46.叔父さまと私と、そして②
秋の朝の空はどこまでも高く、吸い込まれそうな青。
ミリエラはぽかりと口を開けてそれを眺めている。制服の上に羽織ったカーディガンの合わせを留めるのは銀色の猫のブローチ。既にクラスメイトにもミリエラのお気に入りであることは知られている。
「ミリエラ様、行きましょう」
ミリエラの正面に立って手を差し出すのはアネッサだ。
二学期に入り、アネッサは美しくなっていった。元から可愛らしい容姿ではあったが、それに加えて最近はそこはかとない自信が彼女を輝かせている。声にもハリが出てきて、友人でない人にも何とか聞き取れるほどの話ができるようになった。
「ええ」
アネッサの手を取ってミリエラは歩き出す。
彼女がすごい速さで変わっていくのがミリエラの兄のせいだということは、王立学院では周知の事実だった。
兄は屋敷でレオンの援護をしていた時に言っていた。卒業したらすぐにでも婚約者と結婚をしたいと。
そして彼は夏休みの間に行動を起こしていた。
アネッサの実家ウォード侯爵家にすぐさま出向いたエドモント。彼は侯爵に対してアネッサとの正式な婚約を申し込んだ。アネッサさえ良ければ自分が卒業する一年半後に妻に迎えたい、と付け加えて。
侯爵は元より反対などない話だったが、その申し出には当のアネッサも涙を浮かべるほど喜んだのだった。
「王立学院を二年で辞めることになるが構わないかい?」
「勿論です。私はあなたの妻になる事が唯一の夢なのですから」
果たして、行動力のある公爵家嫡男は夏休みの間にプロポーズを済ませて結婚の時期も決めてしまったのだった。
「それにしても、学院中に婚約を触れ回るなんて。お兄様どうかしているわ」
「もとから婚約者だということは知られていましたから」
そう言いつつ、アネッサは幸せそうに微笑む。
花がほころぶようなその笑顔を見ていたら、ミリエラもまあいいかと思い直した。
「学院を二年で終えるのは構わないの?」
「ええ。学院に通うのは楽しいですが、私はエドモント様の妻になれるのが何よりの幸せですもの。待ち遠しいくらいです」
「じゃあ結婚したらなんて呼ぼうかしら。お姉様?」
「やだ、ミリエラ様ったら」
笑い声を上げながら学院の門をくぐる。
今日は文化祭の初日。晴れた空に祭りの旗がはためいていた。
ミリエラ達は学内の展示室を回りながら時間を潰していた。このあとアンが出場する、“白き薔薇の姫君”を決める選考会を見に行くためだ。
一年と二年の教室を見終わった頃、前から歩いてきた三人の青年が目に入った。エドモントとアレクシス、そしてセルジュだ。
「ごきげんよう、殿下。ごきげんよう、セルジュ、お兄様」
「ごきげんよう」
声をかけてきたエドモント達に歩み寄って、ミリエラとアネッサが挨拶をする。
鷹揚に受けた男三人は、少女達を囲み歩みを促した。
「アン様が出る選考会はもうすぐなのですよね」
簡素ながらも清潔な紳士服をまとい、セルジュが小声で問うた。普段着慣れない服に緊張しているようだ。
「ああ!そろそろ行かないとね!」
「そうだな」
アレクシスはふっと隣のミリエラを見下ろす。視線に気づいたミリエラは王子を見上げてしばし見つめ合った。
これまでのアレクシスは目が合うと照れくさそうに視線を反らすのが常だった。それが今の彼は真っ直ぐにミリエラを見ている。シャイだと思っていた王子だが、彼も何か変わったのかもしれない。
「おい、早く行くぞ」
しばらくアレクシスの瞳に囚われていたミリエラは、声をかけられて慌てて足を進めた。
白き薔薇の姫君を決める選考会は多くの生徒が足を運び、なかなかに盛り上がった。
一年生から三年生の麗しい少女達が思い思いのドレスをまとい舞台に上がる。その中でもアンが登場した時の拍手は殊更に大きかった。
学院ではいつもミリエラといる為に、憧憬の視線は二人にそそがれて分散される。しかし舞台に一人凛と立つアンの美しさは、他の少女と比べると図抜けていた。ミリエラが赤く咲き誇るバラならアンは白く優しい鈴蘭のような可愛らしさを持っている。
「キレイね、アン」
ほぅ、と息をついて見上げたミリエラ。
美しさでいうとアンの右に出るものはいないと思われた。
姫君に選ばれるには容貌だけでなく学力も人望も振る舞いも問われる。しかしアンは「十周以上してるんだから選考会のコツは完璧に分かってるわ」と言っていたので、そちらの方も期待できそうだ。
淡い緑のドレスを着たアンを見たままセルジュに声をかけたが、返事がない。不思議に思ったミリエラが横を見ると、セルジュは紅くした顔と潤んだ瞳をキラキラさせてアンを眺めていた。
童顔のセルジュはケーキを見た子どものような表情を浮かべている。彼は少し開いたその口をキュッとつぐむと、独り言のように漏らした。
「俺はアン様に相応しい騎士になれるだろうか……」
「あなたはもう立派な騎士よ。大丈夫ですわ」
セルジュは驚いた顔で振り向いた。
「ミリエラ様」
「あなたは、あの人の自害を止めてくれたでしょう。あの時のあなたは立派でしたわ」
ミリエラには、セルジュに恩がある。彼がいなければ占い師の彼はあの時自害していたはずだった。
「あれは前もってアン様に頼まれていたのです。犯人は自害する恐れがあるから対応できるように注意していてくれって。俺はアン様の慧眼に従ったのみです」
「そうだったの。でも実際に止めてくれたのはあなたでしたし、あなたの言葉は私にも響きましたのよ」
「そうですか」
照れくさそうに笑った後、セルジュは首元の詰め襟に指を入れた。普段着慣れない服が窮屈でたまらないのだろう。
アンはかつて「セルジュはまだ姫と騎士って関係に憧れてるお子様なところがある」と言っていたが、今のセルジュはそれとは少し違う気がする。それは例えば、レオンを見る自分の姿に近い。自分よりも大きな相手に釣り合う人間になりたい、という焦れた思い。
そんなセルジュにミリエラはムズムズとした胸のうずきを感じた。他人の恋というものはこんなに甘いものなのか。
アンは普段からこの小さな騎士様が好きなのだと隠しもしない。その心の勇ましさが報われてほしいとミリエラはいつも願っているのだが。
(私が祈らずとも、アンは自分で幸せを勝ち取るでしょうね。私はアンが頼ってくれた時に手を差し伸べればそれでいい)
セルジュの熱くなる視線を確認して、ミリエラも舞台に目を戻した。




