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ハイパーアクティブ


 暗黒の地下、赤く光った古代遺跡。

 いま、ゴキゲーターと対峙する。

 必ず、絶対に夏子の元に帰ると。

 彼女の待つ場所へと帰還し、いつものように、ただいまを言う。

 それだけだ。


 潤史朗は、その決意を表すかのように側頭部に装着されたアクションカメラに手を伸ばした。

 外付けの小さなボタンを素早く操作。

 スピーカーからは電子音声が鳴り響く。


『アクティブコントロール――現在の設定は……』

 

 電子音声の案内中に次の操作を入力、途中でセリフはカットされ、更にアナウンスは次のステップに。


『設定変更――現在の設……』


 続いて、同じボタンを短く連打。


『エコノミ……』

『セイフティ……』

『ミッシ……』

『ハイ……』


 決定した場所でボタンを離し選択完了。右手は手斧を持ち直し、正面の敵に体勢を構えた。 ひりつく空気が全身を纏う。アクションカメラは無機質な声でそれを続けた。


『設定が変更されました』


『現在の設定は、ハイパーアクティブ』


『周囲の状況を確認し、安全に活動して下さい』


 アクションカメラが、喋り終える。

 そしてその時、切って落とされた生存戦。

 ゴキゲーターが動き出した。

 獲物を捕らえる爆発的な瞬発力。一瞬で間合いをゼロに詰めた。重さと大きさを無視した機動性は人間の運動能力などは遥かに凌ぐ。

 潤史朗に向けられたのは左右の牙と棘の前脚。

 構えた手斧。

 振り下ろす瞬間は、今。

 影を置き去りにした、そう錯覚させる程の俊足で身をかわす。

 ゴキゲーターの突進を回避。

 して同時に、込められる右腕の力は、その消費電力に加減なし。

 全力で叩き込まれた手斧はゴキゲーターの頭部付け根、首部分に食い込んだ。

 ゴキゲーターは軽く鳴き声を上げる。これは有効打撃になりうるか。いや。そう簡単では無いことなどは十分に承知。

 首に斧を挿し込まれたゴキゲーターは、何事もなかったかのように振り返り、そして体勢を立て直した。


 今、潤史朗の三肢は、電力の制限から解放されている。

 三肢から発生しているパワーは、もはや人体の模倣などではない。頑強な肢体には、それに見合った高出力のバケモノ動力が。繰り出される衝撃力は、まさに破壊工作機そのものだ。 そして、その機械の力をもって、今ゴキブリを迎え撃つ。


 ゴキゲーターを殺すのは簡単だ。メガキラーを放てばいい。

 しかし生憎今は持ち合わせがない。となると、ゴキゲーターの駆逐は困難を極める。あの虫は、例え体が半分千切れようが、なに食わぬ顔で向かってくるのだ。

 しかし、その戦闘力を奪うことは可能である。

 ひとつ、6本足を全て、とまで言わずとも、動けないまでに離断する。

 ふたつ、首を落とす。そうすれば少なくとも捕食は行えない。

 今やるべきは後者の方だ。

 無論その難易度は言うまでもあるまい。

 だがしかし、それは計算上可能であることに間違いないのだ。

 あの首に刺さった斧を、更に食い込ませればいい。

 

 潤史朗は機械の両足で地を蹴りつけ飛び上がる。

 低い天井がすぐに迫り、体を返すと更に天井を蹴りつけて、今度は下向きに跳躍。

 向かった先はゴキゲーターの頭部。

 宙にて前転。

 首に刺さってる手斧目掛け、前転から繰り出される右足、その踵を降り下ろした。

 しかし、あまりの勢いに目標は僅かに逸れ、落とした踵は斧を外れてそのまま頭部を叩きつける。

 硬い。

 さすがは銃弾を弾くほどの外殻だ。

 だが、首の切り口へのダメージは少なからず入ったとみえる。 

 刺さった手斧は五センチ程は食い込んだ。

 あともう三十センチ程、その斧を深く抉り込めさえすれば、踵落としで頭部を叩き落とせる。

 だが、依然として負ける要因はこちらの方が圧倒的だ。

 

 ゴキゲーターの反撃。

 棘だらけの前脚が、掴み掛かるように襲いくる。

 こちらはピンポイントでダメージを加算しなければならないのに対し、ゴキゲーターは一撃でも当てれば、ほぼ勝利なのだ。

 ゴキブリへの接近は大胆に、しかし一瞬たりとも気を抜いてはならない。

 身を屈めて回避する。

 頭上を前脚がかすめた瞬間に、立ち上がりつつ頭部を蹴りあげた。

 やはり硬い。

 斧をやらねば埒があかない。

 そこに刺さった斧に伸ばす。

 しかし同時に、ゴキゲーターの開かれた顎がこちらに向くのに気がついた。

 慌てて後方に飛んで回避。

 間一髪、危うく自分の首がもげるところだった。

 続いてそれを追うように、着地の瞬間にゴキゲーターが突っ込んだ。

 体勢が安定せずに回避し損ねる。

 またしてもゴキゲーターは目の前に。

 刹那、自身の体幹部をゴキゲーターの前脚が捕らえ、地面に押さえつけられた。

 これはまずい。

 上にのし掛かるゴキゲーターは完全に捕食の姿勢に入っている。

 またしても目の前に顎。

 これはやばいと、眼前に迫る死に対し、壊れるほどに心臓が暴れた。

 しかし頭の方は妙にクリアで冷静だ。

 手を伸ばせば届く場所に斧が食い込んでるのに気が付く。

 そう思うか否か、咄嗟に手は伸ばされた。

 ゴキゲーターの顎も、こちらの首を取ろうと向かう。

 だが、早いのは圧倒的にこっちだ。

 素早く抜き取り、そして再びそれを叩きつける。

 手斧は更に深く食い込んだ。

 怯んだゴキゲーターに隙が生まれた。

 自由になった両足。右足でゴキゲーターの腹部を蹴り上げた。

 比較的柔らかい腹部裏側への攻撃は、ある程度有効と思われる。

 更に怯んだゴキゲーターは、完全に前脚の拘束を緩めた。

 即座に抜け出し、そしてこのチャンスに一撃を狙う。

 振り抜く右足は空を裂き、そして見事に手斧を捉えた。鋭い打撃、ゴキブリの首へのダメージは大きく加算。

 そして、もう一撃。

 と、いきたいところであるが、それはやめるべきだ。

 下がる。

 攻撃は止め時が肝心だ。

 これを見誤れば、相手の反撃をもろに受けることに繋がり兼ねない

 そうなった時点で戦闘は終了、すなわち死だ。

 見たところ、手斧はおよそ十センチ食い込んでいる。

 まだまだ、足りない。

 ゴキゲーターを前方に見た。構える。

 その時気付く。自分の胸、呼吸が速い。

 ゴキゲーターに踏まれた胸部に違和感あり。

 しかし、今これに気をとられてはいけない。損傷の具合を気にして肋骨に手を当てたら最後、きっと痛みを自覚してどうしようもなくなるだろう。

 まだ集中力を途切れさすには、いささか以上に早いのだ。

 頭は常に戦闘状態を保持。

 全神経、全能力をゴキゲーターの駆除に向けて稼働する。その緊張が切れたら、などと想像している余裕すらないのだ。

 ゴキゲーターは執拗に突進を繰り返し、飽きもせず捕食を試みる。

 飛び上がり、天井を数歩駆け抜けて、迫るゴキゲーターと上下ですれ違った。

 着地し振り返る。背後に回り込んだ時には既にゴキゲーターも体勢を整えてこちらを向いた。

 思いのほか着地の勢いが体にずしりと響いてくる。不意にこみ上げた喉の熱感。

 反射的に咳き込む。

 口に当てた右手には嫌な液体が数滴散った。暗くて色はわからない

 どうせ唾か何かだろう。そう思う事にした。

 再び目線を戻し、ゴキゲーターに向かう。


 跳躍。

 またしても飛び上がり、天井面を駆け抜けた。

 先ほどより喉から湧いて出る液体が徐々に量を増している。こみ上げる咳が鬱陶しい。

 また同時に呼吸は荒くなり、その度に体の軋みが聞こえてくる。自身の機動にどこか歪が生じているのも気のせいではないだろう。

 そろそろ痛みを自覚しなければ、危ないラインを過ぎるまで本当に気が付かないかもしれない。

 しかし状況がそれを許さない。

 求められるものは早期決着だ。

 幸いにも刺さった斧は、最初よりかは遥かに深い。

 次で決着をつけようと思う。


 攻撃をかわされ、壁に突っ込むゴキゲーター。

 その隙に右手はアクションカメラへ。

 赤いボタンに指を添え、約一秒の長押しを実施。

 そして更なるアナウンス……。


『超電力状態へ移行します。――充電中です。消費電力にご注意下さい』


 右耳の上、頭にぴたりとくっ付いたアクションカメラは、単に動画撮影のカメラでない。

 むしろ動画撮影機能などオマケ。これは、機械の手足の管制装置を兼ねる。 

 解放した限界性能はハイパーアクティブ。そして今ここに更なる力を、一撃必殺となる破壊力をひねり出す。

 

『充電完了まで、五秒前、……4、3……』


 壁に激突したゴキゲータ―が振り返った。

 こちらはまたしても地を蹴り宙へ。

 そして天井を蹴り返し、砲弾の如くゴキゲーターを狙う。

 ここでもう一度、決めたい踵の振り下ろし。

 見積もりが正しければ、現在の斧の切れ込みと、そして間もなく放つ必殺の一撃があれば、頭部の離断が叶うだろう。


『……2、1。充電が完了しました……』


 事前設定された右足に、溢れんばかりの過剰電力を感じる。

 電子音声は注意喚起に喋り続け、同時に警報のブザー音を煩く響かせた。

 この特殊な状態が許されるのは、ほんの僅か一動作のみ。

 その一瞬の爆発的なパワーを、振り下ろされる踵に集約する。

 技名など無い、あっても叫ぶ間は無い、だが言うなれば超電力キックでいいだろう。

 この破壊力が切り札だ。

 宙にて前転。

 迫るゴキゲーターにその踵を叩きつける。


 しかし、その時だ。

 胸部右側のどこかから、よじれるような悲痛が叫ばれた。

 ここにきて、無理した皺寄せが一線を越える。

 その刺激は脳に塩辛い感覚を擦り付け、一瞬全てがそちらに注意を逸らされる。

 狙いがずれた。

 飛び降りた地点は、その頭部よりずっと前方、ゴキゲーターの正面付近。

 そして振り下ろされた右足。右足は地に敷かれた岩石を激しく粉砕し、その細かい粉が白く舞い上がった。

 必殺の一撃が外れた。


『……大きな力が発動します。衝撃にご注意下さい……』


 響き渡たる電子音声が虚しい。すでにキックは放たれた。そして外れたのだ。


 ゴキゲーターが、にゅるっと顔を覗かせた。

 何てことはない、また跳躍して距離を取ればいい……。

 地面を蹴って飛び上がる。

 そうなるはずだった。

 右足が抜けない。

 岩石を砕き、内部にめり込んでいった右足が、全くびくとも動かない。

 目の前にはゴキゲーター。

 まずい。

 いや、終わった。

 流石にもう頭の中が真っ白になった。

 しかし妙に落ち着いてる。

 最後に何を言い残そうか。

 せめて一言何か。

 いや、あえて格好をつける相手すらいない。

 と、そう考える最中にもゴキゲーターは接近している。

 どうしたものか。

 いや、死ぬんだ。

 そうか。

 走馬燈なんてのは特に見えない。

 それが見えるほどの思い出は無いのである。たかだか四年くらいの短い記憶。

 四年か。

 夏子。

 心残りがあるとするならそれくらいか。 

 今となってはどうにもならないが。

 やばいなぁ。

 怒るだろうな。

 何て言って謝ろうかな。

 死んだら。

 夏子。

 まじごめん。


 ゴキゲーターは目の前。

 巨大な顎がもう届きそうだった。


 いや、まだ死ねないだろう。

 考えなくたってわかる。


 この攻撃、右手で受け止めろ。本当に死ぬ最後の最後、その瞬間までは足掻いてみせる。

 思い出す彼女の顔、それがあって死ねるはずがない。


 掲げる右腕。

 して、その時であった。

 凄まじい衝撃。

 一瞬なにが起きているかもわからなかった。落盤か、まるで爆発するかのように上部の壁が破壊され、巨大な岩が飛散した。

 そして、そこから突き出される大きな牙。

 全貌は見えない、ただその牙はゴキゲーターの体長などは優に超える大きさだ。

 その巨大な牙は突然ゴキゲーターを挟みこんだ。一体なにが起こっているのか、多分ゴキゲーターも困惑している。

 持ち上げられるゴキゲーターはまるでUFOキャッチャーで掴まれたようだった。

 そしてゴキゲーターは立ちこめる粉塵の中に飲み込まれ、その姿が消えると同時に耳をかち割るような咀嚼音が響く。

 ゴキゲーターの手足が上から数本落ちて来た。


 その咆哮は龍のごとく。嵐を呼び、舞い上がった煙を吹き飛ばす。

 大きな頭に巨大な牙、褐色の体は更に巨大、しかし胴の大半は地中に隠す。

 異常に巨大な怪虫だ。 


 *  *  *

  

 敵は去った。

 ゴキゲーターは捕食される。

 急に静まりかえった遺跡。破壊され、上部に巨大な穴を開けた。

 ただ一人だけ、潤史朗はそこに残された。


『アクティブコントロール――現在の設定はハイパー……、設定変……、が変更されました。現在の設定はエコノミック』


 助かった。

 今はそれだけでいい。

 崩れるように膝をつく。

 口の中に広がる鉄の味は、妙に塩気が効いており忘れた空腹を呼び起こした。

 呼吸が重い。息をするたびに胸全体が抉るように軋んでいる。もし三肢が機械でなかったら、とっくに酸素不足でやられていだろう。

 良い塩梅のぎりぎり加減だ。

 まだこうして生きている。

 生きている。


 地面に接地する両膝が未だに細かな振動を捉えていた。

 あいつが去る音だ。

 果たして、これが本当に助かったと言えるのだろうか。

 あの虫のことは知っている。

 以前からそれの存在は報告されていた。しかしいま、このタイミングで現れようとは。

 これは、もはやゴキゲーターどころの騒ぎではない。

 町が危ない。

 世界には、我々のちっぽけな常識など遥かに超越した存在がある。

 この類いとは二度目の邂逅となるか。

 思い出される一体目の記憶。まさに町一つ地図から消し去った。

 そして今回のが二体目。

 今、あれが向かった方はどっちだ。

 どう見ても上だ。いや、上だろうと下だろうと関係ない、その存在そのものが許容されないのだ。

 何としてでも、この情報を伝えなければならない。

 こんな地下で悠長にくたばっている暇などないのだ。

 あれをどうにかせねば。

 体がどうであろうと構うことは無い。

 この危機を一刻も早く上に連絡しなければ、とんでもないことになるだろう。

 そして何より、夏子の身が危ない。


 *  *  *


 そして。

 少し動き出した途端、抉り込むような痛覚が目覚めた。

 その刺激に一瞬思考が飛びそうになったが、頭も体も何とか踏みとどまる。

 喉から湧きあがる血が旨い。

 呼吸は荒く、頭も何だかはっきりしない、しかし足取りだけはしっかりと穴の方へと向かった。

 最後に一旦振り返り、もう一度、目に焼き付ける様に石室を眺めた。

 また必ずここに戻る。

 潤史朗は無言の決意と共に、遺跡を後にした。


 それからと言うもの、また随分と歩いた気がする。それは何時間、いや何十時間か経過したのかもしれない。

 目の前が暗い。

 いや当たり前か。光が無いのだから暗いに決まっている。暗く、寒い。体が冷たい。

 

『バッテリーの電力が低下しています。充電をして下さい。バッテリーの……』


 不意に響く警告ブザーと共に電子音声が喋り始めた。

 アクションカメラが煩い。

 どうやらゴキゲーターとの戦闘で力を使い過ぎようだ。

 一体あとどれだけ動けるのか。

 右足が重たい。

 機械の手足は電気を無くせばただの鉄くず、体を縛る重りにすぎない。

 だがまだ少しは動けるか。 

 いずれにしても、完全に停止するのは時間の問題だろう。

 そして、同時に意識の方も段々と薄れていくのがわかった。

 原因は何だろうか。

 出血多量か、ただの空腹か、それか酸素が少ないせいか。

 考えようにも頭が回らない。


『バッテリーの電力が低下しています。充電をして下さい』


 寒い。

 重い。


『バッテリーの電力が低下しています。充電をして下さい』


 ここはどこだろう。

 いまちゃんと生きている?


『バッテリーの電力が低下しています。充電をして下さい』


 生きている。まだこの音が聞こえている。


『バッテリーの電力が低下しています。充電をして下さい』


 そうだ、まだ生き


『バッテリーの電力が低……カ、シテ


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