41.叔父さまは挙動不審
期末試験が終わればすぐに夏の休暇が来る。
試験の最終科目が終わった日のミリエラは、口笛を吹きたいほど高揚していた。アネッサが作ってくれた予想問題が全教科バッチリはまったためだ。お陰で全教科とも赤点は楽々回避できる予感がする。
特にレオンが受け持つ数学は我ながら頑張った。きっと数学は平均点も上回っているはずだ。
しかし、ミリエラは最近そのレオンとなかなか会えない事にもやもやする日々を送っている。
あの事件からしばらく経ち彼女達は日常に戻った。その頃からミリエラは、助けに来てくれたレオンを思い出しては胸をときめかせていた。
食堂で食事している時、ランプの灯りを消してベッドに入る時、数学の授業を受けている時。急に胸がドキドキと高鳴るのをミリエラは必死にこらえていた。あまりにもドキドキするのでそのうちレオンの顔をまともに見られなくなってしまうのでは……?という不安までわいてくる。
しかしその不安が杞憂だとでもいうように、あれからレオンと会うことはほとんどなかった。授業以外で彼の顔を見る事がほとんどないし、授業が終わるとさっさと教室を出ていってしまう。
そんなもやもやが続いていたテスト期間は終わりを告げ、テスト明けの授業では各教科の答案返却が行われていた。
どの科目も、授業はテストの返却と難問の解説に終始する。学生達は落ち込んだり喜んだりしつつも、皆一様に夏休みに浮足立っていた。ミリエラもそのうちの一人である。
「よく頑張ったね、ミリエラ」
だから数学の時間に突然向けられたレオンの笑顔に、ミリエラは思いっきり撃ち抜かれてしまった。
生徒達の席を回りながらテストを返すレオンは、ミリエラの前では腰をかがめてコソッとねぎらってくれた。今まで避けてたの?という程顔を合わせなかったくせに、今日の彼の表情は優しくてどこか甘い。
座ったまま受け取る形で良かった。これが教壇まで呼ばれて受け取るのだと、その場で腰が砕けていたかもしれない。
(あんな顔、反則よ……)
受け取ったテストの点数も見ずに、ミリエラは机に突っ伏してしまった。レオンがテストを全員に返却し終え、教壇に戻って黒板を使った解説に入る。しかしその時になってもミリエラは身を起こせなかった。
今顔を上げたら真っ赤になっているのがバレてしまう。
(どうか授業が終わるまでに顔色が戻りますように)
両手を握りしめて祈るミリエラを教壇のレオンがチラリと見る。だがミリエラはその視線にも気づかずにうつむいているだけだった。
一学期が終わり、寮生活の学生も三々五々帰省する時期。
ミリエラとアネッサは王都に屋敷があるので帰省と言っても大した距離はない。一方遠く南に実家があるアンは寂しさを隠せないようだった。
ミリエラ達兄妹は、休みの取れたレオンと一緒に馬車で帰省することになった。
レオンの手に支えられてミリエラはタラップに足をかけ、四頭建ての馬車に乗り込んだ。その後レオンも乗り込み、最後にエドモントが中に入る。確認した御者がタラップを仕舞い馬車の扉を閉めた。
鞭を入れられた馬車がガラガラと音を立てて石畳を進む。しばらくするとそれは均された馬車道に変わり、窓の外ものどかな風景に変わった。
「三人一緒に帰ると父上もお喜びになるだろうな!」
「そうだね。エドもミリエラも居ない屋敷は寂しかったろうし、みんな喜ぶだろうねえ」
エドモントの言葉にレオンがのんびり同意を返す。
馬車の中ではレオンとミリエラが並んで座り、その向かいにエドモントが腰掛けている。男二人の慣れた会話を聞きながらミリエラは黙っていた。
ミリエラは久しぶりに着る赤い外出用のサマードレスを気にしていた。制服じゃない服でレオンと会うのが久しぶりなせいだ。シルクのつややかな布が腰から裾にかけてフワリと広がり、女性らしさが表現されたドレス。レオンに感想を聞いてみたかったが、気恥ずかしさから聞けないのだった。
緩やかな行程と常より涼しい日のためか、エドモントがうとうとと船を漕ぎ始めた。身体は大きくなったのに子どものような兄だ。カクカク揺れる頭を見て同時に笑いを漏らした二人は顔を見合わせた。
「静かだね。久しぶりに帰るから緊張してる?」
「そんなことありませんわ」
プイ、と他人行儀に目をそらすミリエラ。それを見たレオンは面白そうに吹き出した。が、すぐに笑いを引っ込めて咳払いをする。
何だろうとミリエラが横を向くと、レオンの蒼の瞳とかちあった。
「兄上はあの件で、かなり心労がかさんだみたいだよ」
「……はい」
確かにあの件は報せと同時間帯に早期解決してしまったので、父には事後報告のようになってしまった。説教だろうかとレオンを見上げたがそれ以上は何も言われない。ミリエラが緋色の瞳を瞬かせていると、不意に自分の手を包む温かな感触に気づいた。
レオンの左手がミリエラの右手に重ねられている。
「え、あの、叔父さま?」
「しーっ」
右手の人差し指を口に当ててレオンが細く息を吐いた。
彼はミリエラの手に重ねた左手を緩く握り、そこに視線を落とした。逞しくはないレオンだが、長い指と広い手のひらはミリエラの手をすっぽり覆っている。
「勇気が欲しくて……。少しだけこうしてていいかな?」
テストを返された時と同じ甘さのある声で言われて、ミリエラが断れるはずがなかった。レオンは握った手を緩めたり親指で撫でたりしながらも沈黙している。
勇気が欲しいとはどういう事なの?叔父さまは私の手を握ると勇気がわくのかしら?そもそも恋人でもない男女が手を握るのは普通なの?あ、でも私達は一応叔父と姪だから……。
触れ合う手の意味をぐるぐる考えていたら頭がパンクしそうになり、ミリエラも黙って俯いた。
俯く直前に視界の隅でエドモントのまつげがふるりと震えた気がしたが、怖いのと恥ずかしいのとで確認はできなかった。
「父上、母上!ただいま戻りました!」
エドモントの声と共に三人で屋敷に入る。いつも出迎える側の風景だったのを、ミリエラは初めて出迎えられる側として経験できた。
長期で家を空けていた身内が戻る時は、家族はもちろん主だった使用人たちもエントランスに揃って出迎えてくれる。並んでいる顔は懐かしいものばかりだが、その数と佇まいは壮観だった。
「よく戻った」
「お帰りなさい。エド、ミリエラ。会いたかったわ」
早足で寄ってきた母が、エドモントとミリエラを両腕に抱き寄せた。エドモントは屈みつつ母の頬にキスをする。ミリエラもそっと母と頬を合わせた。
ストロベリーブロンドの明るい頭が三つ寄り合ってるのを見て使用人たちは密かに笑みを漏らす。彼らにとっても兄妹の帰りは嬉しいものだ。特にこの春から初めて屋敷を離れる事になったミリエラの不在は、使用人達を寂しがらせていたのだった。
「疲れたろう、部屋で着替えてくるといい」
「ありがとうございます」
横ではファウルダース公爵が義弟のレオンを労う。彼は軽く微笑んで義兄と二言三言会話を交わすと自分の部屋へ戻っていった。
「お嬢様!おかえりお待ちしておりました」
部屋まではしずしずと付き従ってきたメリサが、部屋に入った途端抱きつかんばかりに寄ってきた。驚いたミリエラは後ろに控えるもう一人の侍女ジュディを見たが、若い彼女はニコニコ笑っているだけだ。
「お嬢様が一人で生活できていらっしゃるのか私は心配で心配で夜も寝られぬほどなのでございます」
「大袈裟だわ、メリサ。一人と言ってもお友達も寮監もいて不都合は全くないのよ。それに手紙だって書いてたでしょう?」
「それはそうですが」
涙を浮かべて迫るメリサをよそに、ジュディが室内用の軽いドレスを用意してくれている。ここを出てからまだ四ヶ月ほどしか経っていないが、ジュディは以前よりも要領よく仕事をこなしているのが見て取れる。同年代の侍女の成長にミリエラは嬉しくなって微笑んだ。
「メリサもジュディも元気そうで何よりだわ」
ミリエラの浮かべた満面の笑みを見て、メリサ達も感無量といった顔で頷いた。ただ二人がその手に持っているアクセサリーやブラシを見て、ミリエラは休暇中この侍女達に構い倒されるのではないかと震えるのだった。




