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古代遺跡 ーⅡ


「ぬふぁあああああ!」

 己を奮い立たせる掛け声と共に、殺虫剤メガキラーは勢いよく放射される。

 迫りくるゴキゲーターは合計三体。

 それらは薬剤の白い煙に巻かれると、突進中に転倒し次々と動かなくなっていった。

「放射やめ! そこまでだ!」

 背中のボンベに張り付いたクワガタムシが大声を上げると、男はその声に怯むように放射レバーから指を離した。

 その男ことヒカリン、否、玉野光。光は肩を大きく上下させながら、新鮮な空気を遮る防護マスクを下にずらした。

 頭は汗でびっしょりと濡れ、顔には疲労が見て取れた。不自然な皺と黒い眼瞼、まるで薬物中毒者のようだ。


「やった……、やったんだ……。俺が、この手でゴキブリを……」

「よくやった、とは言わねえぞ。誰だって簡単にできる。これはそういう道具だからな」

「は、はい」

「だがまあ、最低限の評価はくれてやろう。よく逃げずにやりきった」

「え?」

「あ? 文句あんのか」

「え、褒めたんすか、今?」

「褒めてねえ。思い上がんなゴミクソ」

「ボ、ボスに褒められた! うっし! うっしゃああ!」

「ちゃんと聞け、褒めてねえ。それとボスたぁ誰のこと言ってやがる」

「うわっしゃ! ボス最高っす」

「……」

 エレベーター昇降空間の壁登りを無事にクリアした光とクガマル。現在はクガマルのナビゲーションのもと、どこともわからない地下迷宮を順調に彷徨っていた。

 遭遇したゴキゲーターの総数は未だ五体ほど。これもまた良いペースと言える。

 深度も徐々に浅くなり、地熱も勢いを弱めて環境的にも易しくなった。

 ただ依然周囲は闇に覆われ、偶然電気が通っているような地帯にはまだまだ程遠い。頭に装着したレジャー用のライトは未だ手放せない状況だ。


「ゴキブリを倒せるんすね、これがあれば」

「そういう道具だってんだろ。それがなきゃ仕事になんねえ」

「成程」

「今更関心するほどか?」

「いや、俺でもこの仕事できんのかなって、思って」

「あ?」

「え?」

「ぁあ?」

 背中の方から感じるピリピリした空気。光は時間をおいて怒りを察した。

「おいオマエ、もういっぺん言ってみろ」

「あ、……す、すんません」

「そりゃ侮辱してんだよな? 間違いなく。オメエみたいなゴミクソに地衛局の仕事が務まるだぁ? 馬鹿にすんのもいい加減にしとけ」

「すっ、すんません!」

「オメエみたいな迷惑な何とかチューバーは、一生下品な動画でも撮って満足してやがれ。ゴミ同士でみっともなく騒いでなぁ」

「い、いやあぁ、すんません。はは」

「ったく……」


「いやぁ、でもボス」

「あ?」

「こんな俺でも、一応ポリシーってか、そんな感じのがあって動画撮ってたんすよ?」

「知るかよ。興味がねえ」

「あ、そっすよね。すんません」

「……」

 それからしばらく、二人は沈黙のまま暗闇の地下道を進んだ。

 路面は比較的平坦だ。

 時には工場地帯のような場所も抜け、内部の錆びれたパイプ手すりの階段を登って高度を稼いだ。

 機械工場、食品工場、製糸工場とそのジャンルは様々。

 しかしそれは全てに共通して、苔と錆に浸食されており、静かなる闇に産業史跡としてそこに眠っている。人を脅すというより、むしろ歓迎も拒絶もせず、ただただ崩壊の時を待ち、そこに眠っていた。


「話せ」

 背中に停まるクガマルは、特に前触れなく言った。

「え?」

「聞いてやるってんだよ、てめえの与太話をな。暇すぎんだよ」

「え? マジっすかボス」

「早く話せ」

「うっす」

 それは身の上話から始まるヒカリンこと玉野光の物語。

 彼がこの世に起こったのは偶然かもしれないが、今ある彼は必然により成り立っている。

 彼がチューバーとして活動するまでの経緯。

 それは一見遊びのような、暇つぶしの小遣い稼ぎのような、そんな風にも見て取れたかもしれない。しかし、小さくともそこには確かな動機と、未来を見据えた思いが存在した。

 クガマルは黙って彼の言葉に耳を傾ける。

 時々光は、そのドローンが寝ているのではないかと背中を気にして話を中断したりもした

 歩む足はそのまま。

 口が乾いても飲み水は節約した。

 ゆっくりだが確実に距離は上に伸びて行った。


「……そんな感じで。はい」

「んあ?」

「はい」

「で、あんだって?」

「え? お終いですけど。あの、ボス聞いてました? 俺の話?」

「いや、寝てたかもしれん。で立ちション失敗してドブに落ちてからどうしたって?」

「全然聞いてないじゃないっすか! ってかドブてなんすか? 俺そんな話してないっすよね?」

「あ? そうだったか?」

「まったくボスは……」

「いいだろう」

「へ?」

「オメエの事は大体わかった」

「マジすか?」

「まあそれでもゴミクソには変わらねえが、オマエが本気でオレ達の仕事をしてえなら、一筆書いてやらんでもない」

「え? え? ほんとっすか?」

「ま、所詮ドローンの一筆だがな、なんの効力もねえよ。ぎゃはははははっ。そんでもってオメエはまず公安に記憶を消されるしなぁ、ぎゃははははははっ。全て無意味、ぎゃはははははっ」

「いや、それでも」

「んあ?」

「俺本気っす」

「口は達者だな。まあせいぜい何とかしてみな。話はそれからだ。ぎゃはははは、……あん?」

 と、丁度その時だった。

 クガマルは邪悪な笑いをぴたりと止め、そして急に黙り込む。

「ボス?」

「静かに」

 そう言われて光も息を潜める。

 するとどうだろう。

 細かい振動が、階段の鉄のステップをびりびりと動かした。

 それに注意を向けると、地面の振動を足裏からも感じ取ることが出来た。

「ゴキブリっすか?」

「いや、わからねえ」

 その場で構えること数秒。

 振動は僅かに大きさを増している。

「防護マスクをつけろ。栓は開放した」

「うす」

「右を見ろ、そこに配電盤室があるな。よしと言うまで隠れろ」

「うっす」

 光は小声で応答すると、指示された場所まで音を立てずに移動した。


 *  *  *

 

 再び意識が回復するのにそう時間は掛からなかったと感じる。

 目の前には黒い石棺。先ほどと何ら変わらない。

 そして、あの黒い影達は消え去り、振り返るもそれはどこにもいなかった。

 あれは一体何だったのだろうか。夢か、それにしては現実味が強い。この首の痛み、確かに接触はあったと思われる。

 僕には、実は彼らの正体がわかった。無論根拠も無ければ確証と言えるものすら何も無い。ただもしも目の前に人がいたならば、それが人であると如何にして確証を得ようか。彼らは生き物の残りカスだ。強い思いに縛られて、未だ人としてここに居続けていたのだ。

 そして、この一瞬の間に僕たちはお互いを交差した。それでわかったことなど何一つない。ただ、彼らはずっと待っていた。

 

 石棺を覗いた。

 蓋を開けた途端に伝わった空気は、ひんやりと冷たく、周囲の大気状態とは明らかに異なるものに感じた。

 遺跡内部の周辺には赤い結晶が所々に散りばめられたように埋まっている。この遺跡が薄らと明るいのもそのためであるが、果たしてそれがどういった物質なのかは想像もつかない。 しかし、この石棺の中を覗いたとき、これには大きな有用性があるのだと即座に頭が理解した。 

 石棺の中には物体。

 長さ約百十数センチ、幅約四十センチ。よく手に馴染む柄を備え、鋭い牙がずらりと両側に揃う。してその牙は一様に赤。透き通った刀身は、淡くほんのりと輝いている。

 手に掴むとそれなりに重たく、しかし振り回せない程では無い。

 特に変化は現れなかった。


 *  *  *


 石棺の中に発見した遺物はひとまず置いておいた。何にしても一度研究所にでも持ち込まなければ詳しく分析することはできない。

 

「さて、では遺跡調査といきますか」

 そう言って立ち上がる潤史朗。

 これは、都市伝説にすら上がらない古代文明の跡である。多くの学者たちは、この存在を検討する以前に否定した。

 そんな代物が目の前にある。感動や感激というを通り越し、もはや気持ちの置き場に困惑した。それもあまりにも偶然に、且つ当然のようにあるものだから、逆に大きな感情の揺らめきもなく、不自然なほど自然な精神状態だった。

 そして、まず最初に取りかかったものは、周囲に赤く光っている謎の結晶の調査だ。

「とりあえず適当に名前を。うん、赤結晶でいいや。赤いし」

 石室全体を、ぼんやりと赤く染める。

 石棺の遺物にも一部くっついているようにも思われたが、そんな物より地面や壁に生えている物の方がよっぽど大きい。

 潤史朗は腰につけていた手斧を取り出し、それで砕いて割れた先端を手に取った。

 フラッシュライトを透過させる。変化なし。こちらも研究所でよく調べる必要性がありそうだ。 

 遭難中とは言えども、できるだけの事はしておきたい。このような感動的な場所にあって、ただ体を休めるだけなど何たる愚行か。

 次は、本命の壁画だ。

 子供が書いた棒人間と言ってしまえばそれまでか、しかし芸術性を問うならば、もしかしたら素晴らしい出来なのかもしれない。

 ただ、これに価値を見出すにあっては絵の善し悪しなど素晴らしくどうでも良い。そして、これが何を表されているかというのが大きな問題だ。一体いつ描かれたものなのか。残念ながら今それを測る手立ては存在しない。取り敢えずは画像と映像に記録した。

 地下深く、その何千メートル地中にみる人類の痕跡。これは奇跡だ。遙かなる時と果てしない空間を跳躍した邂逅。

 震えた。

 

 さて、壁画において注目すべきところは、そこに描かれた人類と思しき象形の更に上部。黒い体に六本足、羽を重ねて折りたたみ、頭には長い触覚だ。そう、ゴキブリが描かれている。またこの壁画における縮尺を信用するならば、人と並んだそれはまさしくゴキゲーター。メガ級地底害虫の古代存在を明示している。ゴキゲーターはやはり古代生物だ。もはやここに確信を持っていい。

 更に付け加えて、描かれる怪虫はゴキゲーターに留まらない。蚊に、ハエ、蜂、蜘蛛、蛾、それらを目で追っていくと、気付けば視線は天井に、よく見ればこの遺跡中壁画だらけではないか。

 そして天井には格別に巨大な怪虫が描かれる。無論この縮尺が正しかったらの話だが……。

 より巨大なゴキブリと、そしてムカデと……。


「僕は。いや、僕たちはこれを、そうだ。知っているんだ……。なるほど、現代に蘇った超級というわけか……」


 潤史朗はしばらくの間、赤に照らされる天井に見入っていた。

 時間を忘れて、心行くまでそこに立った。時代の超越に身を置いて、地球の記憶と静かに繋がっていた

 

 しかし。

 そんな悠久とも思える時間でも、決して永遠には続かなかった。

 唐突にして突然、地面が大きく揺れ動いた。

 石室は壁が擦れる岩の音、上部からは小石が少しずつ降り注ぐ。

 潤史朗はバランスを崩して片膝を地面につけた。

 大きな揺れは暫くの間続き、そして何十秒後かに収まった。

 地震か。

 即座に側頭部アクションカメラのライトを強めた。壁に亀裂は、なし。他はどうだ。ざっと見渡した様子では崩落の危険性は低そうだ。

 

 この振動に、一つ思い出す事があった。

 確かあの時にも地面の揺れがあった。確かあれは、ヒカリンを護送車から助け出し、そしてゴキゲーターの群れに追われる直前だ。ヒカリン自身もあの時にすでに振動の次にくるゴキゲーターという二つの関連性を把握して怯えていたのだ。その関連性、一体何なのだろうか。

 さて、この振動の原因はわからない。しかし、これまでの経緯からして次に起こりうる事態の予測にあっては容易であった。


 そして聞こえてくる音に気が付いたのはこの時だ。 

 仕事柄よく聞く音だがどうしても好きにはなれない嫌な音。

 方向にあっては自分がやってきた穴の方だ。

 耳をすませる。かさかさ? いいや、もっと激しく重たい音だ。

 あれが来る。


 素直にまずいと思う。

 武器がない。

 強いて言うなら手斧があるが、そんなものではどうしようもならない。

 ぼさっとしている暇はない。今できることは、ただ逃げることのみだ。

 だが、一体どこに逃げるというのだ。

 ここに入ってきた穴からゴキゲーターが来る、と言うより来るならばそこしか道は無い。

 他に穴がなければ、もはや完全に袋の中のネズミだ。

 徐々に大きくなる足音と、それに比例し早まる心臓。遺跡の正確な広さは未だ把握しきれてはいない。それも踏まえ、どこか別の出口も考えられた。

 石室は一つ、その手前には白骨が並んだ間がとられ、そしてそこに向かうのは一本の細い通路。最初のホールは比較的広くとられているが。それだけだ。

 出口らしきものは見当たらない。あの何者かに掘削された穴さえなければ、この遺跡には入口もまた出口もない。完全に地中に隔離されていた秘密の空間だ。そうだ、逃げ場ない。

 

 落ち着け。

 一旦自分に言い聞かす。

 大丈夫だ。

 まだまだ自分の知る絶望などとは程遠い。

 今まだ命があり、残った三肢は十分に動く。


 丁度その時視界に入るものがあった。黒の石棺、その中には遺物だ。柄がついた板状の全身には赤結晶の牙が並ぶ。これを武器だと妄想するのは今はやめた。これを手に持たない理由など言うまでもない。

 さて、ようやく全ての事に諦めがついたあたりで、それはまるで見計らったように現れた。 黒い体に六本足、つやのある羽を生やしたそれは人間以上の巨体である。

 ゴキゲーターが一体、遺跡に侵入した。

 こちらを凝視し、触覚を揺らす。

 拳銃は弾がない、左腕は肩からない、そして何より、必殺の化学兵器、殺虫薬剤メガキラーを所持していなかった。

 右手には斧、武器と呼べる物はただそれだけだった。

 ゴキゲーターは、その頭から伸びる細い二本の触覚を、目の前でふりふりと振り回し、襲い掛かるタイミングを計った。

 顎を鳴らして、首を傾げる。

 その挙手一投足、奇妙と言うより気持ち悪い。

 まるで標準サイズのゴキブリをルーペで観察してみたような仕草であった。

 人智を超えた、どうしようもなく強大な敵。

 もう既にどれだけの人間がこれに食い殺されて来たのだろう。

 体の割りには大きくない口で、人は削られるように時間を掛けて殺される。最初に噛み付かれた部位が末端であれば、その時は死ぬまで死ぬほどの痛みを味わいながら死ぬことになるだろう。

 一旦捕まれば、どう足掻こうとも脱出するのは不可能に近い。彼らのもっている力ときたら、熊や虎など猛獣の類いの比ではないのだ。まるで重機のパワーをそのまま体に宿したような、破壊的なまでの体力。

 そして、その堅い殻を纏った体表面は、部分的には銃弾さえ弾いた。

 この絶対的な力の前に、人は成す術を持たない。

 地底世界で生きる事。それは、いかにこの怪物と付き合っていくか、という事に他ならないだろう。

 そして、そんな神にも等しい地下世界の支配者に、今正面から抗おうと身構える。

 心臓が高鳴った。

 まだいけると、体がそう言っている。

 こんな最悪の局面であっても、場数を踏めば、その恐怖心さえも制御せし得た。

 血の拍動は恐れではない、それは戦いに駆り立てられた、ある種の興奮。

 いつもぎりぎりで、むしろぎりぎりを求め、そしてぎりぎりだからやってこられた。

 もはやぎりぎりが好きだ。

 そして今日もこの最高のぎりぎりを生き抜く。

 生きて、帰るべきところに、帰りを待つ者のところに必ず戻る。

 戦闘開始。



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