39.アンの奔走
騎士達がノエルを連れて上がり、広い地下室にはミリエラ達三人が残された。
ノエルが連れて行かれた後の階段を見上げたミリエラ。その瞳に哀しみの影がよぎる。彼女の手をしっかり繋いだレオンは平静を装っていたが、彼女がノエルを気にしているのを良く思っていないようだった。
「アン……。ノエルはどうなるのかしら」
「そうね。公爵令嬢を一晩とはいえ誘拐したんだから、かなり重い罪になっちゃうと思うわ」
「こんな事を言って怒られるかもしれないけど」
ミリエラは一度言葉を詰まらせて横のレオンを見上げた。
「ノエルは私を傷つけようとはしなかった。やり方は間違ってたと思うけど、助けようとしてくれてたの」
「ミリエラ」
レオンが繋いだ手を引いて咎めるようにミリエラを呼ぶ。しかしミリエラはおずおずと言い募った。
「罪は償わないといけない。でも」
泣きそうな顔をしたミリエラを今度はアンが抱きしめる。ミリエラよりも背の低い彼女だが、背中をさする手は姉のように温かかった。彼女は全て分かっているというようにトントンとミリエラの背を叩いた。
「大丈夫よミリエラ。これからノエルは衛兵に引き渡されて調べられると思うけどさ。私にやれる事は全部やるよ」
パッとミリエラから離れたアンは両手を腰に当てる。彼女は仁王立ちでポーズを取って大袈裟にふんぞり返った。
「私にはゲームの知識もあるからね。何とかノエルの罪が軽くなるように働きかけてみる。騎士さんとセルジュとレオン先生が目をつぶってくれるなら、少々経緯も変えよう」
レオンがジトッとした目でアンを睨む。
「僕はミリエラを危険に晒した奴を助けたくないんだけど」
「ミリエラがさらわれる展開に比べたらマシだったでしょ。ここは一つ貸しにするくらいの気持ちで。ね?」
「……分かったよ」
拗ねたように返事して、レオンはミリエラの手を握り直した。繋いだレオンの手を通して彼の感情がミリエラに流れてくる。繋がれるに任せていた手に、彼女はありがとうの気持ちをこめて握った。
「じゃあノエルと騎士さん達と打ち合わせしてくる」
「私も行くわ」
「ううん、ミリエラはここで先生と待ってて」
アンは階段の方に向いた身体を戻して首を振る。
「ノエル、今はミリエラと顔を合わせたくないと思う。私がちゃんと話してくるから大丈夫だよ」
お父さんに口裏合わせしなきゃだし忙しくなるわぁ。そう独り言のように呟きながら、アンは一人階段を上っていった。
彼女の誤算は、ノエルがミリエラと旧知の仲だった事だ。
そもそもミリエラが悪役令嬢でなくなった世界では「占い師ノエルの登場はない」と高をくくっていたのだ。だってノエルは悪役令嬢の嫉妬心を操って暗躍する男だったのだから。まさかあの取り巻き二人を使ってくるとは思わなかった。
今を生きている人達にゲームのあらすじを教えるなんて野暮な事だ。そう思って占い師の話は黙っていたのだった。だがこんな事になるのなら、せめてレオンにだけでも教えていたら良かった。彼女はその後悔に急き立てられるように、階段を上がりながらここからのシナリオを考えた。
「ミリエラはノエルの古くからの友人で、今回の事も止むにやまれぬ事情だったって言ってるわ。なるべくノエルの刑の軽減を望んでる」
そう言ってアンが提案した話を、騎士達とノエルは黙って聞いた。
“ノエルは公爵令嬢ミリエラと旧知の仲で、再会の懐かしさから日が暮れるまで話に花を咲かせた。ノエルはその日ミリエラを帰そうとしたが、顔を出した組織の仲間からミリエラの身柄を確保するように指示された。
ノエルは組織に逆らうと制裁される。その為にミリエラを確保していたが、彼はどうにか彼女を逃がす算段を立てているところだった。”
「私は占い小屋でミリエラの傘とノエルが残した手掛かりを見つけ、この場所を知ったってことにしてほしい」
「ミリエラ様がそれを強く望んでおられるなら……。しかし」
「その代わり、ノエルには知っている事全てを我が国に話してもらう。私の父はサルーディン皇国の事も組織の事も掴んでいるけど決定的な証拠はないからね」
セルジュはアンが言わんとする事が分かり苦虫を噛み潰したような顔をした。そんなセルジュに慌ててアンが付け足す。
「騎士はこの国を守るのが第一義でしょう?ノエルの証言はこの国の利益にも繋がるわ」
「しかし騎士として事実を曲げるのは納得いかない」
俯いたセルジュに先輩騎士のオルコットが苦笑を漏らした。
「セルジュ。気持ちは分かるが、アン殿の仰る事も一理ある。彼の証言で一つの組織が検挙できる。更にサルーディン皇国との外交も有利に運べるとなれば我が国としては得るものも大きい」
「はい……」
「そんな顔をするな。お前はアン殿を守る立派な騎士になるのだろう?この期に清濁併せ呑む度量を身につけるといい」
アンはひるがえってノエルに顔を向ける。
ノエルは疲れ切ったように俯きなすがままだったが、アンの視線を受けると暗い瞳で彼女を見上げた。
「分かったよ。それでいい」
「うまく行けば今回の事は重大な罪にならないし、取引内容の利益が大きければ更に減刑されるはずよ」
「減刑なんて、どうでもいい」
不意に雲の切れ間から昼過ぎの日光が差し込み、ノエルは眩しげに目を細めた。
「ミリエラが望んでるならその通りにするよ。もうそれくらいしか僕にできる事はないからね」
縛られたノエルを馬に乗せてオルコットが護送することになった。セルジュは馬車を呼んでくると言い残してそれに付いていく。
去っていく馬を見ながらアンはしばらく動かなかった。
『ヒロイン』はノエルの心を救ってあげられなかった。
けれど彼の心は幼い日のミリエラに既に救われていたのだろう。かつてゲームで見た彼は友達も信頼できる人も持たず、仄暗い人生を歩んでいたのだから。
彼にとっての最良ではなかったかもしれないが、ミリエラの存在がこの先も彼の救いになればいいと思った。
騎士二人と渡り合い、学院に帰るとすぐに早馬を手配して父に連絡を送る。アンは忙しさの奔流に自ら飛び込むように動いた。
ノエルの証言によりまず当日の晩に来た仲間が押さえられ、間を置かず組織のアジトに騎士団が踏み込んだ。
本来誘拐の件は衛兵隊が預かるはずだったが、国防問題が絡んでいるという事でノエルは早々に騎士団に引き渡された。その為アンの組み立てた筋書きも功を奏し、ノエルはすぐに司法取引の対象者となった。
アンの父ジュレディンベル男爵は話に違わず優秀だった。
彼は、アンの口裏合わせに付き合うことを了承する返事を寄越した。それと同時に王都に直接出向き、事の解決に尽力することを申し出た。
ゲーム内では知っていたが、自分の父の話の早さにアンは舌を巻いた。直接会ったときに「あんころもち子」と呼ばれまくったことはつらかったが、父の頼もしさには心底感謝した。
梅雨の明けた青空はどこまでも高い。
教室の中、アンはぼんやりと窓の外の空を見上げていた。
彼女にできる事は全て終わった。後は父や騎士団、国に任せることになる。登校してもバタバタして落ち着いて空を見る事すら出来ない日々が続いていた。その為解放された今は、こんな何気ない風景も癒やしになる。
「アン、どうかした?」
休み時間、席に座るアンのところにミリエラがやって来た。
彼女はあの日風邪で寝込んでいたという話で一部の人以外には通した。この事にはアネッサが本当に安堵して喜んだ。
「ううん。晴れてるなぁって思って」
ミリエラがアンの視線を追って窓の外を眺める。
「本当ね」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。