エレベーター ーⅡ
と、このようにしてお腹の虫が鳴きやんだところで、脱出作戦は開始される。
バイクからは最低限の道具を積み下ろして、カバンやその他の入れ物に詰め込んだ。
持ちきれない荷物はヒカリンの手も借り、色々と詰めたリュックを彼に背負わす。
さて、まず第一の関門は、ゴキゲーターによって開けられた天井の穴から脱出し、エレベーターの昇降空間を壁沿いに登って、そして最初の階までつ辿り着く事だ。
いま現在のエレベータコンテナの位置は、最下層階よりも下にあり、コンテナの扉を強引に開いても目の前には地層があるのみだ。
一体どこまで無計画に掘削工事をしたのかという事だが、経済的もしくは政治的な理由などで、もっと深くに階層をつくるつもりが、それも頓挫してしまったのだろう。これもまた地下開発全盛期の産業史跡と言える。
という事で、二人はエレベータコンテナ内に多数転がるゴキゲーターの死骸を上に高く積み重ね、それをよじ登ることで天井の穴部分まで到達、このようにしてコンテナ内からの脱出は容易に済んだ。
して、問題はここからである。
上を見上げると、真っ暗。
ライトを照らしたところで、光は全て闇に消える。
どれだけ明るいライトを使おうと、何かしらの反射物がなければ、光は目に戻ってくることはなく、それは暗闇のままだった。
空間は一体何処まで上に伸びているのか、さっぱりわからない。もちろん、ここを落ちて来たのだから数千メートル上まで続いているのだが、何も見えない以上、見えてる側壁の直上がもう天井であると言われても疑いようがない状態だ。
勿論、目の前の側壁ならば、ライトの光で表面の粗やひび割れまでも、くっきり見る事ができた。
壁は煤だらけで、少しでも触れようものなら指の先が真っ黒になってしまうほどに汚れがひどい。しかし幸いにも劣化によって崩壊してしまったような箇所は見当たらない。また、所々に足を掛けれそうな構造的凹凸や太い支柱などがあり、登るのは案外余裕とみた。
「えええっ、これを登るんすか?」
上を見上げるヒカリンは、小さく悲鳴を上げた
「そだよ。東京タワーくらいは登るかも」
「いえぇええ!?」
「あ、そのリアクション、チューバーっぽいね。いいよいいよ」
潤史朗はそう言いながら、壁に手と足を引っかけて登り始めた。
またクガマルのほうも、ぶんと飛んで壁を登る潤史朗の背中に張り付く。
「先いってるよ~」
「うわわっ、待って待って。心の準備が!」
こうしてヒカリンも、潤史朗に続いて壁登りを始めた。
一旦登り始めて見れば、意外とペースは快調で、順調に距離をのばす。
既に、小さなマンションくらいの高さは進んだ
手を滑らせれば簡単に死ねるが、恐怖心は意外と湧いてこない。
と言うのも、上も見えなければ下も見えないからである。想像さえしなければ、視界にあるのは目の前の壁のみ。側頭部のアクションカメラでそれさえ照らしていれば、雑念なく登る事が出来た。ヒカリンの方も、貸し出されたヘッドライトで目の前を照らし、黙々と進んでいた。
「意外といけるね、ヒカさん」
壁登りも大分慣れて来た頃、潤史朗は少し下を進むヒカリンの様子を見て言った。
「流石はチューバーって感じ? たまに暇つぶしで動画見ることあるけど、結構体張った事してるもんね、君たちってさ」
「いや、んな事ないっすよ。馬鹿みたいなことばっかやってて」
「そう?」
「はい。こうやって今なんとか登ってられるのも、そうするしか道がないからで、正直足の震えが止まんないっす」
確かに、そう話す彼の声は震えていたが、それでも先ほどよりは言葉に元気が戻ったように感じた。
さすがにまだ、例の動画の様に、はしゃぐほどの活きのよさは無いが、それでも今生きるために心を奮い立たせているのだろう。
「俺、すげぇ馬鹿でした」
ヒカリンは続けた。
「あのゴキブリの事を思えば、今までの活動なんてゴミみたいなもんすよ。調子乗ってきてみたら、ホントにやばい時にはもう、どうしようもないんだって……。今までふざけてたのが、もう何てのか……」
「まぁいいんじゃないの? そういう需要もあったんでしょ。それで視聴するファンの要望が高まれば、そりゃあ色々挑戦したくなるもんじゃない? いいと思うよ、君の活動。僕は応援したいね」
「マジすか……」
すると、しばらくの間を置いて、再びヒカリンは喋り出した。
「あの俺、本名はひかりって言います。玉野光っす」
「へぇ。そう」
「それで、あのぉ……」
「志賀潤史朗だよ、僕は。地下衛生管理局で働いてる。趣味は食玩集めとカップラーメン。そしてシスコン」
「なんか、変わってるっすね、志賀さんって」
「潤史朗でいいよ」
「じゃあ、潤史朗さん、いやジュンさん。その今更なんすけど、ありがとうございます、二度も助けられました」
「いや、まぁついでにやった事だしね、別にいいよ」
「おいテメエ、感謝する相手はコイツじゃねえだろ。どーなってやがる」
潤史朗の背中に停まるクガマルが言った。
「オレの同意がなきゃお前は死んでる。即ち、直接的な命の恩人はオレだ。そこんとこわかってんだろうなゴミ」
「ひいぃ。す、すんません。か、感謝してますぅ」
「いいだろう。これからはオレのことを崇拝するように」
「は、はいぃっ」
「で。コレの名前はクガマル。まぁ仲良くしてやってよ、ドローンだけど」
「ぎゃはははっ、まぁ脱出するまでの付き合いだ。公安送りになったら、お前は脳味噌をいじくられて、記憶が吹っ飛ぶからな。ぎゃはははははっ」
「う、うぅ……。やっぱりそうなるんすか……」
そうして壁を登り続ける事、かれこれ一時間。
潤史朗は、下を進むヒカリンこと玉野光を気にしながら登るも、彼のペースは最初に比べ随分落ちて来た。
一旦止まって彼が追い付くのをしばらく待つ。
丁度いい場所に、太めの鉄柱が壁を水平方向にはしっていた。
鉄柱の幅は七十センチ程度。
潤史朗はそこに尻を置いて、片足のみを柱に乗せ、もう一方の足はぶらりと下に垂れさせた。
ここで小休止という事で光が登って来るのを見下ろす。
そして辿りつく光。
彼は慎重に柱に体重を乗せ、潤史朗と同じ体勢で腰を下ろした。
拭った汗は、どこまでも下に続く暗闇の中へと消えて行く。
「結構登ったなぁ」
「今どのくらいすか?」
「さあねぇ~」
光は目の前で手を開いたり閉じたりと動かして、残った握力を確かめる。
実のところ、肘から先、内側の筋はパンパンに張っていた。
「まだ結構あるっすか?」
「ぶっちゃけ全然わからん。というのもね、クガマルを節電状態にしてるから、色々計測してないのさ」
「そういうこった」
「なるほど」
「腕、やばそう?」
「はい。ちょっと」
光は自分の腕を摩ってみせた。
「運動とか普段あんまりやらないんで。ジュンさんは鍛えてんすか?」
「いや全く」
潤史朗はそう答えながら、ウエストポーチを腹の前に回して、その中身をごそごそと漁った。
「あった、ほら、アミノ系ドリンク」
潤史朗が取り出したものは、パック入りのゼリー状スポーツドリンクだ。よくコンビニなどで売られている手軽な栄養補給食品である。
「きっと筋肉痛に効く。気がする」
「マジすか」
「それっ。どうぞっと」
潤史朗は数メートル離れた光の方にひょいとパックを投げて渡した。
がしかし、投げた方向は若干空中の方へと逸れ、それを取ろうとした光は、両手をそちらに伸ばして、重心が鉄柱から離れる。
「おっと、と、とととっととっ!」
みるみる内に壁とは反対側へと体が傾いていく。鉄柱を掴もうにも、手にはキャッチしたドリンク。
彼の体は抵抗なく、転落方向へと倒れる。
「ぬぅうううわああああ!」
「あ」
「ばっか! なにやってんだ!」
クガマルが飛び出した。
一瞬のうちに飛翔し、光の襟首を掴んで壁の方へと引き寄せる。
「はぁ、はぁ、やばい、死ぬとこだった」
「気を付けろゴミクソ」
「す、すいやせん。クガマルさん」
「様だ」
「はいっ、すんません! クガマル様」
「よし」
肩で大きく息する光は、自身の胸をさすって速まる拍動を落ち着かせた。
そして潤史朗の背中に戻るクガマル。クガマルは静かに羽を畳んで収納した。
「君、バッテリーはいいの?」
潤史朗は、クガマルにのみに聞こえる小声で言った。
「お前のせいで無駄遣いしたぜ」
「はは悪い。で、どうするの? 充電」
「あ? そしたらお前があれだろ」
「まぁ……」
「気を付けろ。お前は能天気だから釘を刺しとくが、実際やばい状況にいるのは。あいつより俺たちの方だ」
「わかってるってば」
早速パックを開栓し、中身のゼリーを吸い上げる。
その光の様子を眺めながら、潤史朗はクガマルに言った。
「なんで助けたの? 意外なんだけど。はっきり言って僕が飛び出しても間に合った。情でも湧いた?」
「あ?」
「いやさぁ」
「お前が助けるってんだろうが。それにオレが加担するのは問題か?」
「全然」
「なら良いだろ」
「もちろん」
「ただ。もしお前が駄目になった場合、お前を地上に引っ張り上げるのはあいつになる。最悪の事態に備えてのバックアップだ。むしろ情に関しちゃあ、あいつの方に湧かせるべきだ。いざと言う時役に立つ可能性が少しでも上がるようにな。まぁそれでも心もとないのは否定できんが」
「ほほう。賢いクワガタだな」
「関心してんじゃねえよ。能天気なお前に代わって、そういう算段をつけてやったんだ。もっと感謝しやがれ」
「そりゃあどーも」
こうして休憩を続ける一行。
パックのアミノドリンクを飲み干す光。潤史朗の方も、作業服のカーゴパンツに突っ込んだ缶コーヒーを取り出して開栓する。
冷たくも熱くもない、コーヒーとしては一番微妙な温度だが、それでも頭のリフレッシュには十分な効果が期待できた。
「あの、俺、記憶が消されるんですよね」
光はおもむろにそう言った。
「すぐではないけど、まぁそうだね」
「じゃあ、その前に一つ聞いておきたいんすけど、その、あのデカいゴキブリって一体何なんすか?日本の地下って一体どうなっちゃってるんですか?」
「それを暴きたくて、君は地下に来たんだったね。そして知ってしまった現実がそれだ。やっぱり腑におちない?」
「いや、だって。そうじゃないすか」
光は語調を強めて言った。
「自分の寝てる布団の下で、ゴキブリがウヨウヨしてるようなもんすよ? それを政府は隠して、みんな何も知らずにく暮らしてる! そんなのおかしいすよ! どう考えても」
「でも駆除できないんだよ。簡単には」
「それでも、隣り合ったやばい危険を知らないなんて……」
「じゃあ聞くが」
今度はクガマルが言った。
「お前はそれを知ったらどうする?」
「え?」
「離れたいだろ? そうさ、誰だってゴキブリからは離れてぇ。実際これを公表すれば、たくさんの地下民は地上を目指すだろうよ。だがそうしたら一体どうなる?」
「みんなが地上に。いや、それは……」
「学校の社会科で習うだろ。隔離都市には収容の限度がある。だから下に掘り進んだ。そうさ、今更地下民が上に住むところはねえのさ。だからもし地下五千以下の実態を公表なんてしようものなら、地上を巡って血が流れるだろうな。ぎゃはははは」
「……」
「まぁそれも悪くねえ。俺としてはな」
そう言われた光は、しゅんとその勢いは収まった。
「なんで、そんなやばいゴキブリがいるんすか」
再び光は口を開く。
「正確にはメガ級地底害虫って言って他にも虫の種類はあるよ。それで、なぜそんなのがいるのかって? そうだねぇ、それがわかったらノーベル昆虫学賞をあげるよ。個人的に」
「謎、なんすね」
「素敵なミステリーさ。現実に生きる未知、いや神秘。考えてみてよ、素晴らしいよね。そんな謎めいたものと直接的に触れ合えるなんて。これだから地下探索はやめられないのよ」
「神秘っすか」
「そうさ。いいかい、今から話すことはあまり口外しないで欲しいんだけどね」
「どうせ記憶が消えるんだろ」
クガマルが口を挟んだ。
「メガ級地底害虫、怪虫と呼ぶこともあるけど、なぜそのようなものが存在するのか、それには色々説がある」
「おい、あんま熱くなんなよお前」
「うるさいな。それでね、定説はこうだ。あれは人類による環境汚染によって変異した昆虫ではないのかと。怪虫の存在を知っている学者自体ほんの一握りだけど、それもあってか皆口をそろえてこういうのさ、あれは人間の出した有害物質が地中に堆積し、それが生物に巨大化するような変化をもたらした、とね」
「は、はあ」
「だが、僕は違うよ。確かにそうかもしれないけれど、それじゃつまらない。あれにはもっとロマンがあると思う。いや、あれはロマンそのものなのさ」
「何言ってやがんだコイツは」
「僕が思うにだね……、あれは恐らく、古代生物だよ」
「古代生物?」
「そうさ。そうに違いない。絶対そうだ。そう思う理由? 聞きたいかい? そうだね、あれは四年前の話さ。僕はとある部隊にいたみたいでね、その時に見たはずなんだよ、古代文明の痕跡を」
「え? 文明? 何の?」
「そしてその時、発見した。地下何千メートルの出会いだったよ。そう、それはね……」
「それは!?」
「それは……」
「それは!?」
「それはっ!」
と、潤史朗が語ろうとしたその時だ。
背中にいた筈のクガマルが、いつの間にやら正面に回り、潤史朗の顔面にピッタリと張り付いて、その口を塞いだ。
「むごっ、むごごっ」
「やめとけジュンシロー。それは更にもう一個上の機密事項だ。政府にすら隠してんだぞ」
そう言われ、少し落ち着く潤史朗。
クガマルはそれを確認すると元の場所へと戻って行った。
「という訳で駄目なんだな。はははははっ」
「えええ!? ちょっと!? そこまで引っ張っておいてそんなぁ! いいじゃないすか、どーせ俺、記憶消されるんだし」
「いやまぁ悪いね。こっちの問題と言うか。ははは」
「マジ気になるっすよ~」
「ははは」
クガマルは、そう笑って誤魔化す潤史朗の背中をよじ登り、彼の首元でこっそり言った。
「おしゃべり好きも大概にしろ。お前は地下の話をするとすぐ暴走する。まぁ連中が信じるとは思わねえが、それでも公安隊にバレたら糞面倒くさい事には違いねえ」
「はいよ。善処しますよっと」




