5.叔父さまのアドバイス
感情の起伏が激しいせいか立ち直りも早いミリエラは、早速夕食後の時間にレオンの部屋を訪ねた。本日二度目の訪問である。
ベルで呼び出されたレオンの侍女マイユは、ミリエラの顔を見るなりずさっと後退りする。しかし使用人としての立場ゆえに逃げ出すわけにもいかず、立ち尽くした。そんな彼女にトコトコと寄っていったミリエラは、意思の強い瞳を見開いてマイユを睨み付けた。
「マイユ!ごめんなさい!」
「へ……?」
「私、あなたにひどいことをしましたわ。許していただけるかしら?」
メリサが味方になってくれると宣言したあと、ミリエラが思ったのはどうやってレオンに許してもらうかだった。それをメリサと相談した結果、まずは侍女のマイユに謝ることから始めようと決まったのだ。
呆気にとられた時間は短く、マイユは慌てて深く一礼した。
「許すだなんて、滅相もないことでございます!こちらこそ大変失礼なことをしまして、申し訳ありませんでした!」
これで解決したかしら?と、ミリエラがおずおず見上げたレオンの顔は、ミリエラが思っていたよりも優しいものだった。
ミリエラの頬がパッと上気する。
「よく謝れたねミリエラ」
「はい!」
おもむろに出された大きな手が、ミリエラのストロベリーブロンドの小さな頭を優しく撫でた。ゆっくり二度三度撫でているうちに、ミリエラの顔はどんどん赤くなる。
彼女の真っ赤になった頬に気付かないレオンは、機嫌良く続けた。
「悪いことをしたら、今みたいにちゃんと謝るんだよ、ミリエラ」
「はい、叔父さま!」
良かった。
使用人に謝るなんて初めての事で抵抗があったが、上手くいって良かった。勧めてくれたメリサに感謝だ。
ミリエラは勧められたソファーにウキウキと腰かけると、目の前のレオンに語りだした。
「私は誰からも愛される素敵なレディを目指しますの。そうすればきっと牢屋に入らなくてすみますわよね?」
「そうだね。僕の知ってるミリエラは、散々周りに意地悪をして嫌われた挙げ句に牢屋に入れられてたから」
ミリエラは顔を強張らせるが、怒鳴りそうになる口をつぐんで我慢した。それが伝わったのか、レオンは優しく微笑んでみせる。
「ミリエラ。誰からも愛される素敵なレディになるためにはね、まずは色んな人とお話しして仲良くなってごらん」
メリサも「たくさんお話しましょう」と言ってくれた。ミリエラがパッと振り返って後ろに立つメリサを見たら、彼女は小さく頷いていた。
「最初に、挨拶をしなさい。そうして次は相手の名前を教えてもらう。ミリエラは話し相手が自分の名前も知らないなんて嫌だろう?」
「私はファウルダース家の人間なのですから、名前を知らない無礼な人はいないわ」
「ミリエラ。身分が高かろうと低かろうと、同じことだよ」
レオンはサラサラの赤毛を掻きつつ苦笑する。彼のことをミリエラはまだよく知らないが、どうにも貴族らしさが欠けている。しかし変わろうとしているミリエラにとっては、その方が頼もしいように思えた。
「誰が相手でも見下さずに話をするんだ。そうしたら相手もミリエラのことをきっと好きになってくれる。そうして相手がなにかしてくれたら、ちゃんとお礼を言うんだよ」
ミリエラは紅葉のような小さな手を開き、指を一つ一つ折りながら呟き始めた。
「あいさつする。お名前をきく。みくださない。お礼を言う」
「で、悪いことをしたらさっきみたいに謝る」
「悪いことしたら、あやまる」
小指を折って五つ数え終わったミリエラに、レオンが蒼い瞳を細めて笑いかける。
「頑張って素敵なレディになろうね、ミリエラ」
あの我が儘で手のつけられないお嬢様が突然別人のように変わり、二年が経った。
別人のようにとはいえ、彼女が自分の意志で変わろうとしているのは誰の目にも明らかだった。そのため使用人たちは彼女に付き合い交流を深めたし、それを陰に日向に助けたのはレオンだった。
「マイユ!今日は叔父さまと町に行く日よ!」
「そうでございますね、お嬢様」
マイユは苦笑しながら、ミリエラの艶やかな髪に櫛を入れていた。
二年前にミリエラの変化に公爵家が揺れた影で、レオンの引きこもり生活もひっそり終わりを告げていた。はじめはそれに警戒をしていたファウルダース公爵であるが、レオンがしつこく「公爵の地位に興味はゼロ」のアピールしていたのに納得したのか、何も言わなくなった。
そんなレオンが公爵に一つだけ頼んだのが「自分もいい年だから年頃の女性に身の回りの世話をされるのが恥ずかしい。世話をする人間を変えてくれ」というものだ。レオンは屋敷に連れてこられた当初から男性を怖がる少年で、彼の身の回りの世話は女性が勤めてきたのだが、そういうことならと公爵はレオンの為に近侍を用意した。
そうして余ってしまった侍女のマイユは、ミリエラ付きの侍女となることになった。はじめは菓子の一件でびくついていたマイユだったが、メリサの取りなしもあり二年もたつ今では良好な仲を築いていた。
「どうしましょう。この前お出かけしたときは青のドレスだったでしょう?今日は叔父さまの髪のような赤のドレスがいいかしら?」
「お嬢様、この前仕立てた赤のドレスはパーティー用です。お出掛けでは使えませんよ」
「ではお出掛けに使える一番綺麗なドレスを出して!」
衣装部屋のメリサに向かって、ミリエラが大声をあげる。
九歳になり我が儘は驚くほど言わなくなったミリエラだが、このときばかりは二人の侍女を朝から振り回していた。しかしその原因が分かっている侍女たちは微笑ましいと思うだけで、主人の我が儘に従うのだった。
「お嬢様、今日はどちらに?」
髪をとかしながら、マイユが尋ねた。侍女たちが今日の予定を知らないわけがないのだが、こうやって聞いてあげるとミリエラはとても嬉しそうに説明してくれるのだ。そんな彼女が可愛らしく、ファウルダース家に勤める人達はミリエラによく声をかけるようになった。
「ふふ。今日はね、叔父さまがサーカスに連れていってくださるの!町にサーカス小屋が出来ていて、旅芸人が来ているのよ」
ここファウルダース公爵家は王都の東に位置し、治安のいい場所にある。なのでサーカス小屋が建てられる場所も危険は少なく、ファウルダース公爵の許可も出たようだ。
「私と同じくらいの年の女の子達が素敵なダンスするんだって!とっても楽しみだわ」
「あっ、お嬢様!」
立ち上がったミリエラがクルクル回り出す。ブラシを持ったマイユが慌てるが、衣装部屋から出てきたメリサが小さな体をそっと受け止めた。
「お嬢様、そろそろお着替えしましょう」
「メリサ!」
「可愛くなってレオン様をびっくりさせましょうね」
途端に顔を赤くほてらせたミリエラを、侍女二人はにこやかに眺めながらも素早く着替えさせた。
ミリエラとレオン、それぞれの侍女と近侍、護衛たち。合計七名が馬車二台に分かれて乗り、一行は町外れに出来たサーカス小屋に来た。
小屋と言っても、巨大な円形のテントを張ったサーカス小屋はとても大きくて広い。小屋の周りでは小さな屋台がカステラや肉の串焼きを売っている。
また至るところで呼び込みの為の大道芸を披露する芸人がいて、その回りでは人々が楽しそうに見物していた。
「見て、叔父さま!あんなにたくさんのお手玉!」
「面白いね。前の時代でもサーカスは生で観たことなかったんだ」
レオンは以前の人生の記憶を「前の時代」と表現することがあった。しかしこれはミリエラの前でだけだし、レオンはなるべくこの事を隠そうとした。養子であり現当主の弟がこんなことを言い出したら公爵家の醜聞になる可能性がある。それは幼いミリエラにも分かったし、だからこそレオンはミリエラにだけこの事を打ち明けたのだろう。
ミリエラはこの二年レオンが貴族として振る舞えるように協力し、レオンの秘密を自分だけが知っていることに密かに喜びを感じていた。
「叔父さま、占いですって!観ていってもよろしい?」
天鵞絨の布がかかったテーブルに座っているのは、全身を黒い布で覆った占い師だった。口を覆う布で顔を隠した、男か女かも分からない出で立ちだ。そのテーブルの前には長い行列ができている。占い師はテーブルに置いた大きな水晶の玉に手をかざしながら、列の先頭にいる人間を占っているようだった。
「もうすぐ公演が始まる時間だよ。占いはまた今度にしよう」
そう言うと、レオンはミリエラの小さな手を取り、サーカス小屋の方に促した。その手の温もりと「今日のドレスもかわいいね」という彼の声にのぼせてしまって、ミリエラの頭から占い師のことはすっかり消えてしまった。