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思念


 叫び。

 ちっぽけな体、溢れ出た声は深い闇の奥へと切り込んだ。

「お兄ちゃん! 行かないで」

 しかしそんな思いも、激しく振動する空間の中に押し潰されるよう掻き消された。

 それでも決して失うものかと必死の思いで手を伸ばす。

 掴んだその手。傷だらけだった。

 彼は振り向く。視線だけで人を傷つけそうな鋭い目つき。けれどそんな彼が私の前に見せる顔はまるで母のような表情だ。

 もう目の前がぐしゃぐしゃに濡れて彼の顔もよく見えない。だがそれでも兄の暖かさだけはとてもよく伝わった。 

 その表情が、優しさが、温もりが、兄が与える全てのものはどうしようもなく私を苦しめる。まるで胸の深く深くに刃物を突き立てられるようだった。

 大地は揺らぎ、そして暗闇の中で崩壊は始まる。

 これより先に帰り道はない。上面を成す壁体は崩れかけ、巨大な岩石がいくつも落下した。 向こうに行けばもう二度と帰ってはこれない。

 地の底に潰れ、埋まり、骨は永遠に日の目を見ないだろう。

 そして、この先には恐ろしい化け物がいる。

 化け物は全てを破壊し、それでもまだ破壊し、命を命とも思わず、私たちを追って地獄の底から這い出てきた。

「お兄ちゃん、駄目! ここにいて!」

 返される言葉はなく、伸ばされた彼の指は私の頬へと向かい、伝う涙をそっと拭った。

「行かないで」

 地鳴りが響く。

 化け物の近づく足音だ。

 だがそんなことよりも、兄がこの先に行ってしまうことこそが、私にとって何よりも恐ろしかった。

「お願い、行かないで。お願い」

 優しく解かれる手。

 最後に彼は私の頭をなでると、囁くように声を紡いだ。

 その言葉は、私の中でこみ上げていたものを、一気に溢れ出させた。

 どうしようもなく。胸が苦しい。

 兄は笑い、そして、その先へと駆けて行った。

 彼の後ろ姿は消えゆく地底の闇の中へ。

 もう戻れない地底へと一人走って行った。

 その姿は私の体を引き裂くばかりに、景色は霞み、溢れ出た思いは行き場を失う。

 そして行き場をなくした私の悲鳴は、私の中で私を切り裂く。

 叫びは決して届かない。 


――お兄ちゃん!


 ……そして、私は目を覚ました。

 掛け布団を捲って体を起こす。体中に汗がべたついて気持ち悪い。

 気付けば肩が上下に動き、呼吸が激しい。そして、胸が痛いほどに苦しかった。

 汗で額に張り付いた前髪を整える。少し待つと直に落ち着いて、私はベッドから降りた。

 ここがいつもの部屋だという事に安堵した。

 キッチンまで歩いて水を一口。熱はない。体も問題なさそうだ。

 ただ、頭ではわかっていても、さっきまで続いてた妙な現実感が未だに心臓を叩いており、変な気分がなかなか抜けない。きっと体の真ん中辺を置き去りにしてしまったのだろう。

 大丈夫、ここは自分の家なのだと自分に言い聞かす。

 これで少しは静かになっただろうか。

 あれは夢だ。

 稀に見る奇妙な夢。忘れた頃にやってきて、その度にどこか遠いところに連れ去られそうになる。

 この夢には兄と私が出てくる、もしかしたら過去の記憶なのかもしれない。だが、そんな根拠はどこにもない。記憶なのだとしたらあり得ない。状況としてあり得ないし、そもそも兄の態度が別人すぎる、勿論私もだ。

 特に気にすることはないと思っている。

 しかしどうしてこんな夢を見たのだろうか、また今日に限って。いつもと同じ、そのはずだ。

 いつもの部屋で、いつものベッド。

 ただ一ついつもと違うことは、隣の部屋に兄がいないことだけだ。

 いや、別にいつもいるもんじゃない。

 よくいなくなる。

 その度にこうして夢を見るわけではないし、今日は本当にたまたまだ。

 時計の針は深夜二時。秒針の音が煩いほどによく聞こえる。

 カーテンを開くと外はまるで知らない世界だった。

 深い海のような空に黒い雲が影を連ねる。散りばめられた地上の灯りがさんさんと灯り、遥か遠くの夜空を鮮やかに映し出していた。

 とても静かな夜だ。

 そして恐ろしい。

 今日の景色は何かが違って見えた。これを綺麗だとか、そういう風にはとても感じれない。むしろそれ故に、不気味に沸き立つ暗雲が、遠くに響く空の唸りが、何か不吉な予兆としか思えなかった。この空は闇だ。

 外を見ても気分が変わることはなく、私はすぐに部屋に戻った。

 そして手に持つ携帯電話、着信も通知もない。

 リビングにはラップを被せた夕飯がまだ置いてあった。今日は帰れない、なんて話は聞いてない。

 眠れない夜にすることはスマートフォンを弄ることくらいだ。しかしトップ画面のニュースはどれも興味を惹かないものばかり、芸能もスポーツもどうでもいい。

 気付けばいつも昔の写真ばかりを見ていた。

 やはり何も思い出せない。

 いま、身の回りの世界は自分の知らない物だけでできている。ここにいることが正解なのかもわからない。まるで、転入生みたいな毎日だった。どこにいたって、自分が本当に身を委ねられる場所なんてどこにもない。

 別に普段からずっとそう考えている訳じゃない。きっと自分の知らない夜が私にそう思わせているのだろう。

 ただ、落ち着いていられなかった。

 本当に一人なのではないのかと。

 私は、一人。

 コンパスも持たず、嵐のど真ん中に放り込まれた漂流船。誰もどこにもいない世界の中、一人を自覚した途端に、端の方から闇が体を蝕んだ。

 もう何度目の電話だろうか。

 兄は出ない。

 兄はあの洞窟の中、暗闇のそこへと走って消えたのだ。

 わかっている。その夢の中の兄は現実の兄とは関係ない。だがそれを頭でわかっていても体の方は言うことを聞かない。この体は兄を覚えているとでも言うのか。

 気が付くと指は、何度も何度も電話をかけ直していた。

 また、一人になる。

 一人になってしまう。

 孤独は嫌だ。

 体の奥から冷え切って、全てが凍るように閉じ込められる。

 あの夢に続きはない。

 まだ私はあそこに捕らわれたまま、その闇から決して抜け出せていないのだ。

 彼の笑顔をまた見たい。

 きちんとここに帰ってきて、そしてただいまと言う彼の顔を。

 

 *  *  *


 地下何キロともわからぬ底の果て、長大な穴、ここに今、完全に力を失った。もはや立つことも動くこともできぬ惨状。ぽつりと一人、まるで死に損ないの芋虫がここにいた……。


 暗い、寒い。

 重い、深い。

 知らぬ深淵、体は重く、胸の真ん中で冷たさを知った。

 何を思って、一体どこへ行こうとしていたのか、自分という物に判断がつかない。

 ただ目の前は真っ暗だった。

 きっと目を瞑っているのだろう。そうでなければ目の前が暗いだなんて……。

 ここはどこだ。

 体が寒い。

 足は太腿の真ん中から、腕は肩から、それより遠くの感覚がない。

 少し動かせるのはたった首だけ。

 地に縛り付けられる意識。不思議と嫌な感じはしなかった。

 もうこの場所で消えるのだろうと、そう思った。

 ゆっくりと流れる時間の中、悠久に過ぎる感覚の中、自分という物はこの場所と一体だ。

 空気を吸うこと、それを吐いて戻すこと、なんて不自然な動きだろう。

 命はそれ自体が呪いなんだ。

 全身を襲う痛み、胸を掻きむしりたくなる息苦しさ、そして地の底に取り残された孤独と絶大な恐怖、すべて呪いのせいなんだ。

 もういいだろう。

 生きるとは自然に抗うことだ。それはやめる方がよっぽど気持ちよく、とても自然なことなのだ。

 いま本当に心地がいい。

 消えていく感覚と共に、全身の負荷がすっと体から抜けていく。非常に楽だ、気分がいい。

 そして、眠る。もう手の届くそこに永遠がある。 


――オカエリ


 地と一つになろう意識の中、誰かが近くでそう言った。

 

――オカエリ


 外はもう暗くない。どこかぼんやりと明るく、眩しいけれど、目を瞑らずにも見ていられる暖かさだった。

 どこまでも続いている世界の中、誰かが喋りかけていた。

 おかえり、お疲れ様、その言葉は胸の深くに優しく刺さり、差し伸べられた手を拒む理由は見当たらない。

 きっと故郷に帰ってきたのだろう。みんながいる、周りを囲んで、誰もが明るい表情で迎えてくれた。

 おかえりなさい。そこに母のような温度を感じたのは勘違いじゃなかった。

 その包みこまれるような温もりに、伝う静かな気持ちが、穏やかに震えていた。

 僕はその手に手を伸ばし、そして言葉を返す。

「うん、ただい……」


――「待て」


 言いかけたところで、誰かにそれを止められた。

 後ろに何かが立っている。

 それはよく知った者の声だった。しかしそれはいつもと少し違う。よりはっきりと、まるで喉を唸らせているような声だった。

 抗う者の放つ力だ。


「それは、ここの連中に使う言葉なのかよ。なぁジュンシロウよぉ」

「君か、どうしてここに」

「さあな」

 振り返って声の方を向く、そこにいたのは目に赤い光を灯した人の影だ。

 とても暗く、まさにこの綺麗な場所とは対照的な存在に思えた。

「そう言うオメエは、こんなとこで何やってんだ」

「それは違うな。僕とか人間ってのは何もやらないとこうなる。故にここにいるんだろう」

「なるほど。それで、その手をとるのか?」

「その手?」

 再び振り返ると、そこには僕を待っていた沢山の人々が集まっていた

「別にかまわねえが」

「いいでしょ。それが自然なんだ」

「ああそうとも、自然なことだ。実に自然で、そして怠けてる」

「嫌な言い方だね。まるでそれが罪であるかのような言い方だ。僕はただあるべきところにあろうと……」

「勘違いすんな。オレはお前のために言ってやってんだ、ジュンシロウ」

「ジュンシロウ?」

「今のオメエのこった」

「ジュンシロウ……。じゃあ君は?」

「オレもお前だ」

「よくわからない」

「で、帰るのか、帰らねえのか」

 黒い影の赤い瞳は僕にそう問い詰めた。

 正直、後ろにいる者たちのところがいいと思った。

 しかし、そのジュンシロウという言葉が妙に頭の中で引っかかるのだ。

 それは、どこかに帰り、誰かに何かを言って、その場所に意味とか価値とか、そういう物を何よりも抱きしめていたかったのだ。

――オカエリ

――マッテイタヨ

――コッチニキテ

 僕の『ただいま』はどこに。


「行くなとは言わねえ。だが、オメエの見つけたもんはそっちにはねえぞ」


 僕のただいまは。


「しっかりしやがれ! お前は何をどうしたかったんだ。どこに行って、何をして、誰のところに帰るってんだ! え? どうなんだ! ジュンシロウ!」


 考えるのは、簡単だ。ただ、それ答える力がほしかった。

 抗い。真に渇望するものに手を伸ばす勇気を。


「……クガマル、僕は戻る」

「そうか」

「妹と、そして世界の神秘が待ってるんだ」

「ああ、わかった」

 

 やっぱりそれがいい。

 だがしかし、そう決めた途端だった。

 僕の後ろに待っていた者たちが、みるみる内に黒い影と変化し、両眼に赤い閃光の尾を流した。

 悍ましい、というよりは何か哀れな塊であった。

 口々に低く声を漏らし、そして無数の手を僕の方へと伸ばしてきた。

 気がつけば周りの景色も全く変わっていた。まさに地の底のような場所だ。しかしそれも実際の地中などではない、単純に人の心に黒を塗りつけたような地底である。

 黒い影に赤い瞳の住人たちは、薄気味悪く両手を伸ばし、ゴキブリのように這ってきた。

 逃げる隙すら与えずに、それは僕の体中を捕まえた。

 とんでもない力による拘束、捕まれた腕や足はちぎれそうだ。

――オカエリ、オカエリ

――ドウホウヨ、オカエリ、オカエリナサイ

――コッチ、コッチダ、コッチヘコイ


 ついには首をも捕まれてしまい、これを拒もうにも声も出ない状況だ。

 そんな中、いつもの相棒が素早く駆けつけた。

 相棒が成す黒い人影は、周りの亡霊たちと比べて輪郭をはっきりと縁取り、その目の赤い輝きもより一層強いものだった。


「オラどけ! 死に損ないどもが! ぎゃはははははははっ」


 相棒は亡霊を僕から引きはがすと、怒濤の蹴り、更にその拳圧をもってみるみる内に亡き者たちを蹴散らした。

 しかし、その影たちは、みればそこら中から湧いて出てくるように数を増やしている。

 相棒は格闘しながらに、僕の方を振り向いた。

「おい、いつまでそこに突っ立ってんだ。オメエがいる限り湧いて出てくんだろうが!」

「あ、うん。じゃあ行くよ」

「早く行け」

「で、君はいいの?」

「あ? 知るかよ。お前等次第だ」

「ふぁ?」 

「まぁいい」

 そして、周囲の影をあらかた追い払うと相棒と僕は互いに歩み寄った。

「お前に餞別を二つやろう」

「二つ?」

 と、手渡されたものはスマートフォン。

 何でこんなものが? という疑問はさておき相棒の次の言葉に注意を向けた。

「一つ目だ。この亡者どもは思念の力そのものとみた。利用しろ、使えるものは何でも使え、恐らくこれでなんとかなるだろう」

「思念の力?」

「で、もう二つ目はこいつだ」

 そう言って相棒は今し方僕に渡した携帯を指す。

「スマホだけど」

「もう繋がってるかもしれねえな」

「どこに?」

「どこにだと? んなこたぁ自分で確かめろ」

 と、そう言い終わると相棒は僕を片手で突き放す。

「あばよ、まぁ上手くやってみろや」

 最後に目に映った相棒はやはりずっと影のまま、その素顔を見せないまま、再び亡霊を吹き飛ばしに向かって行った。

 そして、僕の右手にはスマートフォンだけが残る。よく見たら自分の物だった。


 *  *  *


 鳴る。

 電話。

 唐突にして突然、それが手の中でけたたましく音を上げたのだ。

 画面は真っ赤に光を放ち、見たこともない着信画面が現れる。

 一瞬これに体を止めるも、志賀夏子は迷わず着信に応じた。

 スマートフォンを耳に当てる。

 この向こう側にいるのが誰なのか、もはや彼女には考えなくとも理解できた。

「ジュン?」

 しかし、スピーカーの向こうは無言、川が流れるような雑音のみが煩く入る。

「ねえ、ジュンなの? 潤史朗!?」

――……

 電話の向こう側は驚くほどに距離が遠い。

 遠くで、しかしそれは微かな音となり、そして夏子のもとに届けられた。

 聞こえなくとも、聞こえたのだ。


「潤史朗なんだね。聞こえるよ」

――夏子、だよね? 聞こえる?


「今どこ?」


――ごめん、おかしな電波で飛ばしてるみたいでさ。でもわかるよ。いや、そうとしか考えられないというかさ


「無事、なのかな。ごめん、わかんない。少し電波が悪いかも。でもやっぱり潤史朗なんだよね? それだけはちゃんとわかるよ」


――たぶん凄く心配させてるね。ごめん。僕は大丈夫だよ。心配しないで。


「きっと大丈夫じゃないんだよね。こんなよくわかんない電話、普段なら絶対にしない。逆に心配だよ私は。でも、少し声が聞けてよかった」


――実はちょっとトラブルがあってさ、まぁ普段ならいつでも連絡できると思って逆にほったらかしだけど。あぁそうだね、もしかしてこの着信でよけいに心配させたかな。大丈夫、少なくとも生きてはいるから。でも何というか、その、少し声を聞きたくなったと言うかさ……


「少なくとも生きてはいるんだよね、電話できるってことは。よかった、ちょっと安心したよ」


――夏子、今一人なの?

「潤史朗、今一人でいるの?」

――そうだよね。ごめん

「私のことはいいよ。子供じゃないんだし」


「ねえ潤史朗。こんな時だから聞きたい事があるんだけど、今大丈夫?」


――あのさ、別に死ぬ訳じゃないんだけど、なんとなくというか、その、ちょっと言っておきたいことがあるんだ。今いいかな?


「私たちってさ、はっきり言って他人だよね、だってお互い記憶がないんだよ? こんなこと聞いた事もないけど、でも血がどうであれ、やっぱり思い出せない以上、そうだよね……」


――僕たちってさ、ぶっちゃけ他人って言っても仕方ない部分あるよね、だってお互い四年前に初対面だったし。確かにそれ以前は兄妹だったみたいだけど、知らない以上どうしようもない


「最初はどうしていいかわからなかった。突然家族ですって言われても、普通混乱するよ」


――でも、そのたった一つの繋がりしか、僕の中には残っていなかった


「だからと言って別に無理矢理兄妹らしくあるように努力したわけじゃない。きっと潤史朗もそうだよね。でも、それでも必要としてたんだ」


――覚えてる? 僕が体調崩して倒れた時のこと、なんせこの体だしね。あの時作ってくれたお粥がさ、実はいまでも忘れられない


「潤史朗は覚えてるかな。アパートに変な人たちが入ってきた時のこと。実は凄く怖かったんだけど、そのとき初めて気が付いたよ。私はちゃんと守られてる、見ていてくれる人がいるんだって。何を今更って感じだよね。全くさ」


――だから今更だけど、ありがとう夏子


「潤史朗、私からはあんまり言ったことがないけど、いつもさ、その、ありがとう」


――って、ちゃんと面と向かって言えたらいいけど


「潤史朗が帰ってきたらちゃんと言えるかな」


――たぶん無理だ、まじめに言うのは


「でもいつかちゃんと伝えたい」


――それで夏子

「それでさ、潤史朗」


「聞きたいことって言うのは……。どうして、いつも潤史朗は私の側にいようとしてくれるの? だってそうだよね、無理にそうする必要もない」


――言っておきたい事ってのは、どうして僕が夏子の隣にいようとするのかってことだ。兄なんてのはきっと後付けの理由に過ぎない


「潤史朗、どうして?」

――それは、君の隣が僕の帰る場所だからだ


「……、待ってるから」

――必ず帰るよ。


 志賀潤史朗。

 彼は右手に持ったスマートフォンを耳から離し、切断する。画面を見ると、先ほどまで煌々としていた赤い輝きは徐々に薄れ、表示されていた志賀夏子との文字がようやくはっきりと映り出た。

 無論電波のアンテナなど一本たりとも立ってはいない。しかし、この電話が今にして繋がることに何ら疑問は抱かなかった。

 しかし、二度目の電話はできぬであろう。

 問題ない。

 必ず帰るとそう言った。この言葉が彼女に伝わったのかはわからない。しかし、これは一つの決意であり、大きな覚悟に他ならない。

 いや、きっと彼女には伝わっている。電話越しに彼女の声が届かぬとも、それでも確信に近い感覚であふれている。

 そう思うと、不思議と体中に力が走り始めた。

 機械の右腕、右足、左足、赤い閃光を激しく飛ばし、右側頭部のアクションカメラは血のような激光を照射する。

 赤一色に染まる地底洞窟。

 潤史朗は立ち上がった。


――ユケ、ドウホウヨ

――タオセ、ワレラノテキヲ  

――フリカエルナ、センシヨ



――ユケ……






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