第二の超級 ーⅠ
駆逐トラック関西一号車が行く。
キャビンの中、運転席から助手席へと移った女はくつろぎモード。組んだ足を伸ばしてダッシュボード上へと乗せていた。
車内環境は程よく快適、これも大男にハンドルを交代したおかげだろう。
広い地下自動車道を抜けた後は車幅ぎりぎりの通路が暫く続き、その長い時間をかけてキャビン後部に座る玉野光は事のあらましを話し終えた。
「……なるほどな。大体の事情は把握した」
大柄な男はルームミラー越しに言う。
「そりゃ、つらかったろうにな、少年。いやよく頑張ったさ。おん」
「いや、まぁ自業自得みたいなもんすから」
「だがそれでも感心するぜ、普通は地下に来てあんなバケモン目にしたら、絶対に正気じゃいられねえ。んで、ゴキゲーターの幼虫に追い回されたと思ったら、挙句の果てには助けに来たトラックに轢き殺されそうになるしなぁ」
と、そう言う男は、横目でちらりと女の方を見た。
女の方は男の様子などを気にも留めていない。
彼女はキャビンの内側、天井に張られたネットから、何やらスナック菓子の袋を引っ張り出している。
「あの突進は的確な判断だろ。どう見ても」
そして、菓子の袋を豪快に引き破った。
中身が少し床に飛ぶ。
「そのモヤシみてえな奴がガスマスクしてるだなんて誰が思うよ」
「そりゃ思ってませんから下手にメガキラーは撃てませんけど。だからって突進します? 人が近くにいて、普通は」
「するだろ」
「しないですぜ」
「俺はすんだよ」
「そっすか」
そう言いつつスナック菓子を貪る女。
もし彼女が、膝を揃えて座り且つ口を閉じていたなら、きっとアスリート系の美人なのだろう。しかし今の態度とときたら残念としか言い様がない。
口調といい、姿勢といい、これではコンビニの前に溜まっている素行の悪い少年だ。
「何ジロジロ見てんだよ、見てもやらねぞ」
と運転席の男の視線に気付いて言う。
「別に欲しくないすよ。んな油の塊」
「じゃ何だよ」
「単に行儀悪いなぁと。良くないすよ? 乙女が」
「っせえなぁ、お前はオカンかよ」
「いえ、ただのマッチョっす。ですからマッチョ的視点からしやしても、その油炭水化物の多量摂取はいかがなものかと」
「いいだろ」
「いえ、見てるこっちが太りそうで」
「太るかっ、見てるだけで」
「メンタル的にっす」
「大体俺たちの体はあれだろ? 太るわけがないんだよ、何を食おうと、揚げポテト食おうと」
「マッチョは気持ちからっすよ」
「俺はマッチョ嫌いだ。なんかグロい」
「そ、そっすか……」
そして、なんだかんだと足を直す女は、今度はシートの上にあぐらをかいた。
「あの、それで、マジありがとうございました。ほんと死んでるとこだったんで」
後ろから光が言った。
「お前、玉野光とか言ったっけ?」
「はい」
「悪いけどお前」
「は、はい」
「怪しすぎる」
「いや、それはまぁ……。そうっすけど」
「今ちょっと聞いた話の中で、確実にあり得ない点が一つ。教えてやるよ」
女はスナック菓子をつまみながら続ける。
「そんな超未来的AIドローンは存在しない」
「ええ? いや、でもほら」
そう言いつつ、光は停止したクガマルを両手で持って前の席に差し出した。
女は一旦ダッシュボードに菓子の袋を置き、振り返ってそれを受け取る。
「このおもちゃが飛んで? 案内して? 指示を出す? ないないない。まぁ確かに頑丈そうだし、軍用ってことで多少は高性能なのかもしれないけど、それでも今の技術でそんな賢いドローンが作れるわけないだろ」
「でも姉御、それがそうじゃないと話の辻褄が合いませんぜ?」
マッチョが横から言う。
「だから怪しいってんだろ。あほマッチョ」
「パワハラっす姉御、マッチョだけに」
「ほら、返す」
女は筋肉を無視して光にドローンを返す。
だがその時、わざわざ後ろを振り向かない女はクガマルを乱暴に投げて渡した。
そして慌ててこれをキャッチする光。
すこし横に倒れながら確実に両手に掴んだ。
「うわっと、危ねっ」
「?」
女は助手席側のルームミラーに目をやる。
大事そうにドローンを抱える男を見て眉間にしわを寄せた。
「何を大げさに。ただのドロー……」
「ちょっと!」
光は、女の言葉を遮って言った。
「マジ大事なんで投げんで下さいよ!」
前に乗り出し、少しばかり語調を強めた。
「は?」
ピクリと、女の額には血管が浮き出る。
ナイフのような目つきは鋭さを増し、後ろから少し乗り出す光をミラー越しに睨み付けた。
「な、なななななんすか?」
落ち着け。怖くない怖くない怖くない。と、光は必死に自分に言い聞かせる。
この女、顔だちこそ整っており、角度によっては結構な美人と言えるかもしれない。しかしだ、先ほどから言動を見ていれば女性というカテゴリーとは程遠い。元不良に違いない。いや絶対にそうだ。というか男だ。
だが、それがどうした。
確かにちょっときつい感じだが、恐ろしさで言ったらボスに勝てるはずがない。そうだ、ボスは最凶。そして自分はそのボスに鍛え上げられてきたんだ。
こんな女がなんだ。へっちゃらだ。
「なに震えてんの? だっさ」
女は一言そう言って視線を外した。
「は? はあああ? べべべつに震えてねーし。マジ震えてねえし」
確かにボスよりは怖くないが、ゴキゲーターよりは怖いかもしれない。と思う光であった。「食って掛かっただけでも立派だぞ、少年。俺には到底無理だ」
ハンドルを持つ男はルームミラー越しに光に言った。
「そうだな。百歩譲ってそのドローンが凄い性能だったとして、お前みたいなピヨピヨチキンが、地下一万二千から這い上がってこれるとは到底思えない。それも不審な点の一つだっつうの」
「た、たしかに、ピヨいチキンっすけど。でも……」
「まあまあ姉御、そう言っても始まらねえじゃねえすか」
「とりあえず何でもいいけどさ」
「はい?」
「お前、さっきから一体どこ向かって走ってるわけ? センサーに人の反応もないし。後ろのチキンも道がわからない。アニキを見つける手がかりはなし。ありえないだろ……」
現在の状況だ。
光は絶体絶命のピンチをSPET関西のメンバーに救出され、こうして希望はつながったかのように思われた。しかしながら、要であるクガマルは未だ動作を再開せず。これでは潤史朗の救出に行くのは不可能だ。関西小隊の二人もどうやら尾張中京の地下迷宮には詳しくない様子。希望が繋がったとはいえど、目的達成にはほど遠い。
そして、今まで光が通って来た地下道はクガマルのナビゲーションにのみ選択可能な抜け道のような場所ばかり。車両が通れるような場所はほとんどない訳で、またその道順を思い出そうにも、複雑且つ長距離すぎてわけがわからない。そもそも当たり前の話だが、地下道というのは暗すぎて、その道の状態や景観の記憶など残りようもないのだった。
潤史朗を探すには、この地下空間は広すぎる。
「そいつ、ちょっと貸してみな」
不意にトラックを停車させた男は、運転席から体をこちらに向けて乗り出した。
「ちょっと、誰が止めていいって? 隊長様は許可してないぞ」
「まあまあ姉御、そう固くなりなさんな。どうせこのまま走っても埒があかねえってんでしょ? 無駄にガソリンまき散らしてるわけだし」
「まぁ、一理はあるけど」
どうやら女は気に入らない様子である。
彼女は、袋の中の菓子を男に投げつけると、ふて腐れたようにダッシュボード上に足を振り下ろした。
「確かに、ドローンにしちゃあ随分と凝った作りをしているが……」
男はクガマルを持ち上げたり、可動部を引いてみたりと、その細部までをまじまじと観察した。
「こいつが道案内やら戦闘の指示をするとしたら、そんな恐ろしいことはねえぞ。マジだったらSF映画みたいなロボット戦争でも起こるんじゃねえのか?」
「やっぱ、信じられませんかね。ま、冷静に考えればそっすよね」
「もしかしてずっと寝てた? で、それは夢だ」
「それだけはねえっす」
「だよな。まぁでも動けばいいんだろ? これが」
「え?」
当たり前だが、その意外な一言に少しはっとした。
確かにその通りだが、こんな精密機械はどうしようもないと、端からその発想を自分の中から消していたのだ。
「それで全てが解決する。その志賀って奴の居場所もわかるし、お前さんの言ってるドローンの性能の証明にもなるしな」
「あの、直せるんすか?」
「無理だな。だが、まだ故障と決まったわけじゃないんだろ? ただ動かなくなっただけだと」
「はいっす。それは、はい」
「バッテリーも貸してみ」
「おすっ」
そして光が手渡すもの。それは、まさにあの一部分だ。
男はそれを見て目を丸くする。
「……、なぁおい、これ、腕じゃねえかよ」
手渡された充電用の予備バッテリー。
束の間の絶句。
菓子をむさぼっていた女の視線も、そこの機械の腕に釘付けにされた。
その新鮮な反応に戸惑う光であったが、一瞬の後それが当然のリアクションであることにようやく気が付いた。
「あ、ええっとこれはっすね、その……」
「……」
「ジュンさんです」
「……」
そして、その説明にも更なる手間を要し、おかげで女からの不信感は先ほどに増して強まった。
こんな義腕、技術的にどうなのだろう。光自身、もう今一度考え直してみるも、言われてみればとんでもない技術には違いない。少なくとも一般には普及していない物だ。怪虫同様に機密事項か何かなのだろうと疑問に思うことすらやめていたが……。
「中日本駐屯室、半端ねえっすね」
「これは、はっきり言って良くない。上に隠してるか、それとも上が隠してるのか」
二人は小声で話し合う。
「とにかく、今はバッテリーだ」
そうして男が取り出したのは車載の工具。
慣れた手つきで潤史朗の左腕を解体しはじめ、五分程度の短時間でその内部からバッテリーを取り出した。
「……と、言うわけだな」
男は、光の前にそのバッテリーをかざして見せた。
見事な破損状況だ。
デスモスキートの吸血口が刺さった跡が、しっかりとそこに刻まれている。
「そういう事っすね」
「ついでにさっき、クガマルさんとやらの電源プラグも確認した。車両積載のコードで何とかなるだろう」
「ま、マジすか!」
「マジだな」
「良かった……、ボス」
光はほっと胸を撫で下ろした。もし故障であったらどうしようかと。
また、これで希望が繋がったとも言えるのだ。
早速受け取ったコードで車両の電源からクガマルを充電する。
羽の隙間が赤く発光した。充電開始の合図である。
「まぁ何にしろ、ドローンが起動するまでは取り敢えず下に向かいましょうや。目指すは地下一万以下なんすから、時間もかかるでしょ」
「そのドローンが本当に道案内できるのであれば、だけどな」
「いいっすよね? 車、出しますよ隊長さん」
「許可する」
こうして駆逐トラックは再び走り始めた。
その道中、ふと男がルームミラーで後ろを見ると、そこにはクガマルを抱えてすやすやと眠る光の姿があった。
彼が語るとおり、本当に一万二千メートルから這い上がって来たのなら、それは本当に凄い事だ。こうしてすぐ寝てしまうほどの疲労も頷ける。
それに、彼の両腕にあるドローン……。
「案外、マジかもしんないっすね」
「は? 何が?」
「俺にはこの少年が嘘をついているようにはとても思えねっす」
「ただのチャラ男だろ」
「姉御はそう思うっすね」
「違うっての?」
「こいつは、マッチョな目をしてやがりますよ」
「は? 意味わかんね」
* * *
この国には巨大な秘密組織がある。
表向きには地味な一行政機関に過ぎないだろう。しかし、その実は国民保護を目的とした内閣府直轄の外局だ。
地下衛生管理局と言えばある程度の認知はされているだろう。だがその下に置かれる、防虫部、戦略防虫課、特別殺虫係という部署について、その業務内容は非常にぼんやりと曖昧だ。なぜならば、彼らの仕事はメガ級地底害虫という最上級の国家機密を扱っているからに他ならない。
そして、その最前線にあるのが『SPET』と言われる実動部隊。ただ殺虫のみを目的としながらも、その実態は軍隊をも凌ぐ化学兵装集団である。
構える拠点は主に三カ所。首都本部基地、関西基地、九州基地。主な殺虫力はそれらに集約され、常に出撃の体制が確立されていた。
して、現在その関西基地に所属する一隊にあっては、駆逐トラック関西一号車にて尾張中京都地下へと調査出向の任についていた。
小隊長は龍蔵寺沙紀、副隊長には五十嵐重吾、それ以下の隊員にあっては関西基地にて待機の状態である。
彼らは数刻前、偶然にも一般人を一名を救出し、そしてこれより更なる深度へと救出活動に向かう途上であった……
「姉御、なんかありやすぜ」
ハンドルを握るマッチョこと副隊長五十嵐重吾は、車内センターディスプレイを見て言った。
画面に表示されるのは、車両に搭載されている各種センサーの情報だ。気温・湿度・気圧・深度計器は当然のこと、音探知、熱探知、赤外線感知、振動感知等、怪虫との戦闘や生存者の救出など、暗闇での活動には欠かせない情報が画面の隅まで敷き詰められていた。
そして、その中で異常値を示すのは振動感知計。車両を停止させると、その動きは数字に顕著に現れた。
微弱な振動が検知されている。
「地震すっかね」
「いや、継続時間が長すぎる」
「そっすよね。まさか地下五キロ下で掘削工事してるわけもないですし、どうみます? これ」
「走行レコードと計測ログを照らし合わせろ。嫌な予感がする」
「ほいさ」
それから二人は、しばらくの間センサーディスプレイとの睨み合いを続けた。
徐々に大きくなっている振動値、振動が大きくなっているのか、振動源に接近しているのか、もしくは振動源が接近しているのか。
結論は出ない。
「なんすかねぇ」
「あ、あの。ちょっといいすか?」
後部座席の光が言った。
「多分すけど、その振動の方が動いてると思います」
「適当なこと言ってんなよ、チャラもやしが」
「まぁまぁ姉御。それで少年、その根拠は?」
「根拠もなにも、ボスがそう言ってました」
そう言って光が持ち上げるのは、充電中のクガマルであった。
「はぁ? そのドローンが? お前絶対ふざけてるだろ」
「ふざけてなんかないっすよ!」
光は前に乗り出した。
「ボスが言ってました。なんか追ってきてるって!」
「は?」
「振源が動いてんのか?」
「はい、ボスが……。」
光がそう続けようとした時だ。
あの邪悪な電子音声が発した言葉が、不意に頭の中に再生された。
――今から言うのは最悪中の最悪の事態になった際の対応だ。別に難しいことじゃねえ。オマエ一人で五キロ以上に帰還した場合のことだ。地衛局関係者に一言伝言しろ。いいか?
――“『超級』出現の可能性あり”そう伝えろ
「あ、そういえば……」
「なんだよ、急に間抜け面しやがって」
「超級が出現ってボスが……」
と光がそう口にした途端、前の二人は表情を止めて口を閉ざす。
「え……」
そのリアクションに戸惑う光だが、この間、二人の頭の中ではそれぞれ考えを巡らせていたのだろう。
異なる回答、重吾は笑って飛ばす。
「はっはっはっはっ、超級だって? ばーか言ってんじゃねえよ少年、はっはっは。一瞬びびったじゃねえか。そんなもんがいるわけないだろ?」
一方の沙紀は、逆に表情が堅くなる。
「そのドローンが言ってたのはそんだけか?」
「はっはっ……、あれ、姉御?」
重吾は真剣な沙紀に気が付いてぴたりと笑い声を止めた。
「それだけっす」
「……、そう。わかった」
「姉御?」
隊長、龍蔵寺沙紀は助手席にて前を向き直った。
そしてしばらく腕を組み黙り込んだ後に再び口を開く。
「振動の源を追跡する」
「え、姉御マジで超級ってのを信じるんすか?」
「そういう訳じゃねえ。ただ、嫌な予感がすんだよ」
「嫌な予感すか?」
「それにもしも超級だった場合、初動を誤れば取り返しがつかないことになる。わかるだろ?」
「そ、そっすね」
「空振りだったらむしろそれでいい。前進だ」
「了解」
そして駆逐トラックは再び走り出した。




