43.お兄様の援護射撃
し……ん。と、静まる室内。
「話は聞かせてもらった!」
「うるさい。分かったから部屋に入るなら入れ」
二回目のセリフに若干苛立った公爵がエドモントを叱った。
口をムッと尖らせつつ渋々部屋に入るエドモント。勢い良く扉を開くのを手伝った近侍が慌てて扉を閉めている。
先刻、水を取りに隣室に行ったメイドがそこにいた料理人に事の次第を話していた。その料理人は聞くやいなやエドモントの部屋に走った。実はこの料理人、幼い頃からこの屋敷に勤めていてエドモントとは旧知の仲である。
話を聞いたエドモントは取るものもとりあえず、慌てて居間へと向かった。そうして居間の入口に張り付いて聞き耳を立てる使用人を捕まえる。彼等からも話を聞いた上で、満を持しての登場だった。
しかし誰もその事を知らなかったせいで、何だかエドモントがはじめから部屋の前で聞き耳を立てていたように映ってしまっている。
エドモント自身はそんな事に頓着せず、四人の近くに歩み寄った。座りなさいと勧める母親を無視して立ったまま父親を見据える。
父と息子は久方ぶりに互いを正面から見つめた。
「父上!私はアネッサと結婚いたします!」
「うむ」
「アネッサの意向も考えますが、出来れば私が卒業したらすぐに!」
「ほう。で?」
「父上の跡を継げるよう、誠心誠意努力いたします!我が領地の事も学び直しますし、内政にも父上同様たずさわれるよう勉強いたします!」
突如始まったエドモントの決意表明。直立不動を義務付けられている侍女達がワクワクを抑えられない表情でチラチラと彼を見ている。
エドモントは揚々と続けた。
「それと、たくさんの子宝を授かれるよう努力します!」
ブフッ!とむせたのは公爵夫人だった。
ゲホッ、エホッ、と咳込む夫人に侍女が駆け寄り、背中を擦る。続けてそっと差し出した水を夫人が受け取って喉に通した。
「何を言い出すのです、エド……」
「とにかく、私が居ればこの家は安泰だと、そう申しているのです!叔父上に家督を継いでもらう事もないし」
チラリと妹に目をやるエドモント。
「妹の結婚を家の為の手札にする必要もありません!」
壁に並ぶ侍女や使用人達が、一斉にブルリと震えた。
特にまだ年若い侍女などは、キラキラした瞳でエドモントを見ている。もし公爵がこの場にいなければ力一杯拍手喝采していただろう顔だ。
そんな部屋の空気を知ってか知らずか、公爵は厳しい顔をしたまま紅茶に口をつけた。
「子宝は授かりものだから、無駄にアネッサ殿に重圧を与えるような言動は慎みなさい」
「そうですね!心得ました父上!」
「だがまあ、お前の言いたい事は分かった」
ミリエラによく似ているが彼女の数倍鋭い目を持つ公爵は、睨むと非常に迫力がある。その睨みをレオンに向けるが、レオンはたじろぎもせず受け止めた。
「レオン、お前の言いたい事も分かった。ひとまずミリエラを連れて下がりなさい」
「え?」
「その様子だとつもる話もあるだろう」
レオンとミリエラはお互いの顔を見た。心なしかレオンの頬に赤みがさす。その様子を見ながらエドモントもウンウンと頷いた。
すいっとミリエラの前に手が差し出される。音もなく立ち上がったレオンが出す手だ。少し躊躇したものの、ミリエラはその手を取って立ち上がる。
「では、お父様。失礼いたします」
か細い挨拶を残してミリエラはレオンと二人で部屋から出て行った。
二人が出ていったあとの居間は、“嵐の後の静けさ”といった風情だ。
公爵夫人はソファに深く身を沈め大きなため息をつく。公爵も気を張っていたのか、眉間のシワを指で揉みながら暫し目を閉じていた。
二人とは全く違う趣きのエドモントは平時と同じ調子でソファに腰掛けた。彼は新たに置かれた紅茶のカップを手にすると、優雅に香りを楽しんでから一口含む。普段は息子を可愛がる夫人が今日ばかりは恨めしそうにそれを見ていた。
「レオンにインファンティーノ宮中伯を引き合わせたのはお前だな?エドモント」
公爵の言葉に、エドモントが面白そうに笑みを浮かべる。
「よく分かりましたね!さすが父上だ!」
「レオンにそんな人脈があるとは思えん。アレクシス殿下に呼ばれて王宮に出入りする事が多いお前かと思ったまでだ」
「留年した年に、同級になる殿下と仲良くしろと父上に言われましたからね!どうせならと、王宮でも色んな方と交流しております!」
悪びれもせずに言ってのけるエドモントに公爵は苦笑した。武芸が達者で人好きのする性格は、自分よりも前当主の父に似たのだろうか。そういえば何も知らないように見えて何でもお見通しだったところも似ている。
「でも私はインファンティーノ伯爵を紹介しただけですよ?口説き落としたのは叔父上の力量です!」
「そうか」
公爵はしばらく澄んだ琥珀色をたたえるカップの中を見つめ、次いで息子の瞳を見た。自分よりもかなり逞しく成長した息子は、彼の言葉通り自力で家督を守り繋ぐことだろう。とはいえ、やはり不安がないわけではない。
「父上、私は可愛いミリエラに幸せになってほしいのです!」
「何を当たり前の事を」
「これは失礼しました!」
快活な笑い声を上げるエドモントに公爵夫人が口を挟む。
「わたくしだってあの子には幸せな結婚をと思ってましてよ」
「母上も、ミリエラが昔から叔父上を慕ってたのはご存知でしょうに!」
「そりゃ、子どもの頃のミリエラはレオンさんの後ろをついて回るひよこのようでしたけど……。まさかそこまで慕ってるとは思わなかったのよ」
「ミリエラは一途なようですね!」
飲み終えたティーカップをソーサーに置いたエドモントが、ふいに黙った。外の蝉の声はいつの間にか止んでいて、風が出てきたのか中庭の葉擦れの音がする。その音に耳を澄ますように動きを止めていたエドモントだったが、やがて柔らかく微笑んだ。
「ミリエラも叔父上も、私にとっては恩人のようなものです」
穏やかな口調のエドモントに、両親は揃って目を瞬く。
「叔父上がミリエラに人との付き合い方を伝授して、それをミリエラが私とアネッサに教えてくれました。あの二人がいなければ、私はアネッサが素敵な女性だと気づく事もなかった」
婚約もどうにかして破棄していたかも知れません。エドモントは肩をすくめて冗談めかしたが、口調は真摯だ。
「ですからあの二人が結婚したいというのなら、私は全力で応援するのみです!」
「そうか」
応えた公爵の眉間からは、それまで入っていた縦じわが消えていた。




