失敗の責任
「失敗したじゃないか?」
「協会長、失敗とは人聞き悪いですよ。いや神聞き悪いですよ」
「そんなことはどっちでもいい」
わしは北の神が人間として、今も生きていると聞いて、約束が違うと死神にクレームの連絡を入れた。
「北の神は人間として今も生きているじゃないか。あんたは、あいつの三十歳の誕生日に人間として死ぬことになると言ってただろう」
「確かに、そう言いましたよ」
「だから、失敗じゃないか」
「いえ、違います。失敗ではありませんよ。これから、そちらに行って、今回の件を説明いたします」
「あんたは、ここに来ないでくれ」
「いいえ、すぐに伺います」
「来るなと言ってんだよ」
わしは受話器に向かって怒鳴ったが、遅かった。死神は、すでに電話を切ってしまっていた。
「くそーっ」と受話器を叩きつけた。
死神はすぐに協会長室に姿を見せた。こいつには来てほしくないが、クレームはつけなければならない。
「協会長、お待たせしましたね」
死神は、ノックもせずにドアを開け、協会長室に入ってきた。
わしを一瞥してからソファにふんぞり返り、「ハァー」とため息を吐いた。
失敗したことを詫びる様子もなく、横柄な態度だ。
死神が協会長室に姿を見せたこととと横柄な態度をとっていることに、わしは苛立ちを隠せなかった。
死神の前に座り、睨みつけた。死神はそ知らぬ顔をし宙に視線をやって、口元を歪めていた。
電話などせずに、こっちから死神のところに顔を出してクレームを言うべきだったと歯軋りをした。
「失敗したじゃないか。北の神は人間として生きてるぞ」
宙に視線をやったまま口を開こうとしない死神に向かって言った。
しばらく協会長室を見渡していた死神が、急にわしに顔を向けて、右の頬だけを上げて笑った。
「あれは、誰かに邪魔されたんですよ。それも私の計画を知った誰かが、私が修正出来ないギリギリのタイミングで邪魔をしています」
「邪魔されただと」
「そう。邪魔されましたよ」
「なに言い訳してるんだ。綿密に計画を立ててたんじゃないのか。現場にはりついて、失敗しないように微調整すると言ってたんじゃないか」
「そうですよ。綿密に計画しましたし、当日は現場にはりついて、風や路面の状態の変化にまで気を配りました」
「それでも、結果は北の神が生きているんだから、失敗じゃないか」
「協会長のおっしゃる通り、北の神は生きています。それは、私が微調整出来ないくらいのギリギリのタイミングで、北の神にブレーキを踏ませた奴がいるからです」
「北の神にブレーキを踏ませた奴だと」
「はい、そうです」
「そんな奴、いるわけない」
「とぼけないで下さいよ。そんなことが出来るのは、協会長、あなたしかいないんですよ」
死神がこっちに冷たい視線を向けた。
「わしが、邪魔しただと。バカ言うな。なんで、わしがあんたに頼んだことを自分で邪魔する必要があるんだ」
「私の失敗を笑いたかったんじゃないですか」
「そんな暇じゃない」
「しかしですね、こんな絶妙のタイミングで邪魔が出来るのは、この計画を知っていたうえに、そこそこ力のある神様の仕業なんですよ。協会長、そんなことができるのは、あなたしかいないでしょう。依頼しておきながら何故邪魔をしたのですか。最後になって怖気づいたのですか」
「バカにするな」
「それでは、誰がやったというのですか? 私の計画は完璧でした。あのギリギリのタイミングで北の神のアクセルを緩めさせるなんて、今回の計画を知らないと絶対に無理です」
「そんなこと言われても、知らんもんは知らん。あんたの言ってるのは失敗した言い訳にしか聞こえん」
「あなたじゃないなら、協会長は今回の計画について、誰かに話していませんか」
ソファにふんぞり返っていた死神が、急に前のめりになって、深海のような瞳でわしの目をじっと見てきた。
わしは死神の視線にたえられなくなり、下を向いてしまった。
「そ、それは……だな……」
野々神に話してしまった。まさか野々神が口を滑らせて、南の神の耳に入ったんではないだろうかと不安になった。
「誰かに今回の計画を話したんですね」
わしの態度を見て、死神の言葉が強くなった。
「ま、まあ、今回の関係者には話したが……」
「今回の関係者。じゃあ、そいつですよ。協会長でないなら、そいつが邪魔をしたんです。あーあ、誰に話しちゃったんですかねー」
死神はまたソファにふんぞりかえった。
「野々神には話したが、あいつがそんな大それたことをするとは思えないんだがな」
「では、その野々神が誰かに漏らした可能性はありませんか? もし、計画が漏れていたのなら、こっちのミスではなくて、そちらのミスですよ」
「わ、わかった。野々神に確認してみる。もし、野々神が誰かに漏らして、その誰かが邪魔をしていたなら、こっちのミスは認めよう。そうでなければ、そっちのミスだから報酬の支払いはしないぞ」
「こちらのミスなら報酬は結構ですが、間違いなく、事故寸前に邪魔されています。北の神にブレーキを踏ませた邪魔者がいるはずなんです。すぐに野々神を呼び出して確認してください」
「わ、わかった」
わしは不安になった。とりあえず野々神に電話してすぐに来るように告げた。わしの声も野々神の声もお互いに震えていた。
野々神が来るまで、協会長室は、空気の音が聞こえるくらい沈黙に包まれた。
死神は余裕たっぷりにソファにもたれかかったまま、嫌な笑みを浮かべていた。
死神はふいに立ち上がり、協会長室に飾ってある美術品を手にして、「ふーん、神様協会は儲かってよろしいですね」とひとりごとのように呟いた。
しばらくして、協会長室のドアからトントンと乾いた音がした。
「は、入れ」
わしはドアに向かって怒鳴った。
美術品を眺めていた死神もドアに視線を向けた。ドアが開き、野々神が顔を覗かせた。
「お、お呼びでしょうか?」
野々神が、ドアの隙間から申し訳なさそうな顔でわしを見た。
「お呼びだから電話したんだ。わしが呼んだから、お前は来たんだろ。さっさと中に入れ」
「は、はい」
野々神は神妙な面持ちで入ってきた。
「座れ」
わしが前のソファを顎で指した。
「はい」
野々神は、横に立つ死神の前を通り抜け、頭を下げてからソファに腰を下ろした。
死神は立ったまま、笑みを浮かべて見ていた。
「こいつが誰だかわかるか?」
死神を顎で指した。
「も、もしかして、死神でしょうか」
「そうだ」
「はじめまして、野々神と申します」
野々神が立ち上がり、死神に向かって頭を下げた。
死神は無言でペコリと頭を下げて不敵に笑みを浮かべた。
「挨拶なんてしなくていい。それより訊きたいことがある」
「な、何でしょうか」
「お前に北の神の寿命を三十歳で切る計画を説明したよな」
「は、はい。協会長が私のために死神に依頼したと聞いております」
「なのに、北の神は三十歳を過ぎても生きているよな」
「そ、そのようですね」
「わしは、死神が失敗したと、今クレームをつけているところなんだが、死神は失敗じゃない、誰かが邪魔をしたんだと、言っている」
わしは死神に視線を向けた。
死神は壁にもたれ腕を組み、何度も首肯していた。
「あなたが邪魔をしたんじゃないですか」
死神が野々神に向かって言った。
「いえ、滅相もございません」
「じゃあ、あなたは今回の計画を誰かに話しませんでしたか?」
「え、えっと、ですね」
野々神が俯いた。
「誰かに話しましたね」
「え、ええ。野々神社に所属する南の神には話しましたが」
「な、なんだと、南の神に話したのか」
わしは慌てた。よりによって南の神に話してしまったのか。
「も、申し訳ございません」
「なんてことしてくれたんだ」
わしは天を仰いだ。もうダメだ。南の神の仕業に違いない。
「ほーら、協会長、言った通りでしょ。その南の神が邪魔したんですよ。南の神はそこそこ力のある神様なんですか」
「いえいえ、南の神は落ちこぼれの神様です。そんな邪魔が出来るとは思えませんよ」
野々神が頭を掻きながら、呑気に発言した。
「お前は、なにもわかっていない」
わしは野々神の呑気な態度に苛立ち、怒鳴った。
「えっ、あ、ああ。も、申し訳ございません」
野々神が床にひざまずいて深々と頭を下げた。
「こんな重大なことを何故漏らした?」
土下座する野々神の後頭部に向けて、怒鳴った。このまま後頭部を殴りたい気分だった。
「は、はい」
野々神は頭を下げたままだ。
「協会長、私はあなたに誰にも話さないように言っておきましたから、彼を責めるのもわかりますが、あなたが彼に話したのがそもそもの間違いなんですよ」
死神があきれたように言った。
わしは死神を一瞥してから、床にひざまずき頭を下げたままの野々神の前に屈み、無理矢理顔を上げさせた。
「これでこっちにミスがなかったことはわかってくださいましたよね。あとは、そちらで話し合ってください」
死神はそう言って退屈そうに首の後ろを掻いた。
「わ、わかった」
「じゃあ、私はこれで、失礼しますよ」
死神はソファから立ち上がり協会長室のドアを足で蹴って開けた。
「あっ、そうだ」
死神はドアを出たところで振り返り、ニタニタとバカにしたようにわしの顔を見て笑った。
「な、なんだ?」
「報酬は通常通り戴きたいところですが、協会長も大変でしょうから、半額にまけておきます。また次に何かありましたら、いつでもどうぞ」
「次はない」
わしは吐き捨てるように言った。
「そうですか。残念です。それでは、失礼いたします」
死神はそう言ってドアを閉めた。
わしは死神が出ていったドアを睨みつけた後、机を思い切り叩いた。
『バーン』という音が協会長室に響いた。
「クソー」
その横で野々神は体をブルブルと震わせていた。
「そこに座れ」
わしがソファを顎で指した。
「は、はい」
野々神は床から立ち上がり、ソファの端に尻を置いた。
「なぜ、南の神に話した?」
わしは野々神を睨みつけた。
「一人で抱えているのが怖くなってしまいました」
消え入りそうな声で野々神がこたえた。
「よりによって、南の神とはな」
「南の神がそんな大それたことをするとは思ってもみませんでした」
「お前は南の神と長く一緒にやっていて、気づかないのか?」
「と言いますと?」
「あいつは、私を恨んでいる。そして、わしを陥れるだけのそこそこの力は持っている」
「南の神がですか?」
「ああ。あいつは協会に反抗的なんだ。協会にというよりわしにかもしれんがな」
「協会に協力的ではないとは思いましたが、さすがに死神の邪魔をするとまでは思いませんでした。それにそんな力があることも気づきませんでした。協会長も先日は南の神は力がないとおっしゃいませんでしたか」
「それは、わしより力がないということだ。お前たちよりは、はるかに力はある。力はあるが、協力的ではない。だからあいつはやっかいなんだ」
「申し訳ございませんでした」
「終わったことは仕方ない。これで北の神は神様には戻さない。神様だった頃の記憶も力も失うことになる。あいつは神様としては死んでもらうことにする。これからは、あいつの希望通り人間として生きてもらい、寿命を全うしてもらうことにする。こうなったら南の神も人間にしてしまうしかないな。あいつはこの先もわしの邪魔しかしないだろう」
「ということは、野々神社の神様はいなくなるということでしょうか」
「お前がいるじゃないか。お前が一柱で頑張るしかない。これは自業自得だ」




