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 時間が無かった。

 この状況と、そして自分の体に許された時間は限りなく短い。

 少しばかり荒治療だったが、こうして体もちゃんと動き何とか復帰が叶った。だが実際のところ、血中に麻薬じみた薬でも流さなければ痛みでまともに動けない状態だ。

 体に受けた損傷は、応急処置でどうにかなる程度のものではない。依然として血液の漏出は続き、体の内外へと流れ出ている。このまま動き続けるのは致命的だろう。薬で痛みを騙して良い状況ではない。だが、いま動かなければ自分の体どころの問題ではなくなる。


「とりあえず一旦地上に戻るんすよね?」

 光のその発言に全員がそちらに向いた。

「あれ、俺いま変こと言いました? いや、だってジュンさんと合流できて、もう目的は達成した訳じゃないですか、俺たち助かったんすよ?」

「ああ、その通りだゴミクソ。だが残念だったな、そこにいるそいつの中じゃ、もう次の戦いが始まってるみてえだぞ。ぎゃははははは」

 笑って答えるクガマルに光の表情は一変する。

 そして全員の視線は潤史朗へと集まった。

「で、どうするわけだよアニキモドキ。言っておくが俺たち関西小隊も見てのとおりだ。さっきの一戦で駆逐トラックが潰れた。これであのムカデと戦おうなんざ正気の沙汰じゃねえ」

 沙紀は腕を組み、冷静な口調で潤史朗に告げる。

「そうだろうね。全くその通りだ。ここで引き揚げる判断をしないのは、ただの自殺志願者と思われても仕方ないよ」

「じゃオメエはどうする気だよ、ジュンシローよぉ」

「君はわかってるだろ、クガマル」

 と、そう言う潤史朗は破壊された駆逐トラックの方までぎこちない足取りで向かった。


「超級ムカデリオンは一秒でも早く殺す必要がある。端的に言うと一刻の猶予もない」

 車両積載の機材を漁りながら、潤史朗は二人に語り始めた。

「正しくは一刻の猶予もない、『かもしれないっ』っていう可能性の話さ。でも、何十万人もの人が亡くなるかもしれないって言う場合の『かもしれない』だったら、それはちょっと見過ごせないじゃない?」

「どういうこったよ、アニキモドキ」

「いやジュンさん、ちょっと待って下さいよ! それ戦うってことっすよね? ジュンさん!」

「そうだよ」

 語調を強める光。彼は素早く潤史朗に駆け寄った。

「それがどういう事なのか全然わかんないっすけど、でもこれだけは俺でもわかります! ジュンさんはもう動ける体じゃない! 本気で死にますよ!」

「それに関しちゃ俺もこのモヤシに同意だよ、アニキモドキ。大体よ、その手足じゃどうもなんねーだろ、片腕且つ片足じゃねえか」

「ははは。ごもっともで」

 そう笑う潤史朗、しかしどんなに笑顔を作ろうとも、既に血色の悪いその表情では他人を安心させることなどできない。

「でも、今なんだよ。今動かなきゃ」

「ジュンさん! いい加減にしてくださいよ! せっかくみんな助かったのに! みんなで生きて帰りましょうよ! ジュンさん!」

 光は更に潤史朗に詰め寄った。そしてその襟首を両手に捕まえて、力強く前後に揺する。

 これに対する潤史朗。それでも彼は笑顔で答えた。

「無論、死ぬ気はないよ」

 と、光の両手を優しく解く。

「ただ、前にも言った事あるよねヒカさん。確かエレベータの中で、君に最初に言ったことだ」

「え……?」

「そういうことさ。だけどまぁ心配しないで、僕はそう簡単には死なないさ。それじゃクガマル、説明の手伝いを頼む」

「プロジェクターか? ちょっと待ってろ」

 光を後に、潤史朗は壁に向かった。

 かくして壁に照射されるクガマル投影機。一方潤史朗は、取り出した小さなメモ帳にボールペンを走らせた。

「クガマル、これを拡大して」

「おう」

 クガマルの目に読み取られたメモ書きは、投影機に乗って正面の壁に浮かび上がる。

 連なる数字と計算式、更に簡易的な図も混ざり込んで一見訳がわからないメモ用紙ができあがっていた。

 そして潤史朗は説明を始める。

「ムカデリオンが現れたと推定される時期がある、ちょうど僕がこの地下の異変を怪しんで調査に潜った一週間前、いやもう少し前からだ。そしてムカデリオンの推定全幅と掘削力、進行速度、それがこれ」

「わかんね」

「わかりません」

「だろうね、まぁいいよ。それでその推定数値やらを地下コロニーの構造図面に重ねてみるといい、まずいことが思いつくんだ。何だと思う?」

 潤史朗は二人の顔を見る。 

 眉間にしわを寄せる沙紀と首を捻る光だが、回答には至らなかった。

「大崩落の危険性が極めて高い」

「大崩落?」

「全ては推定だよ。でも、どんなに低く見積もってもいつどこの階層が抜け落ちても不思議じゃないんだ」

「あの、ジュンさん。その地下五キロ以下で崩落が起こることにそんな問題が?」

 光は素直な目で潤史朗に訴えかける。

 潤史朗は少し笑顔を含みつつ、その疑問に答えた。

「起こりうるのは大崩落だよ。尾張中京ごと陥没するんだ。地底どころか地表すらやばい、あの高層ビル群が全部同時に十メートルも下がってご覧よ」

「そ、それは……」

「もはや都市の壊滅だ」

 潤史朗は続けた。

「もしかしたらまだ地下の耐久力には余裕があるかもしれない、でもそれが本当にぎりぎりなのか、もうちょっとだけの余裕があるのかもわからない。ただ一つ間違いなく言える事として、これ以上のムカデの掘削は、ほんの一メートルたりとも許容できないってことさ」

「ぎゃははははははははっ。おもしれえだろ? お前等、都市の壊滅だぜ? ぎゃはははは」

 一人大声で笑うクガマルを除き、その全員は静かに口を閉ざしていた。

「どうだろう、ちょっと頑張ってみる価値があるんじゃないかな、この災厄を防ぐために」

「ぎゃはははははは、むしろ発生しやがれ、こりゃあ、とんでもなく面白えぞジュンシローよぉ。ぎゃははははははっ、大崩落だ大崩落! ゴミ同然の人間共が気持ちよく一斉処分されらぁ。ぎゃははははははははははっ」

「クガマル、戦闘の準備をしよう」

「ぎゃはははははははっ」


 メガキラーを担ぐ時、数滴地面に血が垂れた。どこからともわからないが、大して気になるわけでもない。

 そうだ。どうでもいい事だ。地下に住まう人間、地表に住まう人間、それが何十万と滅びようが大して感じることは何もない。

 重要なのはたった二つの事なのだ。地底に眠る古代の秘密を解き明かし、そのロマンを求めて、ひたすら魂を燃やすこと。

 そしてもう一つの事は、彼女のもとに帰ることに他ならない。 

 けれど、帰る場所がなくなっちゃ駄目じゃないか。

 そのためにできることなら、それが何であろうと惜しくはない。

 だれが死ぬって? 死にはしないさ。決してね。


「それでクガマル。これを見て欲しい」

 背中に担ぐその遺物を出して見せた。

「オメエさっきから気になってたが、そりゃ、あれだろ……」

「オーパーツウェポン、とでも言おうかね」

 これ、とは。まさに地底の遺跡で眠っていた古代の遺物である。黒い石棺に収められていた物だが、今ならわかる、これは紛れもなく武器だ。

 それも、ただ希少価値という価値しかない骨董品などではない。

 幅の広い刀身には赤結晶の牙が生えそろい、手に馴染む柄は、それを掴んだ瞬間に力の高揚感で全身が沸き立った。

 もはや兵器の域に達していよう。

 魂を震わす、恐ろしい破壊兵器だ。

「あの亡者たちと関わって、これが何なのかわかった。使い方も、威力も。君はどう? クガマル」

「同じだ。それでお前はそれに懸けてんだろ? じゃなきゃこんな無謀な博打は打たねえ」

「おや、そう思うかい?」

「違うのか」

「違うね、僕を舐めてるでしょ、君は」

「いや、確かにそうかもな。お前はとんでもなく馬鹿で変態で脳天気で最低の愚か者だからな。確かにそんなもん無くても行動するだろう」

「ははっ、君からそんな褒め言葉を聞ける日が来ようとは。嬉しい限りだ」

「ったく。どういう頭してやがる。オメエは……」

「ははは」

 再び遺物を背中に戻した。

 オーパーツウェポンとされる巨大な近接兵器だ。これをボンベの横にくくりつけ、おおよその準備は整った。


 そして丁度その時であった。

 揺れる地面。振動と言うよりも更に凄まじく、横に縦にと大きく震えた。

 足元の安定を奪い、三人はとっさに屈む。

「動き出したね、ムカデリオン。今のでどっかが軽く落ちたかも」

 少し収まりかけた頃、潤史朗は立ち上がり駆逐トラックに向かった。

 荷台、システムコンテナ後部。そちらに格納されるものは中型のオフロードバイクが一台。狭い通路でトラックが通れない場合に乗り換えるためのバイクである。

 油圧リフターで車両から下ろし、各部を簡単に点検する。燃料、ライト、バッテリー、整備状態は極めて良好、衝撃による破損も見当たらない。

「待ってくださいよ! ジュンさん!」

 光が駆け寄る。すでにメガキラーを担いでおり、防護マスクを首から提げた。

「俺も行きます」

 そう言う彼の瞳は、信じられない程に力強かった。不覚にも一瞬だが彼に気圧される。

「俺も戦わせてください!」

 初めて彼を見たとき、迷惑な一般人だと思ったのは間違いない。それが今やこんな様。もはや別人と言われても納得できる。

 しかし、彼には元々秘めたるものがあったのだろう。単に自分の見る目がなかっだけだ。

 この青年、玉野光は最初からずっと戦っていた。

 ゴミのような人間社会で、あらゆる雑踏が彼を掻き消しに掛かっていた。ライトでプアな文化に沈み、否応なしに腐らせた。

 だが、それでも彼の本質はその奥深くで息を続けていた。希望は彼を地下へと導き、この出会いを経て、そして覚醒へと至った。

 馳せる心は地底に深く、闇に切り込む一閃の煌めきと。

 もはや認めざるを得ないだろう。

 彼は地底で生きる資格を得た。

「ヒカさん」

「はい!」

「クガマルに随分しごかれたみたいだけど、多分君はもともと戦う人だったんだろうね。クガマルから聞いたよ、お兄さんの事を」

「え……」

「意外と僕たちは似ているのかも知れない。そういうところとか。結局さ、僕らの今は、今ここにいない誰かのためにあるんだろうね」

「ジュンさん……」

「いいよ。一緒に戦おう。よろしく」

「おっす! こちらこそおなしゃす!」

「まぁ死なない程度に頼むよ」


 *  *  *


 玉野光は、十分に経験を積んだ。作戦の頭数に入れても差し支えはない。

 だが、その前にひとつやるべきことがある。

 潤史朗は彼を近くに呼んだ。

「ちょっと、もうちょっとこっち寄って」

「?」

 片足の潤史朗は手をこまねいて光を招く。

 その右手には、よく見慣れた鋭い医療器具が構えられた。

「ジュンさん、それは?」

「はいブスリ。いや車載の救命セットってのは便利だね、必要なものが何でもある」

「ジュ、ジュンさん……こ、これは?」

 首に注射器を刺された光は、目を白黒させながら潤史朗に問う。

 そして笑って答える潤史朗。

「麻酔。まぁ寝ててよ」

「え、そ、そんな……」

 みるみる内に体のバランスを失う光は、地面に膝をついて潤史朗を見上げた。

「ああ、気絶する前にちょっと聞いて。お遣いを頼まれて欲しいんだ。ほい、メモ書き」

「メモ?」

「んまぁ、なんて言うかさ、ちょっと一人にさせたくない子がいてだね。で、君ならば任せられると思った次第よ」

「へ」

 そして潤史朗は彼のポケットへと汚いメモ用紙の束を押し込んだ。

「ぎゃはははははっ、喜べゴミクソ、このオレが地衛局入りの推薦状も一緒に書いてやったぞ。せいぜい地下で苦しみ続けろや、ぎゃはははははっ」

「ぼ、ぼす、あ、ありが……、いや、あの、おれ、いまたたか、う……」

「君が英雄になるのは、まだ早い」

「そう言うこった。てめえに超級なんざ百万年早えんだよ。ぎゃははははは。せいぜい生き延びやがれ。ぎゃはははは」

「そ、そん、な、おれ、も、たたか……」

 そうして光は力なくその場に倒れ込み、完全に意識を失っていった。


「と、言うわけだ。頼めるかな龍蔵寺さん。あと五十嵐さんの事も、二人が目を覚ますまで守ってあげて」

 続いて潤史朗は沙紀の方を向いた。

「ああ、いいぜ。そんなことなら任された」

「オメエはいいのかよ沙紀、このクソ野郎を止めなくてよぉ。愛しの先輩様なんだろ?」

 クガマルが言う。

「ば、ばっか野郎!、お、お、お、お前何言ってやがんだ! このクソ虫野郎! お、俺がアニキに、そ、そんな下らねえ事を思うはずねえだろバカ! 何が愛しだ!」

 と、一瞬沙紀の顔面は真っ赤に茹だった。

「おうおう、そう発情すんなや沙紀ちゃんよ。ぎゃはははは。で、いいのか? もう行くぞ」

 クガマルは落ち着いた声調に戻して再び沙紀に問いかけた。

「構わねえよ。一人で戦うなんざ無謀の極みだろうけど、コイツが本物のアニキならぜってえに生きて、そんでやり遂げる。モドキなら死ぬだろうが、そんなモドキに未練はねえ。だから構わねえよ」

「ほお……」

「だから、……生きろよな、ぜってえに」

 そう言う沙紀は、潤史朗の肩にそっと手を置いた。

「頑張るよ」

 そして潤史朗はバイクに跨がる。

 二輪で動くのに右足はいらない、ブレーキはフロントさえあれば何とかはなる。また左腕が無くてもクラッチ操作はクガマルに任せれば問題ないだろう。

「よくやるぜ、アニキは」

「んじゃ行ってくる」

「ぎゃはははははは、あばよ」

 吹け上がるエンジンは高く鋭く。

 ヘッドライトが闇を抉り、ブロックタイヤが地を蹴った。

 前輪を持ち上げて飛び出るバイク、その後ろにテールランプの尾を刻んだ。

「もう二度と、くたばるんじゃねえぞアニキ……。俺は、俺はアンタがいねえとさ……」


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