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地底の夜空 ーⅢ


 しかし、その出来事は次の瞬間であった。

 ドームの中央付近、豪快な爆発音と共に床が天井に向かって噴き上がった。

 砕かれた床がバラバラになって周囲に飛散する

 粉塵が舞い、その中心より何か強力な光の塊が飛び出した。

 巨大なそれは四角い箱のよう。下から床面を突き上げるように姿を現す。

 ゴツゴツに太ったタイヤを六輪履き揃え、着地する重たい車体をがっちりと受け止めた。

 それは戦車か装甲車かと思われるほどの重装備。だが、トラックである。

 まるでクジラが海面から飛び出したかのような豪快な登場だ。それが一体何なのかは全くわからないが、とにかく普通の車でないことだけは理解できた。

 ラリー車並みに補助灯を装着し、太いガードパイプを各所に武装。突進すればビルでも簡単に倒せそうな風貌である。

 その存在に気が付いたゴキブリたち。彼らは一瞬ギョッとしたように動きを止めた。

 何事かと思う光は目を開く。

 オレンジとブラック、派手な色使いはハチの様。そのトラックはエンジンをぶるぶると震わせながらこちらを照らした。

「な、なんだ?」

 と思う次の瞬間、光を見るなりトラックは急に発進する。

 まるでロケットかミサイルかというほどの凄まじい大加速で前進。周囲の座席を吹き飛ばしながら突撃する。 

 まさに猛牛、いや怪物と言う方が正しいか。

 光は慌てて横に飛び出し、その突進を回避した。

 跳ね飛ばされる座席の中にはミニサイズのゴキブリが何匹も巻き込まれていた。一瞬でもこの回避が遅れていようものなら、今頃ゴキブリたちと一緒に肉塊になっていたところだ。それは流石に勘弁されたい。

 だが光とは違い、一向にこれをかわす素振りをみせないものがいる。フルサイズのゴキゲーターだ。まさかこの化物トラックを受け止めるつもりなのだろうか。

 しかし、それは戦車とも張り合える巨大害虫なのだ、トラック如きに立ち向かうことなどなんてことはない。はずである。

 そして次の瞬間、怪物トラックに正面から激突するゴキゲーター。

 トラックは多少減速するも止まることを知らない。

 フロント部にゴキゲーターを捕らえ、そのままドームの隅まで押しやった。

 壁とトラックに挟まれるゴキゲーター。

 これを押し返そうと試みるも、トラックは更にエンジンを吹かして対抗した。

 空転するタイヤが白煙を纏う。

 だが、こんな無意味な遊びはここで終わりだ。

 トラックのキャビン上部に取り付けられているのは大型の放射ノズル。

 ここから何が発射するのかは敢えて言うまでもないだろう。

 メガキラー、放射。

 そこから噴き出す薬剤は、人が持つタイプのノズルに比較すると量も圧力も圧倒的だ。

 壁に押しやられたゴキゲーターはあっという間に沈黙した。

 トラックはバックにて後退。体勢を立て直す。

 さらにここで横から襲い掛かる次なるゴキゲーターが一体あり。羽を大きく広げた状態にて空中を突進した。

 トラックはノズル先端をそちらに側に素早く向ける。続けて吹き付ける薬剤放射は長射程高圧力。これにて瞬時にゴキゲーターを撃墜した。

 そして空中で死骸となるゴキゲーターは、その勢い余って地面を転がり、その付近で停止した。


「な、なんだこれ……」

 この様子を呆然と眺める光。驚きと安堵で心臓が忙しい。

 いつの間にか、彼を取り囲んでいたゴキブリ達はそのトラックを襲う方向でまとまっていた。

 無論ミニサイズのゴキブリたちも、この天敵たる凶暴なトラックを撃滅せんと、大集団で向かって行く。

 ミニと言っても全長は三十から百センチ。接近すれば巨大なタイヤに潰されるが、その亡骸が多量に積もれば何かが起こる。

 暴れまわるトラックは殺虫剤をまき散らし、しかしそれでもゴキブリたちはこれに怯むことなく襲い掛かった。

 ドームの中はいつしか虫の死骸だらけ。

 この害虫駆除は一見恐ろしく順調に思われた。


 だが、しかしその時である。

 トラックの暴走が突如として鈍くなった。

 見れば、死に損ねたミニゴキブリ達が大量にタイヤに絡みつき、相互に足を絡めあいながらタイヤと車体の間に挟まっている。

 速度はいつしか歩行者並みだ。

 十トン車ベースとみえる特装のトラックは、おそらく六輪駆動車ではあるが、タイヤのほとんどすべてにゴキブリが挟まっているようで、野太いエンジン音のみが無駄に吠えている。 トラックは機動性を失った。

 そしてこの絶好のチャンスをゴキブリたちが見逃すわけもなく、減ったのかどうかもよくわからない量のミニゴキブリは、前後左右更には天井から、カサカサと高速で這いずり、完全包囲を実現した。

 ついに集団の先駆けが、トラックの車体を上り始める。

 トラックの車体は、みるみるうちにつやつやのゴキブリブラックに染まりゆく。鮮やかな橙色部分が消えていった。


「ト、トラックが……」

 立ち尽くす光。

 救いの神が、今目の前で死のうとしている。瞬く間にゴキブリを大量殺戮した大型車は、こんなにも簡単に、あっけなく沈もうとしていた。

 せめて、あのタイヤに挟まるゴミさえ何とかできれば……。

 しかし。

 自分に何ができる。

 まさか、あのミニゴキブリのたかる山に突入しろと?

 まさか。

 ここで逃げればいいだろう。今ならあのトラックが注意を引いている。幸いにも一番の障害であったフルサイズのゴキゲーターは始末された。

 逃げるべきだ。それが潤史朗を助けることにつながる。あのトラックに誰が乗っているのか知らないが、どうせ見ず知らずの他人。誰かの言葉を借りるなら、こんなやばい地下に来ている時点で死んでも文句は言えないのだ。

 逃げよう。

 今飛び出せ。

 綺麗ごとなんて言い出したら地下では誰も助からない。


 足が、動かない。

 振り返ろうにも体が動かない。

 腰を抜かして動けないわけじゃないんだ。

 ただ、ここで身を退くことを許せないもう一人の自分が、そんなことは絶対あり得ないと駄々をこねている。

 じゃあ、あの虫だらけのところに突撃するのか?

 そう考えると、足はさらに強く固まった。

 前に行くか、後ろに行くか、その力は見事に釣り合い自分をこの場に縛りつける。

 行き場を失った力は上半身に上り、クガマルを抱きしめる力がぎゅっと増した。

 クガマルは何も言わない。

 潤史朗はここにいない。

 もしも彼らがいたとしたら、どうしていたのだろうか。

 いや、その答えは自分が一番よく知っているはずだろう。

 今ここに自分の命があり、こうして立っていられること。

 それが彼らの出した答えであり、結果であり、全てだ。

 今、その震える小さな一歩を力強く踏み出した。


――よくもまあこんなゴミクソが地衛局に入りたいだの抜かすもんだぁ。あ? テメエの兄貴がなんだって? 知るかってんだ。ぎゃはははっ、悔しかったらやってみやがれ。まぁ、オメエなんぞには到底無理だろうがな! ぎゃはははははははははっ。


 頭の中で不意にクガマルの声が思い出された。

 こんなセリフ言っていたろうか。まぁ大体こんな感じだろう。

 あの笑い声といい。

 個性的すぎるんだ。


「ボス。俺、やってやりますよ」


 一人小さくつぶやく光。

 次の瞬間。

 彼は走り出した。

 その雄たけびは、まるで自身の震えを飛ばすかの如く。そのままゴキブリの山めがけて全力疾走で突入する。

 もう目は瞑らない。

 前方の目標物をしっかりとその両目で見据えて走った。

 迫るトラック。

 今だけは、その死の恐怖を置き去りに。

 そして、すべての覚悟が決まったその時。

 突然だった。

 トラックの周囲、底面や各部の隙間より、白い濃霧が勢いよく噴射した。

 その白煙はどう見ても殺虫薬剤。

 みるみるうちにトラックは自らの車体をメガキラーで包み、まとわりついたミニゴキブリたちを一斉に排除した。ゴキブリたちはボトボトと剥がれ落ちていく。

 そのギミックに反射的に急停止した光は、若干前のめりに転倒しかけた。

 防護マスクはしているものの、残り数メートルの距離でメガキラーをもろに浴びるところだった。それでどうなるかは知らないが、危険でないはずはないだろう。

 しかし、そんな秘密の仕掛けがあったとして根本的な解決はされていない。

 タイヤに絡みつくミニゴキブリは依然。

 けれど今、これは大変に大きなチャンスとみえた。

 今なら安全に車体に接近できる。

 ミニゴキブリの第二波が到達するまで、わずかだが隙がある。

 光はこのタイミングでトラックに飛びついた。

 目標はこれ、車体外部に取り付けられた“つるはし”だ。

 これを素早く取り外すと、その先端金属部分をタイヤハウスに食い込ませて力いっぱいにゴキブリの死骸を引きずり出す。

 中にはまだ微妙に動いているものもあるが、そんなことは関係ない。

 量はまだまだある。

 振り返ると、津波のように押し寄せるゴキブリたちの第二波が。

 急いでこの死体群を撤去しなければ今に飲まれてしまうだろう。

 だがこの作業、早くともあと一分は時間が掛かるだろうか。ゴキブリが来るまでに何とかなる時間はとてもない。

 一旦車体上部に登って逃げるか?

 しかしそうしてもすぐに飲まれてしまうだろう。

 もはや一刻の猶予もない。


「お前、死ぬ気?」

 その時、不意に人間が現れた。

 防護マスクをつけた女だ。ヘルメットの縁から茶髪が跳ねている。

 そして彼女の背中に担がれたボンベ、"MEGA-KILLER"の文字がやたらと逞しく映った。

 彼女の構えるノズルより薬剤放射が噴き出される。

 ミニゴキブリの洪水を一旦そこでせき止めた。

 すると女は放射をぴたりと中止して、光の隣に走り寄った。

「大丈夫か?」

「あ、はいっす」

「頭」

「頭?」

「の中」

「中……」

 光の隣にて、女はグローブをした手でポイポイと、ゴキブリの死骸を掻き出しては引っこ抜き、引っこ抜いてはそれ後ろ投げた。

 そして迫りくるゴキブリ第三波。

 タイヤに絡まったゴキブリはほとんど取り出せた。

 女は光の腕を掴んで引っ張る。

「乗りな」

「!」

 半ば投げられるように、光はトラックのキャビン後部に連れ込まれた。

 女のほうは運転席に乗り込む。

 また、その二人の乗車の際に、ちょうど反対側から誰かもう一人が助手席に飛び乗った。

 三つの扉は、ほぼ同時に閉じられる。

「そっち側のタイヤは!?」

 運転席の女は、反対側から乗車した助手席の大男に言った。

「たぶんオッケー! って、さっきの少年乗ってる!?」

 男は後部座席に振り向いた。

「ど、どもっす」

「オーケー?」

 拳から親指を突き立てグッドサインを出す男。光もこれを真似して返した。

「オケッす」

「出すよ」

 と、女は言い終わる前に一気にアクセルを床まで踏み込んだ。

 その爆発的急発進に光は悲鳴を上げる。発進の勢いで後部座席を転がった。

 玉野光を確保し、再びゴキブリを跳ね飛ばしながらトラックは進む。

 前方のミニゴキブリを今度は無闇に轢き殺さず殺虫剤を散布しながら前進した。

「姉御、正面壁」

「抜く」

「残り三十メーター」

「緊急掘削ロケット」

「準備よぉーし!」

 トラックはわずかに減速する。

 そして女の指示の下、大男は助手席ダッシュボードに装着されたタッチパネルで操作を行った。

 すると、トラック荷台部のシステムコンテナ、ここから左右のサイドハッチが外側に展開した。

 その内部からは十数発のロケット弾が頭を覗かせる。

「ツーカウントで発射」

「りょ」

「二秒前、一。撃て」

「ほいさっ」

 続く操作は助手席シート横から飛び出る作業スティックにて。

 男がそれについた赤いトリガーを景気よく引き絞ると、パネル上で選択した分のロケット弾がサイドハッチより発射された。

 尾を引きながら飛翔する数発の弾。それらは爆発による火煙を巻き上げながら前方を塞ぐ壁を粉砕した。

 その崩落の最中、女の方は再び車両を加速させ、粉塵の中に突入する。

 もはや天文館の内部は、侵入した一台のトラックによりめちゃくちゃに破壊され、目も当てられない惨状だった。

 幅が狭く通れない通路などは無視、端から通るつもりもなさそうだが、体当たりやロケット弾によって次々と壁を突き抜けて、建物内に新たな道を開拓しながら走り抜ける。

 そして最後に迫る障害は、地下自動車道との隔たりとなる壁。

 こちらは先ほどまでの壁よりかは遥かに厚さがありそうだ。

「任せた」

 女はそう言うと、車両を壁体の正面にできる限り接近させて停車。

「任された!」

 先ほどの作業スティック。これを反対側のシート横からも更にもう一本引き出して、男はこの左右二本のスティックを両手で握って操作を開始。

 システムコンテナ上部、こちらから展開するのは二本の長い作業アーム。それぞれの先端には、ドリルと刺突ニードルが装着されており、掘削装置となっている。

 例えて言うなればテナガエビ。そんな感じでトラックの上から前方に向かって突き出された長い作業アームは、高速回転するドリルと素早い前後運動を繰り返す刺突ニードルにより、みるみる内に正面の壁を破壊し始めた。

「あと何秒?」

 そう言う女は両手を頭の後ろに回して暇そうな仕草をとった。

「三十」

「追いつかれる」

「おっと?」

 と、その次の瞬間。何やら車内にブザー音が鳴り渡った。

 女はそれを耳にすると運転席から助手席側に身を乗り出してタッチパネルを覗き込んだ。

「おい、幼虫に取りつかれてんじゃんか。もたもたしてるから」

「どーします? 幼虫、ある程度溜まるまで待ちます? さっきみたいに」

「却下。またタイヤに挟まると厄介」

 そうして女が指を添えるボタンは、ダッシュボード上の赤いボタン。

 誤操作防止用のカバーを上に跳ね、『非常』と書かれるそのボタンを人差し指で押し込んだ。

 すると、先ほどのように車体周囲からメガキラーが噴出し、あっという間に車両全体を包んだ。

 警報ブザーは停止する。

 そしてタイミング同じく、目の前の壁は遂に破壊された。

 粉塵なのか殺虫剤なのか、周囲にあっては白煙まみれ。

 女は再びアクセルを踏み込み、トラックはこの煙の中へと飛び込んで行く。

 

 *  *  *


 かくして駆逐トラックは天文館を後にする。

 自動車道に入ってしまえば、もはや幼虫ごときではこの速度を追いかけてこれない。

 赤いテールランプは暗闇に尾を引き、その後ろに低い排気音を残して去る。

 こちらの車両にあっては、駆逐トラック関西一号車。

 一般人を一名確保するも、目標人物とは接触ならず。


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