帰還
平和二十六年夏、最初の一体目が現れた。
その時日本列島においてはヒトクイアリの発生から十数年が経過し、おおよその人口は、大東京都、尾張中京都、畿内阪神都、北部九州都の主要四隔離都市に集約されたまま現在まで停滞を続け、そこに一定の秩序を確立しつつあった。
そんな時に事件は起こった。
後に第一の超級と呼ばれる初めの一体は平和二十六年の七月、九州南部地区に突如として出現。隔離都市外に設置される国有の指定施設が攻撃を受け、壊滅的な被害となった。
この時、幸いにも北部九州都は影響を受けることなく一般国民にあっては被害なし。この情報を隠蔽することは非常に容易であった。
そして極限られた者については公安隊により記憶の調整施術が行われ、事態は事なきを得たのだった。
第一の超メガ級地底害虫は『ゴキゲリアス』と命名。国は最重要機密としてこれを扱い、最大限の警戒態勢を整えると共に、地下衛生管理局に特別殺虫係を設け、実動部隊としてSPETを配置した。
しかしその最中、人類の準備を待たずして二体目の超級『ムカデリオン』が出現。平和二十六年の十二月のことだ。
これがもたらしたものは、列島全土への地底害虫の波及である。
ゴキゲーターを初めとする各種メガ級地底害虫は、元より九州南部地下の固有生物と認識されていた。しかし、突如現れたムカデリオンの掘削活動により、彼らの生息域は日本列島全土へと拡大、その影響は各隔離都市地下にも大きく及び、地下五キロ以下の居住層は、その閉鎖を余儀なくされたのだった。
結果として人類の生息域は一層狭まり、安定期に移行しつつあった日本社会は、貧困や失業によってまたしても過激派組織が勢いを増し、再び動乱の時代へと突入する。
そして平和三十年、現在。
ムカデリオン討伐の一報が本局へと入るのは数時間後の事になるだろう。
* * *
高鳴るサイレン。
穏やかな地表、都民の暮らしにとってこれほど無粋なものは無いだろう。
駆けるサイレンは高層ビル群をこだまして、その谷の間を走り抜けるのは何台も連なる公安隊、巡視車両の車列である。
それぞれが赤色警光灯を光らせて、追跡するのはその先頭。
今まさに何者かに奪われた巡視車両を追いかけた。
その何者かとは、彼らだ。
ハンドルを執るのは龍蔵寺沙紀、助手席には筋肉の男こと五十嵐重吾、後部座席にはチューバー・ヒカリンこと玉野光を乗せている。
「姉御! ストップ! ストップ! 吐く! マジで吐くから!」
「情けねえなぁ、相変わらず。この程度軽く流しるだけじゃねえか。ほら、もっと踏まねえと振り切れねえじゃん」
奪取した巡視車は、後輪を激しく滑らせて交差点を抜けていく。
後ろの光も、自身の体を支えるので必死であった。
そして、そのとんでもないカーブを超える度、後方より追跡する巡視車両は交差点を曲がりきれずにきれずに信号機や中央分離帯にダイブ。次々に脱落者を出していく。
いつの間にやら最初の半分もいない。
「っていうか何で俺たち追われてるんすか姉御! おかしいでしょうが!」
「それは後ろのモヤシに言えよな。追われてるのはコイツな訳だし」
「すんません!」
「まぁいいさ。SPETに入りてえんだろ? いいぜ。ここは何時だって人手不足だからな。訳ありだろうと犯罪者だろうと何だって構わねえぜ」
「あざっす!」
「いや待って姉御! とりあえず後ろの公安隊は!」
「だいじょぶだって。このあたりに中日本支部があんだろ? 地衛局の敷地に突っ込んじまえば暗黙の治外法権があんだよ」
「それマジっす?」
「少なくとも関西支部はそうだぜ?」
「あ、あのぉ」
「なんだよモヤシ」
「ちょっと寄りたいところが……」
「はぁ? お前、それ状況わかってて言ってんのか? トイレだったら窓開けてぶちまけろ」
「いやそうじゃなくてっすね」
「んだよ、はっきりしない奴だな」
「ジュンさんのお遣いが、ありまして……」
「え?」
ここから逃げること数分。
一瞬の隙を突いて、光は転げるように降車した。
関西小隊の二人は未だ光を連れていると見せかけ、しばらくは囮として逃げ続ける作戦を実行するのだった。
町に立つ光。
ボロボロの服の隙間から、気絶する前に手渡されたメモ用紙を取り出した。
その一枚目に書かれるのは住所であり、まずそこに向かえとの指令書だ。
「よしっ」
電車を乗り継ぎ、そして辿り着いたのは住宅街だった。
小綺麗な建て売りがずらっと並んだ新興住宅地。明らかに富裕層が住まう小さな洋館邸宅が端の方まで続いている。街灯までもがオシャレな装飾。こんな綺麗な場所に、地底帰りの汚い格好でうろついていいものかと少しばかり戸惑った。
住所とそれに添えられた簡易地図が差す家はここだ。
家の敷地内には高級住宅には不釣り合いな軽トラックが停められ、そして注意書きのとおり、表札は志賀ではなかった。
そのインターホンを押すのに一瞬の躊躇いがあったことは認めざるを得ない。
一体どんな顔をして、その人と話せばいいのだろう。彼のことを何と説明すればいいのだろう。
何と言って、彼の最期を伝えればいいのか。
メモ用紙には、ただ一言あるだけだ。
これを、そうしろと。
一度深呼吸をし、そして、インターホンを押した。
すると反応は早く、中から返事と共に若い女が現れる。
「はい、あの……」
玄関を開けた女は、光の服装を上から下まで往復した。そして、その表情を一変させる。
強張る目つきが光を刺した。
「兄の、仕事のことですか?」
「はい。玉野光と言います。志賀夏子さん、ですよね?」
「そうです。それで、兄は?」
「……」
光は無言だった。何を言っていいのか、わからなかった。
「あの……」
「とりあえず、これを」
ただ、託されたメモの指示に忠実に従う事しかできない。気の利いた台詞なんてとても出ない。
そして、光が取り出したの物は、潤史朗の持っていたスマートフォンだった。
これの電源を入れて夏子に渡してくれと、それが最後のメモである。
「これは、ジュンの……」
それを受け取る夏子。
スマートフォンが起動した。
そして、その手に乗せられた瞬間に鳴り出した着信音。
少し慌てて、夏子はこれに出た。
「はい……」
スピーカーの奥は、無言だ。
「ジュン、ねえ、潤史朗なんでしょ? 今どこ? どこにいるの?」
――…………
「ねえ、返事をして、潤史朗。お願い。潤史朗……」
そして、次の瞬間だった。
電話の奥に声があった。
――夏子
「潤史朗!」
すがりつく様に電話を耳に当てた。
声は、続く。
――ただいま
「おかえり、潤史朗。おかえりなさい」
――ごめん。ほんとに。ごめん
「ねえ、潤史朗いまどこにいるの、何で会えないのかな、ねえ教えてよ、潤史朗」
――夏子、僕はここにいる。いつでもいるよ
「どこなの、わかんないよ潤史朗、私」
――ごめん
「謝らないで、もう謝らなくていい。ただ顔をみたい、それだけなの」
――ほんとは直接言いたかったけど。今までありがとう、夏子。たったの四年間だったけれど、君と過ごす毎日は……
「やめて! 私が聞きたいのはそんなことじゃない! 私は潤史朗の……」
――こうして、録音じゃないとまともに言えないなんて情けない限りだ
「……………………え」
――今まで、ありがとう
電話を床に落とした。
それから、彼が何を言っていたのかなど、何もわからなかった。
目の前の若い男は慌てて肩を揺さぶるが、そんなことはどうでもいい。
もはや立つことも、どうでもいい。
どうでもいい。
どうして。
わからない。
もう何も、わからなかった。
* * *
こうして今日も日本は続く。
どんな災害が人々を襲おうとも、そこに生がある限り、必ず隣に死は構え、そして毎日の様に人は死ぬ。
それはとても当たり前のことで、人口が一億人だろうと百人だろうと、あなたと共にある生と死はいつも変わらずそこにある。
生きることは抗うことだ。そして死ぬことは自然なことだ。
なぜ人は抗うのか。
しがみつくように、這い回るように、その様は大変哀れで滑稽だ。
それでも、今日という日を毎日続け、あなたは今日まで抗った。
喉に水を流し、飯を通し、他人他生物を犠牲に踏みつけて。
この無様な生に一体何の意味があるのだろう。
何の意味だっていい。
忘れているだけかもしれない。
まだ知らないだけかもしれない。
生まれてきたことに意味なんてない。
ただそこに、あなたにだけの輝きを見出す限り、決して止まることは駄目だ。
抗え




