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4.叔父さまに叱られる

 翌朝、屋敷の人間たちがそれぞれ本格的に動き出す時間。

 当主であるミリエラの父は執事を伴い書斎仕事に向かい、母は過密スケジュールになっているお茶会の衣装を選ぶため、衣装を作る仕立屋と生地商人と会っていた。大きな屋敷に相応しい大勢の使用人は、それぞれの仕事に取り掛かり始める。

 ミリエラは、早速叔父の部屋を訪ねることにした。

 レオンの部屋は広い屋敷の東の端にあるので、彼が変な叫び声をあげたときもそれが当主夫妻の耳に入ることはなかった。

 自分の部屋からも結構遠いその部屋に、ミリエラは侍女のメリサをお供に向かう。廊下から射し込む朝日は眩しく、今日も一日いい天気だろうと思わせた。


「叔父さま、ミリエラですわ」

「どうぞ」


 レオンの侍女が、扉を開ける。促されて入ると、本棚を眺めているレオンが見えた。スラッとした長身でやたら絵になる姿である。











 ミリエラはまず、「ファウルダース公爵家と今までのレオン」の説明をすることにした。


 ファウルダース公爵家は、レンダルハス王国で王族に次ぐ力を持つ五つの公爵家のうちの一つである。

 前当主であるミリエラの祖父は、伝統あるファウルダース公爵家に跡取りが一人しか存在しない事を思い悩んだ末に養子を迎えることにした。そこで遠縁の男爵家から迎えられたのがレオンだ。

 跡継ぎの「スペア」としての立ち位置だったので、様々な分野の家庭教師を着けてかなりのスパルタ教育を受けていたらしい。しかし正当な跡取りであるミリエラの父が結婚してすぐに息子を授かると、レオンの「スペア」としての意義は薄れた。その数年後に娘のミリエラが産まれ、レオンの居場所はこの屋敷の隅へ隅へと追いやられていく。

 そんな中、レオンを養子にした祖父が亡くなる。新当主は義理の弟レオンに東の端の部屋をあてがってそのまま構わなくなった。レオンの方も以前からファウルダース家に馴染んでいなかったせいか、そのまま引きこもりのような生活を始める。


「ここまでは前にお父様やお母様に聞いた話でしてよ。それからは、よく分かりませんわ。私が知ってる叔父さまはずっとこの部屋に引きこもって私たちと顔も合わせない生活を三年近くしていたみたい」

「成る程ね」


 幼いミリエラの話はまとまりなかったが、レオンは納得した顔で頷いた。


 話し始めた時にレオンの侍女が紅茶を淹れてくれた。それから長い話をしていたが、いまだにお茶請けが出てこないことにミリエラは苛立っていた。

 ーー私が来るというのに甘いお菓子も用意出来てないなんて、この叔父さまの侍女使えないわ。これは執事に言ってクビにしてもらわないと。

 ミリエラがそう考えていると、レオンがミリエラに近づいてきておもむろに彼女の顔を覗きこんだ。


「ミリエラ。今何を考えてた?意地悪そうな顔をしてたよ」


 ミリエラはきょとんとレオンの顔を見返す。


「たいしたことじゃないわ。叔父さまの侍女がお茶請けのお菓子も用意出来ない駄目な侍女だから、クビにしてもらおうかと思っていたの」


 ピキッ。

 朝の陽射しが射し込む暖かな部屋の空気が、一瞬凍った。レオンの侍女は顔を真っ青にして固まり、ミリエラの侍女メリサは自分の事でもないのに全身にぶわっと汗を滲ませる。

 レオンはミリエラの平然とした顔を見つめた。


「ミリエラ。君がそうやって下の立場の人をクビにするのは、自分勝手なことだって分かってる?」

「うちで雇われてる侍女が私をいらっとさせたんだもの、クビにして何が悪いの?」

「彼女はわざと君を怒らせようとしたわけじゃない。それにお菓子を用意してほしければ自分で言っておけば良かったじゃないか」

「なぜ私がわざわざ言わないといけませんの?」


 だんだんミリエラの語気が荒くなり、身体も前のめりになっていった。逆にレオンはソファーの背凭れにゆったりと背中を沈める。


「叔父さまは私に説教できるほど偉いの?」

「偉いかどうかは今関係ない。僕はミリエラが間違っているからこうやって叱ってるんだ」

「この私が間違ってるですって?!」


 ミリエラの緋色の瞳が怒りに燃え始める。彼女の癇癪に慣れていないレオンの侍女は、今にも卒倒しそうだ。


「君はヒロインの『パンコ』のようになりたいんだろう!」


 ピクッとミリエラが身動ぎした。


「パンコは分け隔てなく優しくてみんなに愛される女の子だ。そんな子は少し失敗しただけの侍女に怒ったりクビにしたりしない。そんなことをするのは意地悪なコムギみたいな女の子だよ」

「……っ」

「このままじゃ、やっぱり君はコムギのような女の子にしかなれない」


 そしてその先に待つのは、冷たい牢屋暮らし。

 ブルブルと震えながら俯いたミリエラ。向かい合うレオンは、壁際で今にも倒れそうになっている侍女たちを手招きで呼んだ。


「ミリエラ、二人の顔を見てごらん」


 顔色を白くしたミリエラは、二人の侍女を見上げた。彼女らは揃って青ざめて震えており、視線は自分の爪先を一心に見つめている。


「青くなって震えているだろう。今の君と同じように怖いんだ。ミリエラが牢屋に入れられてしまうのを怖がっているように、二人もクビになってしまうのを怖がってるんだ」

「おんなじ……」

「人が嫌なことや怖がることを、進んでやるような女の子になっちゃダメだよ。ミリエラ」


 ミリエラは静かに立ち上がり、レオンの侍女の正面に立った。侍女は震えながらも慌てて頭を下げる。


「もっ、申し訳ございませんお嬢様!」

「ねえ、あなた。名前は何て言うの?」

「マイユと申します……」


 レオンの侍女マイユは、この世の終わりだといった顔で返事をした。ミリエラはそんなマイユの手をそっと触り、顔を見上げる。


「マイユは幾つなの?」

「わ、わたしは、十七でございます」

「メリサは?」

「十五ですっ」


 ミリエラの侍女メリサは急に話しかけられた為に裏返った声で返事をした。二人の侍女の顔を見たミリエラは、急に心細そうな顔つきで俯く。


「マイユは、恋愛小説よんだことある?」

「あ、あります」

「メリサは?」

「私もあります。大好きです」


 ミリエラはしばらく考えるように瞳を伏せて、それから呟いた。


「部屋に、戻ります……」


 レオンの返事もまたず、ミリエラはとぼとぼと扉に向かい、自分でそれを開けて出ていった。レオンと侍女たちはそれを呆然と見ていたが、メリサが慌ててレオンに頭を下げ、ミリエラを追いかけて出ていった。











 自室に戻ったミリエラは静かにソファーに腰掛けて、小さな肩をさらに小さくすぼめた。小走りで追い付いたメリサは、荒い息を抑えながらミリエラのためのティーセットの用意を始めた。


「ねえ、メリサ」

「は、はい!」


 ビクッと肩を上げたメリサを見つつ、ミリエラがため息をつく。そうして独り言のように呟いた。


「私の侍女は、いつもすぐにやめてしまうの」

「お嬢様……」

「メリサは私についてどれくらいかしら。今までで一番長いこと私の侍女をしてくれてるわ」


 しょんぼりと呟く小さな主人を見ながら、メリサは初めてこの少女がかわいそうだと思った。

 ミリエラの傍若無人っぷりを叱っている人間を、今まで見たことがなかった。彼女の父も母も可愛がりはするが、正しく愛情を注いでいるとは言い難いと思えた。ミリエラが全く悪くないとは言わない。が、彼女が小さな暴君になってしまったのは彼女だけのせいとも言えないんじゃないか。

 彼女の周りには、きちんと彼女を見てくれる大人がいなかった。


「メリサは、私の侍女辞めたいって思ってる?」


 メリサは固唾を飲んだ。

 もしこの問いに肯定したら、キレたミリエラにクビだと言われるかもしれない。いくら今しおらしくしていようが、怒りのエネルギーが再燃したら怒鳴り散らされるかもしれない。それくらい彼女は気まぐれで恐ろしい。

 しかし、レオンに叱られた今、ミリエラに手をさしのべる年長者が必要なのではないか。ここがこの小さなお嬢様の分岐点ではないか。


「私は、お嬢様の侍女を辞めたいと何度も思いました」


 ミリエラは白い頬を一瞬で赤く染める。


「ですが!お嬢様は変わろうとなさってるのではありませんか?」

「メリサ?」


 小さく肩を丸める主人の足元に跪き、メリサは不安に震えている両の手にそっと自分の手を重ねた。


「変わりたいと思っておられるなら、私はできる限りお嬢様をお助けいたします。私がお嬢様の味方になります」

「メリサ……、私、わたくし、変わりたいわ」

「でしたら、私とたくさんお話しましょう。そして優しく素敵なレディを目指しましょう」


 緋色の瞳に涙を浮かべたミリエラは、小さくコクリと頷く。頼りなさげなミリエラは可憐で、こんなときなのにメリサはしばし見とれた。


「メリサ。私は今日から誰からも愛される女の子を目指すわ」

「はい、お嬢様」

「だから私が我が儘を言ったり意地悪をしたりしたら、注意してちょうだい?」


 メリサの顔が、微笑んだまま凍りついた。


「お願いね、メリサ」


 潤んだ瞳で囁く令嬢は天使のように美しいのに、メリサには天使か悪魔か判別つかない生き物に見えた。


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