私の指導不足が原因かと思っております」

「きれいごとは聞きたくない。南の神に力があるかどうか訊いてるんだ。答えろ」

「いえ、あの、その」

 南の神に力があると言うと協会長の機嫌は悪くなりそうだった。かと言って部下を無能扱いしても機嫌が悪くなるかもしれない。

「どっちだ。早くこたえろ」

「あっ、はい。南の神にはもう少し頑張ってほしいのですが、なかなか私の力が及ばなくて難しいのが現状です」

「南の神は力がない、そうはっきり言え」

 協会長が顎を突きだした。

「あ、はい。そ、そうですね。私にも責任はあるかと思いますが、南の神にはもう少し頑張ってもらわないといけません」

「お前でなくても誰が上司になっても南の神は無理なんだ。あいつに力がないんだから。そうだろ、はっきりそう言え」

 協会長は苛ついた様子だった。ここは協会長に同意するほうが良さそうだ。

「はい、そうですね。南の神が力がない上にやる気もありません。そのため野々神社は大変な状況です」

「そうだろ。最初からそう言え。南の神が力があるなんて言うから、お前の頭がおかしくなったのかと思った」

「南の神は大先輩なもので、少し遠慮してしまいました」

「先輩も後輩もない。力のない奴を庇うのは、組織を弱くしてしまう。ダメな奴はダメなんだ」

 協会長は南の神を嫌っているようだ。それも異常なほど。なぜなんだろうと思った。

「そう言えば、南の神は協会長と同期だと聞きましたが、それは本当ですか?」

「そうだ。わしとあいつは、若い頃同じ神社で働いていた時もある。その当時は、まだあいつも頑張ってたけどな。頑張っても結果が出せなくて、だんだん気持ちが失せてしまったんだろうな。結果を出し続けていたわしを近くで見ていたから、余計に自信を無くしたのかもしれん。わしの成績が優秀だったから南の神がダメになったんだとしたら、わしにも責任があるかもしれんな」

「協会長のような優秀な方が近くにいたのでしたら、私なら協会長からいろいろと学ばさせてもらいますが、当時の南の神はそうしたことも無かったのでしょうか」

「無かったなぁ。あいつは当時からひねくれていたからな。わしの実力に嫉妬して、わしから教えを乞うのも嫌だったんだろう」

「素晴らしいお手本である協会長が間近にいたのにもったいないですね。向上心が感じられません」

「南の神はそういう奴だよ。それが唯一の部下になってしまったんだから、お前の大変さはわかる。同情するよ」

「ありがとうございます」

「優秀な神様を補充してやらないといけないな」

 協会長は補充する神様の候補を頭に浮かべているかのように宙に視線をやった。

「よろしくお願いいたします」

「そうだな、あいつはどうだ」

 協会長の頭に神様の候補が浮かんだようだ。

「だ、誰でしょうか?」

「集会で生意気なことをほざいたあいつだ」

「えっ、もしかして北の神、でしょうか」

「そうだ。あの時に人間界に送る処分にしたが、神様に戻るチャンスは残しておいてやったから、予定より早く戻してやればいいだろう」

「人間界で百八年過ごす予定でしたが、そんなに短縮してもよろしいんでしょうか」

「まあいいだろう。あいつはクセはあるが優秀な神様であることは間違いない。野々神社の経験者で君ともいっしょにやっていた仲だし問題ないだろ。人間界に行ってから今で何年になるんだ?」

「北の神は人間になってちょうど三十年になります」

「三十年か。長すぎず、短すぎず、ちょうどいいんじゃないか。あいつもそろそろ集会での発言については反省して成長している頃だろう」

「協会長は北の神の集会での無礼をお許しいただけるのですか」

「もちろんだ。わしもそんな心の狭い神様ではない。わしはあいつを処分するために人間界に送ったわけではない。成長してもらうために送ったんだ。あいつもこれでわしに感謝するだろうし、もともと実力のある神様だから、戻ってきてから、わしに協力してくれれば、わしとしても助かるしな。君から北の神にすぐに連絡してやれ」

「わ、わかりました。すぐに連絡してみます。本当にありがとうございます。北の神も三十年で神様に戻れるとは思っていないでしょうから、すごく喜ぶと思います。協会長のご厚意に心から感謝いたします」

 私は北の神が戻ってこれると聞いて、心が晴れやかになった。習の神のことは頭から飛んでしまった。

 北の神とは一緒にやってきたので気心は知れているし、全く知らない神様が来るより絶対にやりやすい。

 それに何と言っても北の神は実力のある優秀な神様だ。正義感が強くまっすぐなところがあるので、会議の場で協会長に生意気な口を叩いてしまったが、本当はそんな反抗的な神様ではない。真面目で素直、そして正直な神様だ。

 野々神社でいっしょにやっていた頃、私に対して、北の神が反抗的な態度をとることなど一度もなかった。あの集会の時は魔が差しただけだ。

 北の神が野々神社に戻ってきてくれれば、習の神の穴は充分に埋まるし、お釣りがくるくらいだ。

 北の神も思ったより早く神様に戻れるとなると喜ぶだろう。協会長の言ってた通り、協会長に感謝し、協会長とのわだかまりもなくなるはずだ。

 私は心を弾ませ北の神の元へと急いだ。


 北の神に神様に戻れることを告げて、返ってきた言葉は、私にとって意外なものだった。そしてまた頭を悩ませるものだった。

「な、な、なんだと……」

 最初に北の神の返事を聞いた時は言葉を失った。

「ですから、人間の寿命を全うしてから神様に戻りたいと思っていますので、もうしばらく人間のままでいさせてください」

 私は北の神にすぐに神様に戻って野々神社で働くことになったと告げると、北の神の口から、『ほ、ほんとうですか。こんなに早く神様に戻してもらえるのですか。協会長と野々神に感謝いたします。このお礼は協会に戻ってから精一杯頑張ることでお返しします』といった言葉が返ってくると期待していたし、そう信じて疑わなかった。

 しかし、北の神はまだ人間のままでいたいと言ってきた。

 何とか北の神の気持ちを変えないと、協会長はまた怒り出し、北の神の神様の記憶と神の力を奪ってしまい、ただの人間にしてしまうかもしれない。

 北の神にすぐに神様に戻るように説得しなければならない。

「今すぐ神様に戻ってこい。今、君の力が必要なんだ。君の人間界の寿命を調べたら百八歳まである。あと八十年近くもあるんだぞ。そんな長く神様に戻れないのは君も辛いだろう」

「いえ、全く辛くはありません。人間として百八歳の寿命があるのならそれを全うしますので、このままでお願いします。俺はこれから人間界でやることがたくさんあります。育ててくれた両親に恩返ししたいですし、妻の優花と生まれてくる子供のために人間として生きていきます。それに今の俺は人間界で医者として多くの患者をかかえています。その患者たちのために、まだまだ人間界でやることがあります」

 北の神は使命感に燃えるタイプだ。人間界での自分の使命に燃えているのだろう。

 何とか今の気持ちを変えさせて神様に戻ってからの使命感を持つように説得しなければならない。そのように話をもっていって北の神の心をくすぐってみよう。

「今、野々神社がピンチなんだ。人間の幸福度が落ちている。だから、君には、自分の家族だけでなく、野々神社に参拝する多くの人間を幸福にしてほしい。君にはそれだけの実力があるし、それが君の使命なんだ」

「ダメです。神様ではなく、人間として人間を幸福にしたいのです」

「なぜだ? なぜ人間にこだわる?」

「俺は人間になってわかったことがあります。それは人間の力の方が神様の力より人間を幸福にする力が強いということです。人間は損得なしに人間を幸福にしようとします。俺は人間が人間を幸福にする、そんな力をもっと経験したいのです」

「協会長のご厚意を無にするつもりなのか」

「申し訳ありません。人間の寿命を全うしてから、神様に戻って、この経験を生かして協会のために頑張りますと協会長にはお伝えください」

 北の神が人間として生まれた日からもうすぐ三十年になる。協会長は三十年で神様に戻してくれると言ってくれているのに、なぜ断るんだ。このチャンスを棒に振るつもりなのか。

 北の神をもっと説得して気持ちを変えたいが、今のまま神様に戻しても北の神は納得しないだろう。

 北の神は頑固な奴だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。これ以上、何を言っても無駄なような気がした。

 北の神の表情を見ていると、人間として充実した日々を過ごしているように見えた。それをこっちの都合で切ってしまうのは、かわいそうだとも思った。

 北の神の人間としての寿命を全うさせてやりたい。協会長に何と報告すればいいのかと頭を抱えた。

 北の神の顔をじっと見た。充実したいきいきした表情を見て、協会長に正直に話すしかないと腹を決めた。

 協会長のことだから、北の神の言い分を聞いてくれないかもしれない。

 もし、協会長が怒り出せば、北の神は二度と神様に戻れなくなるかもしれない。

 しかし、北の神を説得することはやめた。


「あいつは人間の百八歳までの寿命を全うすると言ってるのか」

「はい」

 協会長を前にして体が震えていた。

「相変わらずわがままで馬鹿な奴だな」

 協会長の眉間に深い皺が入った。

「申し訳ありません」

 どうしていつも頭を下げてばかりなのかと悲しくなった。

「まあ、いい。言わせておけ。こっちで何とかする。あいつに勝手な真似はさせんよ」

 協会長は右の頬を歪めてニヤリと笑った。

 協会長になにか考えがあるのだろうか。私たちにとっていい考えではないだろう。どうするつもりなのか、考えるだけで恐ろしくなった。

「どうなさるおつもりなのでしょうか?」

 恐る恐る訊いてみた。

「お前は何も考えなくていい。しばらくは黙って待っていればいい。また、連絡する。今日はもう帰っていい」

 協会長は私を追い出すように右手を払った。

 考えても仕方がない。自分が悪いわけではない。

 自分は協会のため、北の神のために一生懸命にやった。自分にそう言い聞かせて踵を返し協会長室を後にし、野々神社へと足を向けた。

 足取りは重かった。最近はずっとこんな感じだと、ため息を吐いた。

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