40.叔父さまとアン
学生達の白いブラウスが日の光を受けて輝いている。
夏の放課後の開放的な空気。明るい声が学院のそこここに響いていた。
教師のレオンと高等部一年生のアンは、旧校舎近くのあずまやに座っている。密かに会うときはここに来る二人。アンは言わないが、この場所はヒロインと攻略対象キャラが密会したり告白する時に使う場所だ。
もちろん今の二人にその雰囲気はない。
「ノエルは結局どうなった?」
午後のぬるい暑さの中で、背筋の伸びたレオンは汗もかいていないように見える。そういえばそんなキャラだったわとアンは密かに笑った。レオンの焦った顔や拗ねた顔を自分はよく見るが、本来彼は落ち着いた“大人の男”キャラだ。
「ノエルは下っ端だから大した悪事はしてなくてね。でも小さい頃から組織にいたから、アジトや構成員についてはしっかり証言してくれたわ。そのお陰で牢獄行きは免れるみたい」
「へえ」
「調べが全部終わったら執行猶予と身柄の保護とを兼ねて、北部の衛兵錬成所あずかりになるんだってさ」
北部の衛兵錬成所というのがどこにあるのかどんな場所なのか。レオンにはよく分からなかった。ただミリエラにひとかたならぬ想いを持つ彼が遠くの地に行く事にホッとした。
あからさまに安堵したレオンを見て、アンが続ける。
「ノエルのルートはバッドエンドが豊富でね」
レオンが少し目を見開いて横の少女を見た。彼女は白のハンカチでこめかみの汗を拭っていた。
「ノエルのルートに乗っても、彼の心を開けなければ誘拐されて売り飛ばされる。トラウマ刺激してキレさせたら殺される。いい感じになっても選択肢を間違えると心中。タイミング間違えると組織に捕まる。あのシナリオは本当難しかったわ」
クスクス笑いながら話すアンの瞳は、懐かしい何かを虚空に見ていた。
「恋愛に進まないノーマルエンドだと、ヒロインの説得に応じてノエルは捕まるの。『遠く離れても友達でいよう』そう誓って彼は北の領地に送られる」
「あ、それって」
「うん。今回は何とかこのルートに乗せようと思って頑張りました。ミリエラが大事な友達だって言ってたし」
少しおどけたアンを、レオンは素直に尊敬した。さすがアラサーと思ったがそれは心の中に仕舞っておく。
「ノエルとのハッピーエンドはね。組織を捨てる決心をしたノエルと国を捨てる決心をしたヒロインが駆け落ちするの。西の港から新天地を求めて二人で船出するわけよ」
「うーん……。二人にとってはハッピーエンドになるか」
「駆け落ちもドラマならロマンチックかもねぇ」
腕を組んで唸るレオンは納得いかない顔だったが、それ以上は言及しなかった。しばしの沈黙の後アンがポソリと呟く。
「ミリエラは言葉を濁してたけど、ノエルは多分あの子と駆け落ちするのを望んでたんじゃないかなあ」
レオンはその言葉に驚き、アンの横顔をまじまじと見た。
先程まで涼しい顔をしていたくせに急に汗を流しだす。
「ま、そうだとしても。ミリエラは先生の事が好きなわけだしついて行かないだろうけど」
「……」
レオンの伸びた背筋がじわじわと丸まっていく。アンが返事を待つが彼は黙り込んでしまった。
ハァ、とため息をついてアンは身体ごとレオンの方に向く。
「レオン先生、ミリエラを助けに行った時バリバリ独占欲出してたと思うんだけど。私の気のせいかな?」
「……」
下を向いて黙る長身の教師と追い込んでいる女生徒。猫背になってしまったレオンを見て、お節介すぎるかと思ったアンは身体を戻した。
(だけどアレは言っといた方がいいよね)
「攻略キャラのアレクシス王子、覚えてる?」
「あ、ああもちろん。今は教え子だし」
「そっか、そうだったね」
王子様はゲームでの印象に比べると幾分人当たりが良いキャラになっている。だが今のレオンにとって彼はただの生徒の一人だ。
「王子様はミリエラの事好きみたい」
「は?!」
「余裕ぶってて、王子様に取られちゃっても知らないよ」
ミリエラの様子からして王子様になびく事はなさそうだ。しかしいじらしいミリエラを見てるとどうしてもこの唐変木を焚き付けたくなってしまう。
アンはダシに使った王子様に内心で謝罪した。
彼女は立ち上がって敷いていたハンカチをパタパタ払う。
「ゲームだと文化祭で『白き薔薇の姫君』に選ばれてエンディングだけど、私達の世界はこれでゲームに振り回される事はもうない」
「そうだね」
「私はアンとしてこの先精一杯生きていくことにするわ。レオン先生、あなたもしっかりね」
レオンの目の前に白く細いアンの手が差し出された。彼は反射的にそれに手を合わせて握手する。
彼は何となく気づいた。
アンはこの先ゲームという枠を捨て、自分でこの人生を拓いて行くのだろう。そしてレオンにもエールを送ってくれている。
「どうしてだろ。何だか寂しいな」
「私もよ。これからも授業で顔を合わすのにね」
「年下なのに、なんだか姉ちゃんみたいだと思ってたよ」
「よしてよ。私まだ十五歳なんだからね」
アンからこぼれた笑顔は、年相応に朗らかで眩しかった。
「へっくしゅ!」
「殿下、風邪かい?くしゃみなんて珍しいな!」
期末試験の勉強という名目で第二音楽室に集う生徒が四人。
アレクシス王子がエドモントに、アネッサがミリエラに勉強を教えている。アンは「今日の放課後は野暮用がある」と言って来ていない。
軽く鼻を鳴らしたアレクシスは首をひねった。
「ふふ。誰かが噂してるのかもしれませんわね」
アレクシスを見上げたミリエラが面白そうに笑った。
梅雨の頃に風邪を引いたと聞いてからしばらく元気がなかった彼女。その顔に最近は笑顔が戻った。
内心心配していたアレクシスは彼女の笑い声に安堵する。
それでもからかわれた事にはムッと眉を寄せて、口を尖らせた。
「くだらん事を言ってないでしっかり学べ。期末試験の成績が悪いと夏の休暇が補習で潰れることになるぞ」
「それは困りますわ」
「困るな!」
勉強にあまり自信のない兄妹は顔を見合わせる。
慌てて机に向かいだした二人を眺めながら、アレクシスは頬杖をついた。