6.舞姫とお嬢様
煌めく舞台に花吹雪が舞う。
楽しげに歌い踊る道化師、大きな玉の上で体の柔らかさを見せつける軽業師、たくさん並べた大小の輪を潜りながら跳び跳ねていく犬たち。
始まったサーカスの公演に、すぐさまミリエラは心奪われた。
中でもミリエラの気持ちを惹き付けたのは、多くの少女のダンスだった。
異国の衣装なのか、ターバンを巻き口を隠す薄布をはためかせながら十人くらいの少女が舞台狭しと舞い踊る。照明を反射して光る衣装は露出が多いが、下品とは思わなかった。
中でも、ゆったりとしたズボンを揺らしながら中央で一際派手に舞う少女に、ミリエラは目を奪われた。
耳飾りや首飾りが煌めきながら彼女の神秘さを引き立てる。まるで異国の舞姫のよう。ミリエラはずっと胸の前で両手を握りしめながら一心に彼女を観ていた。
その後大掛かりな軽業師のブランコや綱渡りを披露し、サーカスの公演は終わった。大きな拍手が響くなか、出演者が舞台に揃って礼をする。ミリエラは少女団の真ん中で晴れやかにお辞儀する舞姫に惜しみない拍手を送った。
今回のサーカス見物は、サーカス団からファウルダース公爵家への招待で実現したものだった。その挨拶の為にレオンはテント裏にある団長の控え室に足を運ぶ。
ミリエラはメリサを伴って、皆からそっと離れた。
キョロキョロと見回っていると、先程芸を披露していた大きな犬たちの檻を見つける。おそるおそる側によって餌を食べる犬たちを見ていると、背中をトンっと押された。
「きゃっ!」
「あははっ。びっくりした?」
振り返ったミリエラの前には立っていたのは、あの美しい踊りを踊っていた幼い舞姫だった。無邪気に笑う踊り子はミリエラと同じくらいの身長で、年も同じくらいに見えた。彼女の髪や瞳は艶やかな黒でこの地方では珍しい。しかし踊っていた少女たちは同じ黒髪ばかりだったので、黒が珍しくない地方の出身なのだろう。
「あなたは」
ミリエラは喜色満面で踊り子の手をきゅっと握った。
「あなたの踊りが一番素敵でしたわ!」
「え?」
「私はミリエラ。あなたのお名前は何て言うの?」
あまりにもニコニコと顔を寄せてくるので、踊り子は引き気味に名乗る。
「ノエルだよ」
「ノエル!かわいい名前ね」
一拍置いて可笑しそうに笑ったノエルは、ミリエラの手を引いて近くの布張りの椅子に案内した。そこに置いてあった紙袋から小さなカステラを取り出し、ミリエラの手に乗せる。
「あげる。美味しいよ」
「これ、表の屋台で売っていたカステラね?食べてみたかったのよ、ありがとうノエル!」
甘いものに目がないミリエラは、早口でそれだけいうと早速カステラを口にした。すぐにふわりと甘い香りが鼻を抜け、ふかふかした生地が素朴な味わいを感じさせる。
たっぷり時間をかけて堪能し、ミリエラはノエルに向き直った。
「とっても美味しい!」
「そっか、よかった」
「私ノエルにあんな素敵なダンスを見せていただいて、こんな美味しいカステラも貰って、何回お礼を言っても足りないわ」
興奮気味に話している最中のミリエラにノエルが次のカステラを渡す。目を輝かせながら、ミリエラは二つ目も口に放り込んだ。
「んん!おいしいー」
カステラを存分に味わったミリエラを、ノエルは面白そうに見ていた。まだ舞台にいたときのように顔の下半分に薄布をかけているが、近くで見るとほとんど透けていて顔を隠すほどではない。ノエルはいたずらっ子のような笑みを浮かべていたが、パッチリした瞳が美しい整った顔の少女だった。
「ミリエラって変なお姫様だね」
ミリエラはぱちくりと瞬きして首をかしげる。
「お付きの人がいるくらい身分が高いのに、全然偉ぶってないんだもん」
「ああ、それはね。私の叔父さまの教えなのよ」
頬を淡く染めたミリエラは、ノエルに自分の叔父のことを語った。照れたように嬉しそうに語るミリエラに、ノエルは眩しそうな顔をする。
「ミリエラは叔父さんのこと、大好きなんだね」
「えっ、あの、その」
顔を赤くして焦り始めるミリエラを放っておいて、ノエルが後ろを見やる。苦笑を浮かべた侍女のメリサが、軽く頷いた。メリサからミリエラに視線を戻すと、彼女は困ったような顔をして、人差し指を口に当てる。
「内緒にしてね……」
「うん」
それから何度かミリエラはメリサと護衛を伴って、サーカスに赴いた。中に入れることもあれば当日券のない日もあったが、必ずノエルには会えた。
ノエルはミリエラが来ると屋台のカステラと甘い果実水をご馳走してくれた。メリサはふと、昔のミリエラが顔を出して「安物のカステラには飽きた」などと言い出すのではと危惧したが、それは杞憂に終わった。
「あのね、ミリエラ。うちのサーカス、そろそろ次の町に行くことになったんだ」
ミリエラは黙って大きく目を見開く。
「王都では来週王宮の広場でする公演が最後なんだ」
「次は何処へ行くの?」
「ファウルダース公爵領だって聞いたな」
ファウルダース公爵領とはミリエラの父が治める領地であるが、当主家は古くから王宮での要職に就くため都暮らしを常としている。当の領地は王都の北部に位置し、サーカス興行が出来るほどの町といえばここからはかなり遠くのデスニアとなる。
それに気付いたミリエラは、一気に沈んでしまった。
「ね、だからさ。来週の公演には絶対に来てよ」
「うん」
「ミリエラの為に踊るから、絶対に見に来てね」
まだ悲しい顔をしているミリエラと違い、ノエルは力強い笑顔を見せた。別れが寂しいのはきっとノエルも一緒のはず。けれど彼女が笑うのはきっと私を元気づけようとしてくれてるんだ。
「うん、絶対に行くからね。ノエル」
その日帰宅してすぐ、ミリエラは父親に来週の王宮での催しに行かせてくれと頼みに行った。最近めっきり我が儘を言わなくなった娘が珍しく強く願うので、父親は二つ返事で許可を出した。
「叔父さま!来週王宮での催しに連れていって」
今度はその足でレオンの部屋に入る。ノックの返事を待たずに乗り込んできたミリエラに、レオンと彼の近侍は目を見合わせる。後ろでは止められなかったメリサとマイユが深々と謝罪していた。
七歳の頃と比べて我が儘さや横暴さはなくなったミリエラだったが、たまに周りが見えなくなるのは昔のままだ。
その勢いのまま、彼女はレオンに今日の出来事を語りだした。
「友達が遠くに行っちゃうのか」
いつものように二人でソファーに横並びで掛けて、経緯を話す。それを聞いたレオンが漏らした言葉に、ミリエラがびっくりした。
「ノエルが、ともだち?」
「違うの?」
しょっちゅう会いに行ってるし、別れがつらいのは友達だからだろ?とレオンが首をかしげながら問う。しばらくレオンの蒼い瞳を見つめていたミリエラは、ポカンと開けた口をゆっくり動かした。
「私、お友達が出来たのはじめてですわ」
ミリエラはまだぼうっとした顔をしている。その表情が可愛らしくも可笑しかったのでレオンは笑ってしまった。
「あっ……。でも、お友達かどうかまだ分かりませんわ!私が友達だと思っててもノエルはそうじゃないかもしれませんもの」
「じゃあ、王宮の公演の時に聞いてみたらいい」
「そうしますわ」
こくりと頷いたミリエラの緋色の目は、強い決意に満ちていた。先程までの悲しみを含んだ色とは違い、友達という響きに高揚しているようにも見える。
落ち込んだミリエラを一瞬で浮上させるレオンの手腕に、侍女二人は密かに舌を巻いた。