下流層からはじまる 01
傷の男が目指す先は、下流区画と呼ばれる地区であった
下流区画というのは俗称で、裕福とは縁のない者たちが居住している区画である。そこはエイスの城下街にある大通りから遠く離れていて、城壁にも近い場所でもあった。そのため不便で、風通しも日当たりも悪い。
中央区画と変わらないところがあるとすれば、古い石造りの建物をそのまま利用していることか。しかし手入れが行きとどくことはない。ところどころ崩れていて、目立つほころびには木の板などで補修してあった。
とはいえ、その光景自体はめずらしいものではない。
どこの国にでもある、一般層以下の街の姿だ。
ただ、エイスの城下街は壮麗なものとして諸国に広く知られている。栄光の裏にひそむ、見た目の差、貧富の差は、ひどく滑稽といえた。
しばらく歩いていくと、傷の男の前に大きな建物が見えてきた。古びた二階建ての建屋だ。周囲の建物にくらべ、多少は外壁が手入れされている。
一階はすべての木窓と木戸が閉ざされていた。木戸には小さな看板が雑に打ち付けられていて、「ラングシーブ」と刻まれている。
ラングシーブとは、各地の調査などを仕事にしている者がつどうギルドの名であった。いわゆる冒険者ギルドであるが、ここには世の若者が夢見るような仕事など、ほぼない。陰湿で、地味で、面倒な仕事ばかりが集まる、一般未満の冒険者ギルド。それが傷の男の所属するラングシーブであった。
傷の男は木戸に手をかけ、押す。
ギイと鈍い音。木戸の開いた分だけ、屋内に陽の光が差しこんだ。
建屋の中には、いくつかテーブルと椅子が並んでいた。
奥には書類だの資料だのが雑に積まれたカウンターがある。
カウンターには受付の男が控えていて、入ってきた傷の男を見るや鬱陶しそうにした。さらには外から飛びこんでくる光がうっとうしいと言わんばかりに目を背け、欠伸をしている。
手前のテーブルには同業者が一人、いや二人いた。そのうちの一人は知り合いで、身体の大きな男であった。暇そうに宙を見て、呆けている。
ラングシーブの所属員は、仕事の請負と報酬の受け取り以外でギルドを使うことなど滅多にない。客との交渉事から完了の報告までは、各々が外で行うからである。一見活気がなさそうに見えるのは、仕事が多い証拠。ここにいないラングシーブの面々は、今日も夢のない仕事に明け暮れているようだ。
傷の男はテーブルに座っている知り合いの大男に近寄る。すると大男が気付いて、傷の男にニカリと笑いかけてきた。
「待たせただろうか」
傷の男は手を小さくあげ、大男に声をかける。すると大男が大声で笑い、頭を横に振ってきた。
あまりに大きい笑い声に、傷の男は上体を後ろに退く。近くにいた同業者の男とカウンターにいる受付の男も、騒音に等しい笑い声に顔をしかめた。それらを見て大男は、さらに大きな声で笑う。ついで短く挨拶してくると、親指をたててギルドの二階を指差した。
傷の男は大男が指差した先を見て、小さくうなずく。大男がようやく声を静め、ニイと笑顔だけ残した。そうして傷の男の肩をたたくと、一方通行の世間話をしつつ階段をあがりはじめた。傷の男は彼の後を追うようにして、ギイギイときしむ階段をあがっていった。
二階は吹き抜けになっている。いくつかのテーブルと椅子が並んでいるが、使う者はあまりいない。そのため、はじのほうは埃が雪のように積もっていた。昔はどうか知らないが、今ここで使われているものは開かれている木窓のみ。二階と一階へ必要最低限の光をこぼしてくれている。
≪公開できる情報≫
≪エイス王国≫
大森林の只中を切り開いて築かれた王国。
千年を超える歴史を持ち、広大な石造りの街を引き継いでいる。街を取り囲む城壁は数百年前にエイスザード一族が築いたもので、石造りの街に比べると歴史が浅い。しかし周辺諸国に比べると高く厚い城壁であるため、石造りの街と合わせて観光に来る者も多い。